スタイルのある生活~早期退職シニア男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

人生後半のひとり旅 ~沢木耕太郎「天路の旅人」を読んで~

沢木耕太郎さんの「天路の旅人」を読みました。

沢木さんは、好きな作家という以上に尊敬する人です。自分が19歳のころに「敗れざる者たち」に出会い、それからは、沢木さんの本が人生の指針、生き方のお手本だったように思います。私はあまり簡単に人を尊敬したりしないタイプですが、そんな自分が尊敬してやまない特別な存在です。

 

「天路の旅人」の主人公は、太平洋戦争中に密偵として中国に渡り、時代に翻弄されつつも自分の決断で人生を切り拓いていきます。終戦後も中国、チベット、インド・・・と放浪生活を送る。

時代や社会の動きは一人の人間にとってはあまりに壮大です。でも、主人公はそういう社会に翻弄されながらも、根底ではどこか乾いた印象です。そういうものに対する批判的な眼差しも留保しながら、自分の人生、次はどうするか・・と決断し続けます。

 

自分もこんなふうに自分の人生を自分で決めていけたらいいなって思います。

 

ここ1年はこれまでの人生で最も旅行した年だった。沖縄、山形、長野、高松、福島、群馬・・・。特に沖縄は3回行きました。1人で。

自分の旅は小説と違って、絶望的にしょぼい。だけど、しょぼくてもひとり旅は楽しいです。

 

今年もこれは継続するつもりです。

以前、古代インドの人生のイメージについて書きました。

hatasan2.net

今の自分は、そろそろ遊行期に入ってきたかなと思います。西行法師が庵をたたんで全国行脚に出発した頃と同じイメージです。

西行法師と違って、私の旅は、やっぱりぜんぜんしょぼいけど。(苦笑)

シニア世代の家族観 ~家族って必要ですか?~

前に少し書きましたが、年齢が上がるにしたがって子どもは親から離れていきます。残るのは夫婦。だから、夫婦は死ぬまで仲良く添い遂げる。

これが従来の価値観です。

 

でも、待てよ・・・って思います。随分昔ならば、子どもが独立して人生の軌道に乗ったころ、親は定年。それから10年くらいで寿命。そういうイメージだから、これで良かったかもしれない。

でも、現在、子どもが親元を離れてからの時間はそれなりに長い。20~30年あるというのが実感じゃないですか?

人生、もうワンサイクルある。

 

この20~30年をどう生きるか、考えどころだと思います。

 

私はこれからの人生については、家族という制度を一度度外視して考えた方がいいと思っています。

だって、私なんか離婚しているからいくら求めても(求めないけど)元家内はまた一緒にはならないだろうし、子どもに同居しようとか言ったら一体どんな結末が待っているのやら。

 

だけど、実は相当多くの人は、伝統的な家族観を踏まえて、老後は配偶者に頼り、「いざとなったら」子どもに頼ることを前提として生きています。

 

私は、実感として、「これ無理じゃね?」って思ってしまいます。あくまで個人的な感想ですけど。

自分が頼ることを考えているけれど、逆に20年も30年も配偶者から頼られて、どうですか?ましてや子どもだって、今は大変な時代ですよ。

配偶者にも子どもにも、それぞれの人生があるんじゃないのかなあって思ってしまいます。

これって、私が離婚しているから?

 

他方で、家族を前提としない生き方は、実は快適だと私は感じています。自分で自分の人生が決められる。なんでも自由。基本的に家族に過度に頼らない。

 

もちろん家族という体裁は、既存の社会制度を利用するという観点からはメリットが大きい。家族という形があるからこそ遺族年金とかあるし、介護が必要になった時も社会的なコンセンサスとしてまずは配偶者が面倒を見るということになっている。自分が亡くなった後には墓だってある。

多くの人はこれが無くなることが不安なのだとも思います。

 

