スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

自分の人生に最も大きな影響を与えた作家(沢木耕太郎「天路の旅人」)

作家の沢木耕太郎さんがNHKのインタビュー番組に出ておられました。(昨日、令和5年1月10日)

 

かっこいいですね。

大昔、大学受験に失敗した時に、予備校で紹介された「敗れざる者たち」を読んで深く感じ入りファンになりました。2度目の受験の前日に「深夜特急」を読み始めたら止まらなくなり、全巻読破。

当然、受験は失敗。

知らない人のために言い添えれば、「深夜特急」は文庫版で全7巻(たしか私が読んだ頃は7巻だったと思うんですが、今は6巻のようですね。)。面白すぎて、惹きこまれて1日で読んでしまいましたが、もうへとへとでした。もちろん作者のせいではありませんが、受験に失敗するはずです。

内容は、インドのデリーからイギリスのロンドンまで、乗合いバスで行ってみたいと作者が思い立つところから始まります。仕事を投げ出して今ある現金を持って、果たしてロンドンまで行けるのか?バックパッカーのバイブルと言われる作品です。

 

その後も、出る作品、出る作品が魅力的で読み続けました。

 

今、インタビューを受けているのを見て、自分自身におそらく一番大きな影響を与えた人だと思い出しました。

 

 

「思い出した」というのは、いつのころからか読まなくなったのです。理由は、仕事が忙しくなったから。

沢木さんの本は、それなりに気合いというか、ある程度の覚悟を持って読まなければ響かない作品だと思います。だから、仕事が忙しくなり、時間や気持ちの余裕がなくなったころから読むのをやめてしまったのです。

多分「」を読んだ後は読んでいないかもしれない。

 

 

私の勝手な沢木耕太郎さん(作品)の印象は、「やさしいハードボイルド」。

あくまで人を見る視線は優しい。でも、現実を見る目は非情なくらい客観的。

気づかないうちに自分自身の人生における理想になっていました。

到底届かない理想ですが。(苦笑)

 

一瞬の夏」という作品があります。

「敗れざる者たち」というルポタージュの1つに登場したボクサーのカシアス内藤の後日譚です。天才の才能を持ちながらテッペンを取れない人を描いたルポ。

 

今日のインタビュー番組では、カシアス内藤さんも語っておられました。「通常はこういう作品ではデコレーションがあるけど、沢木さんは全くそういうことはしない」と、涙を浮かべながら言っていました。徹底的にルポの対象となる人と向き合い、時には非情な分析をしながらも、真実を掘り出していく。

 

 

 

旅を愛し、インタビューをするため飛び回っている印象の強い沢木さんは、最新の作品「天路の旅人」の主人公を紹介しながら、極限の自由を経験した人が、最後は平凡な淡々とした生活をして人生を終えることに理想を感じると言っておられました。

 

 

沢木さんの現時点でたどり着いた境地なのでしょうか?

遅まきながら、読んでいなかった本を今から読もうと思います。大きな楽しみができました。自分の理想を、また追い求めていければいいなと思います。

 

アルコール依存になるところだった。(中島らも「今夜、すべてのバーで」を読んで気づいたこと)

アルコール依存症になるところだったと、最近気づきました。

 

振り返ってみると、退職から3~4年前ころから、お酒の飲み方が変わっていました。

当時、職場では6人のチームで仕事をしていましたが、3人は子育て中のお母さん、2人はまだ経験の浅い男性、それと私でした。子育て中の人たちは1時間とか2時間は時間を短縮しての勤務です。

でも、仕事量は6人分なので、できない部分のフォローは全部私に回ってきていて、ものすごい仕事量でした。それに加えて、働き方改革で残業は最小限にしなければならず、仕事の密度も濃くしないと間に合わない。

 

以前からお酒は嫌いではなく、ほどほどに美味しく飲んでいましたが、そういう環境の中で、次第に飲み方が変わっていったのだと思います。

美味しいから飲むのではなく、疲れを取るため(麻痺させるため)に飲むようになっていきました。

 

その後、転勤で職場が変わってからは、問題職員が複数いるような職場となり、そういうストレスも加わり、疲れをとるためとともに、緊張を緩めるためにも飲酒をするようになっていきました。

 

 

アルコール依存症になるプロセスと代表的な症状としては、

 

1 依存症との境界(精神的依存)

 酒が無いともの足りない、緊張をほぐすのに酒がほしい、ブラックアウト(記憶障害)・・・

2 初期(身体的依存)

 酒がないと落ち着かない、酒が原因の病気やけが、遅刻や欠勤等社会的な問題・・・

3 中期(トラブルが表面化)

 手の震え、恐怖感、酒が原因の問題を繰り返す・・・

4 後期(人生の破綻)

