スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

(コラム)早期退職後2年半、ここまでの生活を振り返る。(1) ~早期退職から再就職、それから1年半~

早いもので、令和4年7月に早期退職をして公務員生活にピリオドを打ってから2年半が経ちました。このブログで時々「振り返り」を書いていますが、まとめて書いたのは約1年前でした。1年間で何が変わったのかを考えたいと思います。

1 昨年の今ごろの状況

昨年の今頃は、再就職してその仕事に慣れつつある頃でした。

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昨年の記事を見ると、自分自身が、

1 給料は減ったけれど、

2 時間や気持ちに余裕ができて、

3 新たな仕事から刺激を受け、

でも、忙しく過ごしていることがうかがえます。

新たな仕事では小学校で児童たちと直接やりとりをすることになりました。仕事は現在でもとても良い経験になっています。

 

2 現在の生活と今後

仕事は続けています。小学生を間近に見る仕事をしていると、教育が社会に及ぼす影響を再認識させられます。1年を経過しても現在の仕事をしていて学ぶことは多い。ただし、現在は1年前とは異なり、「とりあえずこのまま生活しよう」とは考えていません。3月末で退職しようと考えています。

理由は、教育関係の仕事は偶然出会ったもので、もともと専門的な知識がある訳でもなく、現在の職場に留まったとしてもこれから現場を動かすような立場に立つことは無いと考えられます。だからこれからは、現在の仕事の経験も含めて、前職を退職してから今までやってきたことを活かして、何かやってみたいと考えたからです。

令和4年に退職して就職活動、翌5年に再就職して現在の生活に至りますが、振り返ってみるとこれは自分にとって貴重な経験でした。この経験そのものを活かして、次の人生の形を考えたいと思っています。

現在は資格試験の受験に向けて勉強中です。

 

3 経済的な状況など

貯蓄や投資などの自分の資産、その動きを2年間分析してみて、基本的にはこの状況を維持していれば今後も大きな不安はないことがわかりました。生活が多少うまくいかない状況になったとしても、生活をダウンサイジングできる道があることもわかりました。

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今後は、現在の資産をうまく回しながら、自分のやりたいことの原資にするなど、守りの姿勢から攻めの姿勢に転じていけたらいいと考えています。具体的には、勉強や経験など自分に対する投資を始めています。

つまり、「投資」という意味合いを、「金融資産を作る」という意味から「自分自身を作る」という意味に広げていこうかと考えているということです。

 

4 退職から今までの気持ちの変化

昨年の今頃の自分のブログを読んでいると、「仕事を辞めてほっとした」という印象を強く受けます。ほっとしたことは、本当に良かったと思います。それまでのブラックな職場から離れて、気持ちも身体も休めることができていたということだったと思います。

ただ、ほっとしている状況というのはいいことばかりではなかった。

前職では、仕事に異様なまでな正確さを要求され、極度に緊張してメールや書面を読むことを強要されていましたから、退職後もリラックスして本を読んだり、モノを考えたりということができなくなっていました。

また、「間違ってはいけない」という脅迫観念から、自分から何かをやろうとする精神的なハードルが異常に高くなっていることも感じました。

こういうメンタリティは時を経て徐々に解消していきましたが、相当程度回復するまでには多分2年くらいが必要だったのだと思います。

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最近やっと自分の人生について、「間違いを恐れず積極的に」どうしてゆくかを考えて、それを実行に移していこうという気持ちになってきました。仕事を辞めて、退職後の生活を安定させ、次のステップに進むという私自身の人生の試行錯誤はまだ継続中なのだと感じています。

仕事を探している人はたくさんいるのに、「人手不足」と言われるのはなぜか?

目次

 

1 人手不足の日本の現状

ず~っと人手不足と言われています。他方で、就職できない人がたくさんいます。

就職氷河期世代の人に、正社員採用の話があれば多くの手が上がるでしょう。

家庭の事情で退職した女性にとって柔軟な働き方ができる職場があれば、そこで働きたい人はたくさんいるでしょう。

多少条件は悪くても経験を生かすことができる仕事があれば、応募するシニアも少なくないと思います。

それなのに、人手不足という訳です。

 

2 働きたい人がたくさんいるのに、なぜ企業は人を採用しないのか?