でも、こういう数々のメリットは、自分の人生にとって本質的な価値なのか、問い直す時期が来ていると思う。

さっき、「自由」って言いました。

家族という制度のメリットが無い生き方は自由です。代償もそれなりにある。だけど自由だと思う。

 

「日本の富裕層・超富裕層は合計約165万世帯・・・」 ~野村総研レポートで考えたこと~

少し前(2025年2月)ですけど、「日本の富裕層・超富裕層は合計約165万世帯、その純金融資産の総額は約469兆円と推計」というレポートが野村総研から出されました。そして、日本の富裕層の割合が3%と話題になりました。

当時、富裕層が増えているという論調で紹介されていたことを覚えています。

 

その原典の野村総研レポートを見てみました(ネットで検索したら簡単に見られます。)。そうすると、富裕層が増えているということのほかに気づいたことがありました。マス層も増えている。マス層というのは所得がもっとも低い世帯層です。

つまり、中間層が減って、富裕層、マス層が増えている。いわゆる格差が拡大しているってことです。

 

他方で最近気になっていることがあって、メディアもSNSも、躍起になって人を叩く。炎上させる。そして、叩く対象を見つけようとしている。

人のせいにして深く物事を考えようとしない態度が目立つ気がします。

これって、中間層が減っていることと関係があるんじゃなかろうか・・・。

 

政治学では、健全な国家運営がされるためには「健全な市民社会」の存在が前提となると言われます。平たく言うと、どんなに立派な政治制度を作っても、それを支える市民の意識がそれに伴っていないと健全な国家運営は不可能ということです。選挙をしても「深く考えない市民」が投票することになり、衆愚政治に帰するということです。

そして、健全な市民社会の一つの条件として、「厚みのある中間知識層の存在」というのがあります。

 

トップで国を動かしている人でもない。社会的に政治と全く関係なく日々の暮らしにしか興味が無い人でもない。ある程度余裕があって社会や国について考えることができている人が中間知識層です。

中間知識層が存在するためには金銭的な余裕も不可欠だと、私は感じます。

 

今の日本の状況、「人のせいにすることに血道をあげている」今の状況は、中間知識層が減っているからじゃないだろうか??

 

一般市民が金銭的余裕を持つようになり経済的自立を手にすることで中間知識層が復活する。そのために資産形成の方法をもっと広めていく必要がある。

こういう視点からも、退職後色々試行錯誤してきたことを、つたないながらも、このブログで発信していけたらいいなと思ってしまいました。

 

投資について ~ベネヅエラ、イランとアメリカの関係を考える。~

前回の記事で、市場が健全に機能していることが投資の条件であること、アメリカの市場は比較的健全な市場であることに言及しました。

 

ただし、未来永劫そうかというと、そうではない、ということを今回考えようと思います。あくまで私の考えですけど。

 

最近、アメリカがベネヅエラの大統領を拘束するということがありました。そして、アメリカは、それに引き続いてイランの各施設を攻撃しました。これって、どういう意味があるのか? 我々個人が投資をするにあたって考えるべきことって何でしょうか?

 

トランプ大統領って、日本のSNSやメディアでは、気まぐれでよくわからない人、何をするかわからない・・・等と言われます。本当にそうでしょうか?

全然違う・・・とまでは私も言いませんが、「気まぐれ」というのは的外れだと思います。相当考えた上で行動していると思います。

ベネヅエラ、イランの件は、「経済的に見ると、」アメリカが経済的な覇権を守るためには不可欠な行動だったように、私には見えます。

 

説明を試みます。

もともと中東の石油を取引する際にはドルで取引する必要がありました。この点は歴史的には色々な経緯がありますが、ここでは詳しくは述べません。

ここで言いたいのは、中東の石油を取引するにはドルがなければならない、最近までは、そういうルールだったということです。だから、石油の取引をするすべての国はドルを準備しなければならなかった。

言葉を代えて言うと、ドルは基軸通貨だったということです。

 

