JAXAのH3ロケットの打ち上が、直前に異常が検知され中止となりました。
これが、共同通信(およびその配信記事を使ったメディア)では「失敗」と報じられました。
記者会見で「失敗」と認めないJAXAの担当者の態度が頑なだとして、共同通信社の記者はいら立ち、最後は「それを一般に失敗と言う」との言葉を投げつけて質問を終えたのです。
これに関してはネット等でも相当のリアクションがあり、記者の態度を批判する人も多いです。
今回の出来事が失敗だったのかどうかを詳細に検討することは、ここではやめますが、最近気になるのは自分の価値観を他人に押し付ける記者の傲慢さです。
「それを一般に失敗と言う」という価値観は明らかに偏っています。「一般」と言われて、「えっ?俺は違うけど」と思った人は多いのではないでしょうか。
だからこそ、ネットでも批判が巻き起こった。
記者なり、共同通信社がその責任の下、「失敗」と評価するのであれば、それは「あり」だと思います。でも、素人である記者なり通信社が、ロケット打ち上げのような専門分野について「失敗」と判断することは難しいでしょう。
それなのに、「失敗」と書きたいから、「失敗」と言わせようとする。素人である記者の頭の中には「失敗だ」という思い込みによる価値観が先行していて、それを専門家である担当者に押し付けようとしている。
私も素人ですが、ごく控えめに言って、「具体的な原因究明は今から」というのですから、失敗かどうかなんて、わかるはずもないと思ってしまいます。
一定の価値観を正しいと思い込んで相手に対して不寛容になることは控えた方がいいと思います。
スペインの社会学者、哲学者のオルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」という本を大学自体に読もうとしました。
「読もうとした」というのは、難しくて読んだとまでは言えないという負い目があるからですが、この本には極めて印象に残るフレーズが多く出てきます。
「現代の大衆の特徴は、自分を凡俗であると認めながら、凡俗であることを大胆に主張して、凡俗さを権利として相手に押し付ける」というようなことを言っていたと記憶しています。
素人が「これが正しい」という価値観を、人に投げつける様子と重なります。
もしも、記者が「失敗」だと判断するのであれば、自らも専門家並みに勉強した上、コラムなどで意見を開陳したらいいでしょう。少なくとも相当数の人が聞く耳を持つくらいの説得力のあるコラムを書けるのであれば、是非書いてほしいと思います。
「大衆の反逆」には、確か「エリートとは、自分自身に義務を課すことのできる人」ということも書かれていました。
メディアに属する人たちは、情報を国民に提供するという重要なポジションに身を置いています。自分自身が自らに対して、他の人に寛容であるという義務を課すことを考えてはどうでしょうか。
私は、報道対応をする部署で働いていたことがあります。
その際、いろいろな記者の方とのやり取りも経験しました。腹を割ったやり取りをして、こちらの説明の真意をきちんと汲み取ってもらったこともありますし、批判的な記事になったこともあります。どちらも貴重な経験だったと思います。
その際、記者が記事を作っていく過程に触れただけでも、記者の仕事の難しさを感じることができました。
すべてについて専門家ではない記者が、限られた時間の中で対象者に取材をして国民に伝えるべきことを紡いでいく作業というのは、本当に大変だと思いました。
マスメディアで働く人の多くは、尊敬に値する立派な人だと信じるに足りる経験だったと思います。一律にメディアを批判するつもりはありません。
でも、だからこそ、今回のような価値観を押し付けるようなことは自重して、他者に寛容な姿勢を貫きながらも、本質を突いた記事を配信してほしいと切に願います。