こんなに働きたい人がいるのに「人手不足」になる理由を、一昨年公務員を早期退職して実際に就職活動をしてみた経験も踏まえて、(少し推測も入れて)具体的に考えてみます。

(1)採用現場で起こっていること

企業が人を採用する際の一番基本的なやり方は、ハローワークに求人を出すことです。また、最近では求人サイトや契約社員の登録サイトを利用する手もあります。また、つてを頼って一本釣りする方法もある。

でも、そういう様々な手段を活用しながら求人をかけるけれども人が集まらない。応募してきた人も採用に至らない(不採用)。

(2)求人票の情報と企業の採用担当者の本音

どんな求人があるのか、ハローワークの求人を見てみると、年齢、性別、経験不問と書いてあるものが多いです。

だから、実際に応募してみる。すると書面審査(履歴書など)で不採用となります。実際に様々な企業に応募してみましたが、何十社も不採用となります。

「人手不足」という状況の中、年齢、性別、経験不問の仕事で不採用になる理由がよくわからないのですが、求職活動をする中で感じたのは、結局、求人を出している企業(企業の採用担当者)は「経験者」を欲しがっている。それも「ほぼ最低賃金」で働いてくれる人を望んでいる。これが本音だと思います。

経験があるかどうかは履歴書を見ればわかりますから、経験が無ければ基本的には面接をすることもないということだと思われます。

(3)企業が経験者を求めるというのはどういう意味か?

では、なぜ企業は経験者を求めるのか。

理由は簡単で

・採用してからトレーニングをする手間をかける必要がない。

・採用してみたものの採用された人に適性が無かったというリスクを取らなくてすむ。

ということです。

だから、より正確に言えば、経験者と言っても「その業界の経験者」というよりも更に厳しく「同じ仕事をしたことがある人」というイメージに近い。

(4)経験者を求めることの問題点

そんな都合のいい「経験者」が「ほぼ最低賃金」で集まる訳がありません。だから人手不足になる。

(5)多少のまとめ

今、働きたいと切に願っている人たちは、そういう人たちではありません。

働きたいと思っている多くの人は、(1)非正規としてしか働いたことがないけれどチャンスがあれば正社員として働きたい就職氷河期世代の人だったり、(2)家庭の事情で前職は辞めたけれど、子育てとかそういう事情を抱えつつも自分の能力を生かせる職場を探している女性、(3)人生に一区切りをつけたけれど、これからも何とか社会に貢献したいと考えているシニア、などです。この他にも能力もモチベーションもあるのに、就職活動をしても採用されないから働くことをあきらめている人は多いと思います(SNSでも散見されます。)。

平たく言えば、巷には働きたい人がたくさんいるのに、求人に応募してきた人を年齢や経歴であっさり不採用にするから人手不足になっているということです。

もちろん、これが人手不足のすべての理由ではないかもしれないけれど、確実にこういう面はある。違う業界からでも、経験が無くても、やる気があってトレーニングを積めば戦力になる人も少なくないと思うのですが、そういう事実には目を背けている。

なぜなら面倒くさいし、リスクがあるから。

 

ちなみに、私はハローワークに通って20社以上の求人に応募しましたが、すべて書面(履歴書など)のみで面接も無く不採用となりました。履歴書などの求人の応募書類を作るのは結構な手間やエネルギーを必要とします。それで何十社も門前払いされたら、「やる気を失うなあ。」と心の底から思いました。

企業がありもしない人材を探している反面、求職者がどんどんやる気を失って、求人に手を挙げる人もいなくなっているのが今の日本の労働市場の実態なのだろうと感じました。

 

3 解決策

(1)社員のトレーニングに手間やお金をかけること

まず、それぞれの企業が就職をした人にトレーニングする手間を厭わず、お金をかけることだと思います。

実は、本当に人手不足で困っている業界では既に実行するところが出てきています。公共交通機関の運転手などの求人では、トレーニング期間を設け技術を習得した上、免許の取得を後押しすることも前提としているものがあります。また、チューター制を採用して人材を育てることをアピールしているところもあります。

でも、多くの企業の経営者は「まだ、そこまで困っていない。」ということなのでしょうか(*)。こういう試みは一部に留まっています。

*「そこまで困っていない。」という状況については、企業内部の酷い現状があると思いますが、今回は書きません。

(2)求人情報を開示すること

現在の求人情報には年齢、性別、経験不問という記載がほとんどです。こういう記載も見て「自分も応募資格がある。」と思って応募しても、求人を出している企業のイメージとは違う人材ということが多いのではないかと思われます(「経験者」ではない!)。