基軸通貨ということの恩恵は計り知れません。やはり、ここでは深く触れませんが簡単に言うと、為替リスクが無い、貿易赤字があっても自国通貨(ドル)を発行することで

補える・・・等々です。アメリカにはそういうアドバンテージがある。

 

ところが、膨大な石油の埋蔵量のあるベネヅエラやイランは、石油の決済をする時に人民元もOKと言い始めた。中国の人民元が基軸通貨になるのか???という方向に舵を切ったわけです。

アメリカがこれを許すはずがない。

これが根底にあるんだと思います。

 

この問題については、専門家でも色々な言説があり、ここで逐一紹介することは不可能です。ただ、「従来通り個人的にアメリカの株式に投資をして大丈夫か?」と考える材料になるし、考えなきゃいけないんじゃないかと思います。

 

考えてみたところでは、現状はアメリカ中心の経済であることはしばらくは変わらない。アメリカは自国が損をするようなことにならないように動いている。具体的には人民元が基軸通貨に近づいてくるのを阻止している。

相当端折って言えば、これが今の国際的な動きと言っていもいいと思います。

 

そうすると世界的な視点で見た時、アメリカ中心の経済体制は維持され、結果的にアメリカの維持してきた市場も温存される。ということは、市場が安泰である以上、アメリカの株式、投資信託へ投資をするという方針は変えなくてもいいということになると思います。

未来永劫アメリカンの市場が安泰かどうかはわからないけれど、まだしばらくは大丈夫だということです。

 

一応、そんな風に考えて、私は投資を継続しています。

 

投資について ~市場という経済活動の場~

自由競争に基づく資本主義経済社会に生きる以上、株式を所有して利益を得るということは当然のことだと言うことは、前回述べました。

 

では自由競争が行われるプラットフォームとなるものは何か。「市場」です。市場経済と言ってもいい。健全な自由競争が行われる市場があるからこそ、資本主義経済社会は利益を生み出していける。

逆に言えば、自由な競争が阻害されているような社会では利益は出せない。

 

自由競争を保証する市場というと、どこの国が思い浮かぶでしょうか?

多分、多くの人が自然と「アメリカ」と言うのではないかと思います。アメリカは自由市場信仰があると言われるほど、自由競争が阻害されることを嫌います。国の規制も必要最小限です。

そのアメリカ市場の株価の動向(市場全体の株価)を見てみると、統計的に1929年の世界恐慌のころからアップダウンはあるものの現在まで右肩上がりです。

資本主義経済により社会全体が豊かになるという現実を示していると言っていいと思います。

 

最近投資が推奨されるようになってきて、何に投資するかという話になった時、「S&P500が良い」と言われるのを聞いたことがあると思います。このS&P500というのは、アメリカの株式市場全体と値段が連動するように設計された金融商品(投資信託)です。

およそ100年前の世界恐慌からアメリカの株価は全体として上がり続けているから、それと連動する金融商品であるS&P500が良いと言う訳です。

 

長い間、日本では「投資=ばくち」と言われてきました。でも、以上のことを理解した上で、やはり「S&P500に投資することはばくち」と言えるでしょうか?

 

視点を変えます。

アメリカの市場についてはここまで述べたとおりです。でも、他の国の市場がすべて同じ訳ではありません。例として日本市場を考えてみます。日本もアメリカ同様、資本主義を標榜しています。でも、結果から見てアメリカのように株価は上がってきたでしょうか?ここ30年上がりませんでした。

私の考えでは、これは自由市場としては何らかの問題があると考えていいのではないかと思います。「企業などが自由に競争して社会を豊かにする」という仕組みが機能していなかったように見える。

 

ここまで述べたのは私の考えです。

投資をするにあたっては、こういうことも個々人が考えなければなりません。その上で、①投資するかどうか、②投資するならどこの何に投資するか、を決めなければならないと私は思っています。

 

投資について ~基本的で根本的な考え方~

経済的な自立をめざすことがこれからの日本社会では不可欠だと思う。

↑↑↑ 正面からこれを言う人、少なくないですか?

