スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

学問のススメ 炎上させるのではなく、議論することの重要性

ワールドカップも終盤です。

ビールを飲みながら、「そこで選手交代だろー」とか「何でそこでシュートしないんだあ」とか言いながらスポーツ観戦するのって、楽しいです。

そんな昭和なオヤジは、息子たちからするとうるさいらしく、「じゃあ。自分でやってみろ」と言われたりもします。

 

 

そういう私ですが、ネットやマスメディアを見ていると、「じゃあ、自分でやってみろ」と言いたくなることが頻繁にあります

今回のワールドカップなどのスポーツだけではなく、本当に様々なことについて、公的な場で批判的なことを述べる人に対して、「じゃあ、自分はできるのか」と突っ込みを入れたくなることが本当に多いのです。

 

ワールドカップサッカー日本代表に対する中傷は、そういう社会の縮図のような気がします。自分は安全地帯にいながら、他人の上げ足を取ったり、批判をする。そういう人が世の中に溢れています。

 

少しさかのぼりますが、コロナが流行し始めた時、政府の決断が遅いとか間違っているとか連日、朝から晩まで非難をしていたマスメディアを思い出します。誰も正解がわからない状況で、批判ばかりを繰り返していました。

あらゆることについて、実際にその問題に対峙している人に対する敬意が全くない社会、そのなれの果てが炎上社会なのだと思います。

 

 

1か月ほど前、港区三田の慶応大学の中にある「福沢諭吉記念 慶應義塾史 展示館」に行ってきました。

 

建物は歴史を感じる重厚なもので圧倒されますが、勇気を出して入ってみました。平日だったこともあり、中は人が少なく、アカデミックな雰囲気に酔いながら、展示に没頭することができました。

福沢諭吉の言ったことや書いたことがパネルでわかりやすく説明されています。

 

福沢先生は、「日本人は欧米がいいとなれば無批判にその結論を追い求め受け入れようとする」と指摘されていて、自分の頭で考えて、必要があれば議論をして判断をすることの重要性を説いていました。

 

「これが正しい」という結論を求めて右往左往する日本人を見るに見かねたのでしょう。自分の頭で考えて、自分で判断する。そのためには、必要があれば、人と議論をして反対の立場をも深く理解し結論を模索することが重要と、明治の社会に発信していたのです。

 

企画展示では、千葉県の小さな村落が「学問のすすめ」の影響を受けて、言論で当時の行政を動かした「長沼事件」を取り上げていました。

 

言論を対等に戦わせながら、結論に迫っていく姿勢の大切さを強く感じました。そういう過程で反対の立場の考え方への理解も深まります。

安全地帯から自分の考えを人に投げつけて炎上させるのとは、一線を画する考え方です。とても勉強になりました。

 

 

前述のコロナ報道を挙げるまでもなく、マスメディアの批判の洪水には目に余るものがあります。

ただ、それに付和雷同しているのは我々です。結局、みんなと同じ「正しい結論」が欲しくて、それを与えられることで安心してしまう。だから、マスメディアも「これが正しい」という結論を示そうとするのではないでしょうか。

 

個人的には、そういう風潮には厳に惑わされず、一般に良いとされていることを批判的に検討し、悪いとされていることもその背景を理解した上で悪いのかどうかを検証するという姿勢を失わないようにできたらいいなと今回の展示を見て改めて思いました。

ともすると反対意見を理解しようとする姿勢自体が批判されるような社会ですが、目立たなくても、粛々と人生を歩んでいきたいと思います。

自分は自分、人は人ですから。

 

 

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