法律的な問題もあり、こういう記載にせざるを得ないということも理解はできますが、法律を守りながらもその会社がどういう会社なのか、どういう人材を欲しているのかを発信しているところもあります。

どういう職場でどういう仕事をしてもらいたいのか、どんな職場環境でどんな人が働いているのか等を企業のホームページで発信したら、応募者の数が飛躍的に増加したという話も聞きました。

法律や制度を言い訳に前例を踏襲するのではなく、情報発信に力を入れることも「欲しい人材」と出会う可能性を高めるのではないかと思います。

情報発信をしてもらえば、求職者の方では自分がその企業の求める人材かどうかの判断がつきやすくなります。採用単層者の方でも採用したいイメージに近い人材が応募してきますから、効率的に採用事務を進めることができます。

(3)労働法制を改善すること

日本の労働法制の問題は大きいでしょう。

日本の法制度では、一度採用したら余程のことがない限り解雇することは許されません。だから、人を採用する際には過度に慎重になってしまう。

現在問題になっている「働かないおじさん」も、解雇されることなく定年まで働くことができるからこそ、組織にのさばることができる訳です。

こういう制度は改善されていかなければならないと、私は思います。

政治的には「解雇法制」を改正すると言うと労働組合は言うに及ばず、多くのところから拒否反応があります。小泉進次郎議員が自民党総裁選で少し口走っただけで大騒ぎになったことは記憶に新しいところです。

解雇法制を改正したいのは財界の悲願のようなところもあります。「使えない人を簡単に解雇したい。」という本音は否定できないでしょう。だから制度を改正していく中では、そういう恣意的なことができないように知恵を絞ることは必要です。

でも、他方で、今の硬直化した労働市場を改善して人が循環するような法制度を作ることは不可欠だと考えられます。能力のある人が採用されるような労働市場を作ることで、企業にも求職者にもメリットが生まれてくるのではないでしょうか。

シニア男子のライフスタイル(2) ~「衣食住の衣=服」について~

1 本当に気に入った服だけにする。

多くのミニマリストの方の本を見ていると、本当に気に入った服(一軍の服)だけを残して他はすべて処分するということが書かれていたりします。

方向性としては、私も全く同感です。

 

ただですね。ライフスタイルの本を出したりサイトを運営しているような女性と比べると、私は「これだ!」という自分好みの服があるわけではありません。

そこで、男性向けのファッション雑誌やサイトなどを参考にしようと見てみると、例の「シニア男性は趣味を深め、金をかけた服を着る。」というバイアスが明らかにきつい。本気で参考にしたら、年取ったオタクかコテコテの成金おやじって感じになりそうです(モデルさんと自分は違うことを強く再認識)。

女性向けのファッション誌だと、もちろんブランド物もありますけど、シンプルなもの特集みたいなものがあったりするのに、やっぱり男性(それもシニア)だと「趣味に金かける」っぽい感じになっちゃう。

だからと言って、自分のファッションセンスだけで世の中渡っていけるほど甘くはないということは、私もわかっています。

 

だから、数少ないシンプルな男性ファッションを奨める人のサイトを見たり、息子の身に着けているものをさりげなく盗み見たりして参考にしました。

そうしてたどり着いた結論は、「自分が小ぎれいに見えて、できれば少しカッコよく見せるためには、オーソドックスな服をそろえるのがいい。」ということでした。実にシンプル。

 

2 私の現在の考え方

基本的な発想として、以下のとおりです。

 ・不必要に金はかけない。

 ・高価な服より、低価格でシンプルな服を買って、わりと頻繁に更新する。

 ・服自体が立派なものよりも、自分を引き立ててくれる服を選ぶ。

 

この基準で服を取捨選択していった結果、私の場合、気づいてみたら、多くは無印良品でした。

年を取るにしたがって、肌や体形は劣化していきます。これは自然の摂理です。だから、服自体が主張するブランドの服は、その自分の劣化を目立たせるように感じます。

むしろ、洗濯などメンテナンスの行き届いた白いシャツや黒のコートやスーツなど服自体が主張しないものの方が中身の人間を引き立ててくれます。

そう考えると、価格の高い服は必要ありません。

 