 食事をとらない、自分を保つために飲む、連続飲酒発作、幻覚、肝臓疾患などで仕事や日常生活が困難・・・

 

ということらしいのですが、自分自身、退職直前は仕事が終わったら酒で緊張を緩めないと落ち着かない、酒量は毎日ビールだと500ml缶2本程度では足りず、この辺でやめておこうと思っても、更に続けて飲んでしまうという状況でした。明らかに精神的な依存状態でした。

 

なぜ、今になってこんなことを考えたかと言うと、最近読んだ「今夜すべてのバーで」(中島らも著)という本で、アルコール依存が題材になっていたからです。

その中で、「好きで飲んでいるという人は意外とアルコール依存にはならない」「アルコールを何かの道具として使う人が危ない」というような表現が出てきます。つまり、お酒を楽しむのではなく、緊張を緩めるためや眠るための道具としてアルコールを使うようなことが習慣化すると、生活にアルコールが組み込まれて、その人にとってアルコールが「必要」なものとなってしまい、縁を切れなくなるということです。

 

そのときは激しいストレスや疲れから逃れるため、まさに「アルコールが組み込まれた」生活をしていました。

飲酒量が多いという自覚はありましたのでやめようと考えましたがやめられず、忙しさでずるずる時が過ぎ、退職までそれは続きました。

 

 

 

退職して半月後位に、酒を飲まない方が体調がいいということに気づき、それをきっかけに次第に飲む量が減り、今では週に何回か飲むだけになりました。量もビールで350mlを1~2本が普通です。

 

何より変わったのは、必要だから飲むということが無くなったことです。その日の食べ物や気分で、美味しくお酒を嗜んでいます。

飲まない日は、読書や映画を見たりすることができます。

 

「やばかったなあ」「結構危なかったなあ」というのが今の心境です。

 

呪術廻戦0と村上春樹さんの小説「7番目の男」

映画「呪術廻戦0」を見ました。よかったです。

 

人の暗部をえぐるようなアニメですが、考えさせる作品です。

正しいことばかりを追い求める現代社会で、なんでこういう作品が出てくるんだろうなとも思いました。ジブリがアニメを日本の誇るべき文化へ押し上げた後、更にその文化を広げることに成功しているように思いました。

 

怖れ、恨み、呪いという人間の負の感情がテーマです。

ただ、道徳や情という正の感情と表裏のものとしつつも、相反するものとは描いていないところがいい。

 

一人の人間の心には、明るいところもあれば暗いところもある。それを見て見ぬふりをしよう、暗部をどこかに押し込めようとするのが人間の歴史です。現代社会でも激しく人間の負の感情を否定し、拒絶しようとして、正しいことを追い求めるのは、テレビを漫然と見ているだけでよくわかります。

 

でも、暗部を否定し抑圧すると歪みが生じます。暗部も人間にとっては必要なものです。

 

精神分析でも、負の感情を無意識に押し込めることで人格に不協和音が生じるのを精神的な病と考えますが、その反面、ユングなどは想像の源とも考えます。

芸術は暗部の表出とも考えられます。規則正しい芸術というのはちょっと魅力が乏しい。負の感情の方が実は生命力に満ちていてみずみずしい。宗教的な絵画や浮世絵などで、おどろおどろしいものがよくあります。

昔話や童話には、残酷なものもたくさんあります。でも、皆がそれに惹かれるから、長い歴史を経ても残っている。正しいファンタジーには誰も魅力を感じないでしょう(それがいいと声高に叫ぶ人たちも存在しますが)。

 

 

結局、人間は自分の負の部分に向き合うことで成長するし、人生がみずみずしいものとなるのではないかと思います。負の感情(の経験)に支えられているからこそ余計に深い愛情もあると思います。

 

 

村上春樹さんの短編で「7番目の男」という作品があります。「レキシントンの幽霊」という短編集に収められています。

主人公は、津波の際に自分だけ逃げだし友人を失ってしまい、その後友人の恨みから逃れようとしますが・・・、というストーリーですが、人間の感情の負の部分に徹底的に向かった(向き合わざるを得なかった)ことで、次の大きな視野を手に入れます。

ある程度大人になってから読むと、なんだかとても心が温かくなったのを覚えています。

 

とても感動したのですが、これ以上書くとネタバレになるところが歯がゆいです(笑)。



人生におけるリスク分散(B・ラッセル幸福論)

関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなる」と哲学者のバートランド・ラッセル(幸福論)は言ったそうです。

そして、幸福はいくつかの要素で構成されているけれども、「成功」というのは幸福の1つの要素に過ぎないから、他の要素を犠牲にするほど成功を追い求めてはいけないという趣旨のことも言っています。

 

 

 

