アルコール依存症になるところだったと、最近気づきました。
振り返ってみると、退職から3~4年前ころから、お酒の飲み方が変わっていました。
当時、職場では6人のチームで仕事をしていましたが、3人は子育て中のお母さん、2人はまだ経験の浅い男性、それと私でした。子育て中の人たちは1時間とか2時間は時間を短縮しての勤務です。
でも、仕事量は6人分なので、できない部分のフォローは全部私に回ってきていて、ものすごい仕事量でした。それに加えて、働き方改革で残業は最小限にしなければならず、仕事の密度も濃くしないと間に合わない。
以前からお酒は嫌いではなく、ほどほどに美味しく飲んでいましたが、そういう環境の中で、次第に飲み方が変わっていったのだと思います。
美味しいから飲むのではなく、疲れを取るため(麻痺させるため)に飲むようになっていきました。
その後、転勤で職場が変わってからは、問題職員が複数いるような職場となり、そういうストレスも加わり、疲れをとるためとともに、緊張を緩めるためにも飲酒をするようになっていきました。
アルコール依存症になるプロセスと代表的な症状としては、
1 依存症との境界(精神的依存)
酒が無いともの足りない、緊張をほぐすのに酒がほしい、ブラックアウト(記憶障害)・・・
2 初期(身体的依存)
酒がないと落ち着かない、酒が原因の病気やけが、遅刻や欠勤等社会的な問題・・・
3 中期(トラブルが表面化)
手の震え、恐怖感、酒が原因の問題を繰り返す・・・
4 後期(人生の破綻)
食事をとらない、自分を保つために飲む、連続飲酒発作、幻覚、肝臓疾患などで仕事や日常生活が困難・・・
ということらしいのですが、自分自身、退職直前は仕事が終わったら酒で緊張を緩めないと落ち着かない、酒量は毎日ビールだと500ml缶2本程度では足りず、この辺でやめておこうと思っても、更に続けて飲んでしまうという状況でした。明らかに精神的な依存状態でした。
なぜ、今になってこんなことを考えたかと言うと、最近読んだ「今夜すべてのバーで」(中島らも著)という本で、アルコール依存が題材になっていたからです。
その中で、「好きで飲んでいるという人は意外とアルコール依存にはならない」「アルコールを何かの道具として使う人が危ない」というような表現が出てきます。つまり、お酒を楽しむのではなく、緊張を緩めるためや眠るための道具としてアルコールを使うようなことが習慣化すると、生活にアルコールが組み込まれて、その人にとってアルコールが「必要」なものとなってしまい、縁を切れなくなるということです。
そのときは激しいストレスや疲れから逃れるため、まさに「アルコールが組み込まれた」生活をしていました。
飲酒量が多いという自覚はありましたのでやめようと考えましたがやめられず、忙しさでずるずる時が過ぎ、退職までそれは続きました。
退職して半月後位に、酒を飲まない方が体調がいいということに気づき、それをきっかけに次第に飲む量が減り、今では週に何回か飲むだけになりました。量もビールで350mlを1~2本が普通です。
何より変わったのは、必要だから飲むということが無くなったことです。その日の食べ物や気分で、美味しくお酒を嗜んでいます。
飲まない日は、読書や映画を見たりすることができます。
「やばかったなあ」「結構危なかったなあ」というのが今の心境です。