また、メンテナンスの観点からは、1~2年で服を更新していきます。「一生着られる質のいいコートを買いましょう。」とか「シャツは質のいいものがいい。」と言う人もいます。そういう人の意見を否定するつもりはありませんが、私は自分の今のセンスで一生モノを選べるとは思いませんし、質の良いものを長期間使うよりも短期間で更新していく方が服の劣化もなく小ぎれいに見える。違った服を着るという変化も楽しめます。

 

時計など「ちょっとした小物」には多少お金をかけるという楽しみはあってもいいと思いますが、それもあくまで「多少」です。

 

服を更新する過程で、クローゼットの中がどんどんミニマムになっていくと、とても気持ちがいい。

 

3 具体的に持っているもの

(1)下着など

 4セット(シャツ、ソックスなど)のみにしています。半年に1回は買い替えます。

(2)シャツなど

 ボタンダウンワイシャツが3枚。おなじくセーターが2枚(クルーネック(丸首)、タートルネック

(3)アウター

 チェスターコート、スプリングコートを各1着。

 なお、これ以外にバッテリーで温めるヒートベストを持っています。仕事で外に立っているときに使うので。真冬はこれとチェスターコートを組み合わせて着ますので、ダウンジャケットは処分しました。

(4)フォーマルウエア

 スーツを2着。

 今はほとんど使っていませんが、これからの人生の展開によっては使うので。

(5)くつ

 革靴3足、運動靴3足

 くつは、少し多めかなと思っていて、状況を見て革靴、運動靴ともに1足ずつ減らしたいと考えています。ただ、趣味でテニスをしていたり、ランニングなどもしているので難しいところです。

 

4 まとめ

大体、こんな感じです。

イメージとしては、こんな風に書き出せるくらいの量に減らすのがいいのではないかと思います。

シニア男性のライフスタイル(1) ~ミニマムな住空間~

「60代の男子、自分探しの旅(序)」に書いたとおり、女性のライフスタイルについては夥しい数の書籍やサイトでそれが紹介されていますので、私は男性のライフスタイル、それも人生の後半戦のライフスタイルについて、提案してみたいと思います。

今回は住まいについて。

 

私の住まいは、都内某所にある古いマンション10階建ての高層階です。

個人的には新築のマンションよりも古いマンションが好きです。リノベーションで変更できない共用部分のドアとか窓、ベランダなどは古い方が味わいがあります。新築の共用部分は綺麗すぎて安っぽく見えます。

専有部分は古いままだと使えませんが、自由に手をいれたら住みやすくなります。

高齢の女性が書いておられる本で、旧公団住宅(今はUR住宅)に住んでいることが紹介されていたりします。古い建物をリノベーションしていい感じに仕上がっていますが、それと同じようなイメージです。

 

シニアになると一人暮らしになる人がだんだん増えていきます。

人によって事情は様々だと思いますが、1人で住むことはメディアなどで言われるような悲惨なものではありません。気楽に自分のスタイルを追求できます。

 

私は7~8年前に一人暮らしを始めてから大幅にモノを減らしました。ミニマリストと言ってもいいと思います。

ミニマリストについては、私の中での分類があります。大体以下のような感じです。

1 原始ミニマリスト

 とにかくモノが少ない。部屋はガランとしていて、生きていくのに必要なモノ以外は徹底的に減らす生き方を追求している。ミニマムな生活それ自体が目的のようにも見える。

2 合理的ミニマリスト

 モノが少なくなることのメリットを意識している。多くのモノに囲まれて生活していた人が、どんどんモノを減らしてたどり着く「モノの少ない生活」。モノの多い『実家』をスリム化した後の生活のイメージだと思います。すっきりして気持ちがいいけれど必ずしもオシャレではない。

3 スタイル重視のミニマリスト

 モノは少なくするけれど、必ずしも生きるために必要のない趣味のモノや潤いを与えてくれるモノも最小限は残す。

 

私が実践しているのは、3のイメージです。ゆる~いミニマリスト

ただ、ゆるいミニマリストにたどり着くためには1,2のノウハウは必要不可欠です。ミニマムな生活にたどり着くためには、やはりゆるくばかりはやってられない。まずは、合理的に考えて必要ないモノをどんどん減らして、減らしすぎスレスレのところまで減らします。

それをやった上でないと、「趣味」とか「潤い」とか言った瞬間、モノが爆発的に増えていきます。

徹底的にモノを減らしてみると、ミニマムな生活の利点が見えてきて、モノを増やすことがいろいろな意味で馬鹿らしくなります。このあたりの詳細は、多くのミニマリストの方が、ミニマムにすることの利点として述べています。