何でも同じだと思いますが、極端に一つのものに絞り込むような態度はよくない。

極端に食べ物を制限するダイエットもそうでしょう。投資をする時に一つの株に全財産をつぎ込むのも危険です。

 

公務員の世界は、とりわけ一つに絞る傾向が強く、法律でそれが定められていたりします。「職務専念義務」というのが国家公務員法96条、地方公務員法36条にあって、公務に専念するために民間企業との関わりや副業は制限されています。

だから、いろいろな職業を経験したり、最近で言えばネットでお金儲けをするなどのこともできません。これに違反すると、非違行為として処分されます。

世の中の風潮は、公務員に対しては厳しいですから、本当に厳しく処分されます。

 

だから、長い間、公務員として働いていると構造的にあらゆる分野で見識の狭い人間が出来上がるという訳です。ちなみに、デジタル化というのも進められていますが、私がいた職場では「私はパソコンは苦手だから・・・」という人が大部分を占めていました。自分から色々な見分を広めようとする気持ちがないからです。

もちろん、立派に仕事をしている人もたくさん知っていますが、構造的にそうではない人を生み出すような状況ということです。

 

 

 

ラッセル風に考えると、こういうところで働いたり、同種の環境に身を置いていると、幸福になれるチャンスが少なくなるということだと思います。

 

退職して思いますが、本当にいろいろなことに関心を持てるようになりました。仕事をしていた頃は、どんなに努力して仕事以外のことに関心を持とうとしても、絶対的に時間が不足していました。

仕事の経験は、とても自分にとって貴重なものですが、もう同じ生活をしようとは思いません。

 

 

退職して時間が取れるようになり、できるようになったことは、

・読書

・旅行(少しだけ)

・ブログ

・芸術鑑賞

・歴史の勉強

・転職や副業の準備

・生活の管理(ミニマムな生活)

・投資関係の勉強や資産の管理

といったところかと思います。

とにかく、いろいろなことに時間をかけられるようになりました。

 

こういう生活を通じて小さなことでもよいから、いろいろなことと関りを持っていこうと思っています。

読書をするだけで世界が広がりますし、旅行では実際に思わぬところで人と知り合ったり、このブログを通してもいろいろな人とコミュニケーションを取ることができ、それ自体が人生を豊かにしています。将来、どんなことに繋がっていくか楽しみです。

 

今、「関心を寄せるものが多ければ多いほど、ますます幸福になるチャンスが多くなる」と実感しています。

とにかく楽しかったと言える人生にしていけたらいいな。

 

今、投資が勧められているうわべの理由と本来の必要性について

政府が旗を振って、各自が投資をするように誘導しています。

これって、どういうことでしょうか?

メディアでは、年金制度がうまく行かなくなってきて、国民に自助努力を促していると言われます。流行りの自己責任です。

 

必要性としては、間違ってはいないと思いますが、投資をすべき本質的な理由は、そういうことではありません。

 

 

日本やアメリカ、ヨーロッパの西側と言われている国々は、資本主義経済制度を採用しています。

これは会社が競争をして利益を出すことで社会全体としてもうまく行くという考え方に基づいています。根本的なことを言えば、会社を中心に社会全体で利益を出して、その利益で国民が裕福に暮らせていけるようにする仕組みということもできます。

 

 

自由な競争のもと会社に利益が出ると、そこから従業員に給料が支払われ、株主には配当金が支払われます。

これをもう少し詳しく考えてみます。

会社の利益から給料も配当金も支払われるのですが、利益が多くなればなるほど、配当金は増えます。でも、給料は増えません。

給料は労働の対価だからです。会社に利益が出るかどうかは関係ないのです。ここは重要なポイントです。

 

一生懸命働いている人の感覚からすれば、大きく利益が出たのは誰のおかげでしょうか。色々あるとは思いますが、一生懸命働いている人のおかげではないでしょうか。でも、給料としてはその利益は還元されないのです。

だから、そういう人に利益が還元されるためには、株式を所有している必要があります。

 

これが資本主義社会の仕組みであり、株式を所有しなければならない(=投資をしなければならない)理由です。

 

年金云々の話は、全く副次的なものです。

 

日本は資本主義経済制度を採用している訳ですから、本来、投資を積極的に推奨する必要がありました。ただ、日本は諸事情からそういうことをしてきておらず、だから年金制度の破綻の可能性が取りざたされた際に、あわてて投資を推奨したということだと思います。日本が投資を推奨しなかった諸事情(投資しなくても貯金しておけばよかった事情)については、過去の記事に書いたとおりです。

 

hatasan2.net

 

 

「何を今さら」という感じですが、国民サイドとしても基本的な仕組みを理解せずここまで来てしまったので、早急に対処する必要があります。

今からでも遅くはありませんから、積極的に貯蓄を投資に切り替えていくことがよいのではないでしょうか。

 