 

これまでこのブログでは、仕事を辞めて人生の後半戦に入るに際しては投資をするのがおすすめと書いてきました。具体的なやり方も述べました。でも、「なぜ投資をするのか?」とか「投資をすすめる本質的な理由」については、はっきりと言ったことは無いと思います。今日はこのことについて、述べてみます。

 

我々は「自由競争を前提とする資本主義経済社会に」生きています。

これが大前提です。資本主義経済というのは、ざっくり言えば、企業などが自由競争でよりよいものを社会の個々人に提供することで利益を出していく仕組みです。この仕組みによって、社会全体が豊かになる。

 

社会全体が豊かになった時に、「その豊かになったもの」=「利益」を私たちはどうやったら享受できるのか?競争によって市場に出てきたよりよい商品を手にすることができるという側面はある。だけど、本質的にはその利益は企業にお金として蓄積される。当たり前ですよね。

企業が得たお金、利益の流れる先はどこか。それは次の利益を生み出すために使われる分(設備投資)を除けば、①給料と②株主への配当など、になります。

 

これまで多くの日本人は社会全体の利益を給料という形で受け取っていたと言っていいと思いいます。だけど、ここ最近は給料が上がらない。

そうすると、給料以外で社会の利益の恩恵を受ける方法として考えられるのは、株主への配当などを受けることになります。

 

株主として配当を受けることは誰にでもできます。株式を買えばいい。

資本主義経済社会に生きている以上、株主になることによって恩恵を受けるということは、資本主義社会が前提としていることなんです。

 

日本社会では長い間、「株式投資=ばくち」というイメージがありました。まっとうな人はそんなものに手を出さないというのが常識だった。でも、それは資本主義という仕組みの中で生きていながら、その利益を享受することをあえて拒否するという不思議で不自然な考え方です。

 

日本社会では、まだまだ投資に二の足を踏む人が多い。

でも、この仕組みを理解したら、「自信を持って積極的にお金を投資に振り向けていっていいのだ。」と納得できるのではないかと思います。

 

あまりに当たり前ですかね?それとも暴論でしょうか?

 

お金と豊かな老後の関係 ~それぞれの豊かさ~

2,000万円問題以降、不安ばかりが増幅している。一体いくらあればいいのか、誰も答えを出せないでいる。

 

一つの考え方は、「いくらあっても足りない。」という結論。だから、働けるだけ働く。政府が推奨する70歳まで働く国民総活躍のイメージに近いと思う。働きたい人はこれでもいいと思う。

 

だけど、私は嫌です。そんなに働きたくない。

だから、仕事を辞めた後、

・自分がどんな生活を望むのか

を真剣に考えてみました。

 

そうしたら、大体どのくらいのお金があればいいのかが見えてきました。

 

どのくらいのお金が必要なのかは、どういう生活をしたいのかを最初に考えないと結論が出ません。

 

私の場合、普段の生活のベースは、

・狭い家でいい

・食事は贅沢を言わない

・服装はシンプルでいい

・運動は最低限はランニング

・本は図書館の本を読む

これで満足。そうすると、そんなにお金はかからない。

 

その上で、自分の人生の中で是非やりたいことは何なのかと言うと、

・旅行はほどほどに行きたい(基本、ひとり旅)

・趣味のテニスを続けたい

・勉強を続けたい

・人との関わりは大切にしたい

こういうことで、どのくらいお金を積み増せばいいのか・・・。

 

これを4年近くかけて、考えてきました。

直近の1年では自分が理想とする生活をしてみて、その年に減ったお金を通帳を見て割り出しました。

「その支出を今の自分の金融資産で生涯賄えれば合格」ということです。

さらに理想なのは、金融資産が増えるペースが、この生活を続けるコストを上回っていること。これができれば優等生です。

 

早く自分のやりたいことを自覚して、人生を再設計すること。これが豊かな老後に続く道だと思う。