 

我が家には、趣味的なモノもある程度あります。また、モノを減らす過程で、減らすばかりではなく自分のライフスタイルに合うように家具などを買い替えたりもしました。原始ミニマリストや合理的ミニマリストの人とは違うところです。

例えば、最小限ですが観葉植物を置いたり趣味の器を飾ったりしています。また、家具は古いものを長い時間かけて探して購入しました。また、リラックスできるようにライティングにもこだわりました。マンションを購入した際の照明はおおむね付け替えました。

 

前の記事にも書きましたが、家の居心地が良くなると、カフェ代が節約できます。

 

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また、自分の理想に近づけば近づくほど、購入するものが減っていって支出が減ります。精神的な余裕も出てきます。

これも退職して時間や気持ちに余裕ができたからこそ、できたことだと思います。

これからの人生でも、楽しんでいきたいと思います。

 

シニア男子のライフスタイル(序)

本屋さんに行って見ました。

ライフスタイルに関する棚を見ると、「こんな風に生活しています。」、「こんなところに住んでいます。」、「自分の生活で大切にしていること」とか様々な提案をしている本が並んでいます。装丁もシックなものからポップなものまで色々です。

ただ、著者を見てみると女性ばかりです。

 

女性ならば、こんなご高齢の方の著書もあるのに、男性はない。

 

なぜなんだろう?

これだけ多様性が叫ばれ、ジェンダーに関する主張にあふれているのに、ことライフスタイルということに関しては、女性ばかりです。

例えば、「高齢男性のライフスタイル」って感じの本を見たことあります?

私が探したところだと、ほとんど無い。

 

 

(高齢)男性の生活を想像してみると・・・。なんだか荒んだ様子が思い浮かぶ・・・ということなんでしょうか?だから、誰も興味を持ちそうにないから本が出版されることも無いということ?

 

ネットで検索するともっと面白くて、「男性 ライフスタイル」というキーワードで検索したら、高級腕時計や服飾関係を紹介するサイトが多くヒットします。高齢男性のイメージは「趣味にお金を使う人」ということなのか?

更に、関連キーワードで表示されたのが

「男性 ライフスタイル に関連する検索
  自分に合った生活スタイル
  40代女性 ライフスタイル
  50代女性 ライフスタイル
  理想のライフスタイル 女性
  女性のライフスタイルの変化
  女性 ライフスタイル 多様化
  女性向けライフスタイル情報
  女性向け コラム」

 

「男性」というキーワードで検索したのに、関連するキーワードで表示されるのが「女性」だけ!!!なんで?

 

 

一応ムキになって探せば、男性のライフスタイルの本も全然ないわけではありません。

でも内容が、マニアックな趣味を掘り下げたり、高価なものを探し求めたりするものがほとんどです。「生活感のあるものは女性、社会に向けた仕事、趣味とかに関するものは男性」ということなんでしょうか?

でも、ジェンダーの観点から言うと「ふるっ(古)!」って感じ。

 

という訳で、「これまであまりなかった人生後半戦の男性の生活のデザインや暮らし方、人生についての考え方なんかをこれから綴っていけたらいいな。」と思っています。



人生の「先輩」方へ一言 ~「働かないおじさん」と言われないために~

60歳になりました。シニアの仲間入りです。

自分世代や年上の人について、前の職場で感じていたことや、退職してからの経験で考えたことなどを、自戒を込めて書いてみたいと思います。

 

現役の頃から、「働かないおじさん」については考える機会が多く、これからの課題になるだろうと確信していました。今回は、「働かないおじさん」の原因分析とかは置いておいて、私なりに「働かないおじさん」にならないためには、どうしたらいいのかを提案してみたいと思います。

一言で言えば「おじさん(おばさん)、もっと働きましょう。」ということになるのですが、私のイメージする理想の「働くおじさん(おばさん)」を書きます。

 

1 モチベーションを高く保っている

役職定年や再雇用になった瞬間からモチベーションがガタ落ちになるおじさんはたくさんいます。「もう出世は無いんだから、やりたいようにやる。」とか「給料も下がったし、この程度でいい。」とか公言してはばからず、「余生として楽に生きる」ことを実践すべく手を抜く。

でも、思うんですが、世の中先輩よりもずっと安い給料しかもらっていないのに一生懸命働いている後進がたくさんいます。その組織でも、国という大きな視点で見ても、周囲を支えている人たちがたくさんいます。勝手に余生の場としてはいけない。