私の投資における「リスク分散」の考え方(2)~真面目に働いているけど貯金しかない人へのおすすめ~

例えば、日本の株式だけに投資していると不景気で株式が下がってしまったときには、資産を減らしてしまうことになるから、色々な国の株式に投資しましょうと言われます(地域リスク)。

ただ、この考えには、注意が必要だと、私は思います。

 

理屈ではそのとおりなのですが、資本主義経済を採用している国と言っても、日本はかなり特殊です。

国民性がそうさせるのかもしれませんが、国(政府)の介入が多く、純粋な自由競争はありません。自由競争であれば、本来、うまくいかない会社は倒産して市場から退場するのが大原則です。

でも、思い浮かべてみれば、大きな会社が倒産しそうになれば国を挙げて大騒ぎです。一つの例ですが、大手の銀行が倒産しそうになれば、公的資金、税金を投入してでも倒産させないようにします。

自由競争がないとどうなるのかと言うと、長期的に見て社会全体として市場が発展しません。

株式について言えば、日本の主な投資信託の値動きを見るとわかります。上がったり下がったりを繰り返しています。

 

根本的な話になりますが、資本主義経済というのは、どんどん市場の規模が大きくなることが想定されています。そうやって常に社会として利益を出し続ければ、社会全体として潤っていける。社会全体の景気が良ければ、給料も上がるし、社会的なインフラも整えられるということです。

これを株式という視点で見てみると、社会全体として株価が上がり続けるということです。そうでなければ資本主義社会は維持できないと考えるのが自然です。

 

統計的に見ても、1929年の世界恐慌以前から、市場規模は大きくなり続けており、株価の平均値は上がり続けています。

ただし、これは米国の統計です。

 

つまり、資本主義経済が理屈通りになっているのは、米国の市場です。ですから、個人としては、米国株式に広く投資している投資信託を購入すべきという結論になります。

 

残念ですが、日本は、自由競争の環境がなく、代表的なインデックスファンドでも値段が上がっていませんから、日本の株式(日本の株式に投資する投資信託)には投資すべきではないと私は思います。

地域リスクという観点から考えると、米国の市場は大きく、ここに広く投資しているのであれば、それ以外に投資する必要性は小さいものと思われます。

 

地域リスクとは、ある意味、日本株に投資することだと言ってもいいのではないかという気さえします。国としての経済政策が変われば、日本株への投資もあり得るかもしれませんが、当面、それは考えられません。

 

国を挙げて、国民を投資に誘導していますが、本当に大丈夫なのでしょうか。

 

三井記念美術館の円山応挙「雪松図屏風」がおすすめ

久しぶりの行動制限のない年末年始ということで、街は人で溢れています。感染者も急増していて心配ではありますが、そんなにステイホームばかりもしていられない。

そこで、人が大挙して押し寄せていなさそうなところはないかと考えて、三井記念美術館(東京日本橋)に行ってきました。

 

思惑どおり、土曜日の午前中の人出はまばらで、ゆっくり鑑賞できました。

 

「雪松図と吉祥づくし」という展示で、目玉は円山応挙国宝「雪松図屏風」

強烈に目を引きました。さすが国宝。

 

雪松図の展示された部屋に入った瞬間に息をのみます。知識としては知っていましたが、実際に見てみると迫力が全く違います。

 

空いているのをいいことに、展示室の真ん中にある椅子に座って観たり、立ち上がって観たり、近づいて観たりで、15分くらいながめていました。作品を独占しているようで、とてもいい時間でした。

 

 

企画としては、国宝や重要文化財がバンバン出てくるという程ではなく、雪松図が中心として、他はおめでたい「吉祥」をテーマにした作品が展示されていて、メリハリがありました。

東京丸の内に開館した静嘉堂文庫美術館が国宝、重要文化財の目白押しだったのも衝撃の迫力でしたが、それに比べると、雪松図をメインに据えたバランスのいい感じがすごくいいと思いました。

令和23年1月28日までやっているようです。

 

円山応挙は、京都画壇という江戸時代の美術の流れに分類されていて、狩野派に比して写実的と評されます。

犬の絵などが多く残っていて、精密に写生されています。同じ京都画壇には、伊藤若冲や曽我蕭白がいて、雰囲気は違いますが、「写実的」です。

でも、今回の雪松図屏風は、松の葉の部分は墨、雪は余白(紙のまま)にして写実的に描き、背景には金箔を貼って狩野派など日本画の伝統的な技法も存分に使っています。

 

 

次は、長谷川等伯の松林図。年明けに東京国立博物館に見に行きたいと思います。

 

 

hatasan2.net

hatasan2.net

hatasan2.net