その態度は周囲の足を引っ張り、組織全体の士気を下げています。

働き続けるのならば、モチベーションを高く保つ方法を自分自身で模索しましょう。

例えば、後進を助けることを生きがいにする・・・とか。

 

2 自分と関わる人に敬意を持ちつつ謙虚である

人間、年を取るに従い自分の意見が絶対だと思うようになります。年寄りは一度言い出したら考えを変えません。自分がそうなっていることに気づかない人もたくさんいます。

頻繁に「自分が正しい」と考えたり主張したりする人は、危ないと思います。自分自身で気づきましょう。

自分よりも若くても経験が無くても、その人の言葉にきちんと耳を傾けられる、また、そういう態度を取れる人になることが重要だと思います。

人は誰しも年を取るに従い「独りよがり」になりがちですから、謙虚な態度を「再度」身に着けようと意識するのがいいのではないかと思います。自分の態度は不遜になっていないか?態度はデカいくせに後進や周囲に依存していないか?常に顧みることが必要です。

 

3 周囲と協力して新しいことに挑戦している

IT、パソコン、DX等々から逃げ腰で後輩に迷惑をかけているおじさんは多く棲息しています。また、自分の経験の範囲内でしか働かない人も多い。

間違っても「僕はパソコンが苦手なんだよね。」と言って、後進に仕事を押し付けないようにした方がいい。自分自身では、「ちょっとやってもらっているだけ」と思っているかもしれませんが、その考えは厳禁です。私は、現役時代、そう言われると「じじい(ばばあ)。自分で学べ!」って思っていました(反省)。

古いやり方に固執するのもダメです。システムよりも「紙の帳簿がいい」などと口走ってはいけません。今そんなことを言っている人は、もう「恐竜の化石」並みという自覚を持ちましょう。

更に、多少自信のある人も「サポートする」という上から目線ではなく、後輩と協力して事に当たりましょう。技術は日進月歩です。若いも年寄りも関係なく、常に新しいものに対応していかなければなりません。

パソコンに限らず、新しいことにも「協力して挑戦する」という姿勢が大切だと思います。

 

4 後輩に成果を譲る

自分の上げた成果は後輩に譲りましょう。譲ったことは忘れましょう。

先輩方がまさにおっしゃるように「もう出世はない」し、「給料も上がりません」。何のために自分の成果だと誇る必要があるのでしょうか?

もしも自分の能力を発揮して成果を出せたとしても、自分自身がそれに満足するだけでいいのではないでしょうか。

自分と一緒に仕事をしてくれた後進に感謝し、成果はその後進のお陰であると手柄を譲るようにしましょう。

 

5 あとがき

前の職場でも今の職場でも、更に社会を見渡してみても、一部の誠実な人に負担が偏り、そういう人が社会を支えているにもかかわらず社会的に感謝の念も無ければ、報酬が支払われることもない。常々疑問に思ってきました。

働かないおじさんを始め多くの人が「一部の誠実な人」にぶらさがっています。

でも、現役世代の「一部の誠実な人」の多くは文句も言わず(言っても仕方ないから)、組織や社会にぶら下がる人のためにも日々仕事をしています。そういう誠実な人の負担が少しでも減るような社会になるといいなと思うとともに、そういう人が「もうそろそろ自分の人生を生きたい」と思ったときにお手伝いできたらいいなと考えて、自分の人生を模索しているところです。

 

図書館考 ~「参考書を持ち込んで学習をしてはいけない図書館」は当たり前なのか?~

1 図書館の現状

以前の記事で書いたのですが、今の多くの公立の図書館は朝からお年寄りが占拠しています。開館直後に入館して主に新聞や雑誌を読んでいます。

こういう図書館で、現役世代や学生が閲覧席を使おうとすると、かなりのプレッシャーを感じます。

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もちろん、シニア世代が新聞や雑誌を読むのも自由です。そのことについてとやかく言うつもりはありません。

でも他方で、やはり現役世代や学生などは使いにくい。

 

使いにくい理由としては、図書館が学習を禁止していることがあります。

「資格試験の勉強をしたり学生が試験勉強をするのは、遠慮してください。」ということです。新聞や雑誌を含め蔵書の閲覧はできるけれど、自分で持ち込んだ本や資料を読んだり勉強をすることはできない。

でも、現役世代や学生が図書館を使うとすると、大抵は勉強、自習をする場所を求めているのではないかという気がします。確実にそういう需要があると思う。

 

また、パソコンなどの電子機器の使用を禁止しているのも理由の一つではないかと思います。

現在、何らかの調べ物をしようとしたら、ネットで調べることは不可欠ですが、それが禁止されている。「図書館の外でやってください。」ということです。

調べ物をしようにも使いにくい。

 

現状は、多くの公立の図書館はお年寄りに新聞雑誌を読んでもらう場所になっています。自習を禁止して、電子機器の使用も制限してその他の世代が使いにくいから、図書館の利用者はお年寄りに偏っているわけです。

 

2 図書館で学習することは悪いことなのか?

私は昔からずっと疑問に思っていました。

そして、一度ならずこの疑問を口にしたこともあるのですが、大体「図書館は図書館にある本を読むためのところであって、自習をするところではない。」とか「図書館にある本を使う訳でもないのに、図書館で勉強するのはおかしい。」とか言われました。

でも、この理屈に私は納得できません。

 

「図書館はその蔵書を読む場所」という理屈が必然的に、自習を禁止することに結びつかないと思うからです。

そもそも図書館は国民や市民の教養を深めるためにあるもので、そのためには図書は不可欠ですから、国や地方公共団体が図書館を運営しています。

でも、教養を深めるために必要なものは図書に限りません。

だからこそ、最近(と言ってもかなり前からですが)では、図書館によっては蔵書だけでなく、視聴覚室があったり、現在ではインターネットに接続したパソコンがあったりする。図書だけではなく、DVDなどの記憶媒体やネットなどから、知識を吸収することが、最近の図書館では想定されてきているわけです。

こういう状況の下、多くの図書館で、利用できるものを図書館の蔵書や限定された(備え付けの)電子機器に限定し続ける理由とは一体何なのでしょうか。

 

すでに時代は、図書館が「勉強をするための場所」となることを求めているのではないだろうか?と私は思ってしまいます。

図書が図書館のものかどうかとか、電子機器が図書館備え付けかどうかとかいうのは、些末なことなのではないか?知識を吸収するための物が自分で購入した参考書や本であっても、あるいは持ち込んだパソコンで検索した情報であっても、そこで勉強、自習をすることは許されるというのが自然な考え方なのではないでしょうか?

 

3 新しい形の図書館

結局、図書館をどういう風に使ってほしいのかというのは、もっと自由に図書館側が決めていいのではないか。「図書館で自習は禁止」というのを当たり前の前提とすることなく。

 

そんなことを考えていたら、都内に見つけました(ここには具体的に書きませんが、ネットで検索したら簡単に見つかります。)。

正面から自習を認める図書館です。また図書館で声を出して読んだり、ディスカッションをすることも想定されていて、コワーキングスペースがあったりします。持ち込んだパソコンの使用が許されている席も多くあります。

行ってみたら、閲覧スペースがとても広く、席数も多く確保されていて、すごくいい感じでした。

 

全体の印象としては、勉強している人が多い。勉強している人の属性としては、現役世代や学生など多岐にわたる印象です。もちろんシニア世代が新聞、雑誌を読んでいたりもする。

図書館が、全世代に開放されている感じを受けました。それぞれの人がそれぞれの方法で教養を身に着けようとしている。

やっぱり、図書館はいろいろな人が利用できるようにした方がいい。偏狭な理屈で排除する人を作らない方がいい。

 

4 図書館の役割

伝統的な図書館の在り方についても、それぞれに根拠があって、それなりの合理性はあったのだろうと思います。一概にダメだと言うつもりはありません。ただ、他方でそれがすべてだとも思わない。

時代に合わせて役割は変化してもいいんじゃないですかね。

 

新しい試みをしている図書館に行って思ったのですが、本を読んだり、パソコンのサイトを見たり、皆それぞれの方法で一生懸命に自分を向上させようとしていることが感じられました。こういうスペースが増えると、きっと優秀な人材が自然と増える。

 

今の日本は人材を育成するモチベーションが著しく低い。また、優秀な人材を外国から受け入れようとしているようにも見えません。こういう弊害を打破するためにも自らで研鑽して成長する人をサポートするような施設の存在は不可欠だと私は感じます。

また、様々な人材が育つことにより多様性を後押しすることにもなるような気がする。

 

図書館の役割は大きいと思う。