スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

早期退職後の生活は充実しているか。 ~「諦め」の蔓延する職場から離れて~

現在、わりと充実した生活を送れています。

 

思い切って前職を退職する前は、「退職後の人生や生活って、どんな風になるんだろう?」と不安に思い、良くも悪くも「静かな生活になるのかな。」などと思っていました。

実際は、「かなり忙しい。」というのが実感です。

 

退職直後こそ、何もせずゆっくりしましたが、「これからの人生をどうしたいのか。」を考え、それを実践しようと動き出したことで、次第に多忙な生活になってきました。

当初は、「再就職をするに際して、現在の労働市場ってどうなっているんだろう。」という疑問を実地に体験すべく、そこそこ忙しくしていました。

その後、再就職をした今は、週に4日が仕事で、土日月がお休みです。この3日間に趣味のテニスをしたり、人と会って食事をしたり、その他やりたいことをやっています。ここ数カ月はこういう予定が1日に複数入ったりしていて、完全に休みの日はなかなか確保できないほどです。

趣味をもとに人との繋がりが広がりましたし、そういう中で新たな発見があり、将来的にやりたいことも見えてきました。

 

 

前の職場を辞める理由の一つとして、「やる気のない職員に囲まれていたこと」が挙げられます。言葉を変えて言うと、将来を諦めている職場だったということです。

そうなってしまったのには様々な原因がありますから、諦めている人をむやみに責めるつもりはありません。

でも、その人が必ずしも悪いとは言わないとしても、「どうせ頑張ったって組織は変わらない。」とか「やっても結果は見えている。」とか「自分が働いている時さえ無事に過ごせたらいい。」と考えている人ばかりの職場に留まれば、自分自身もそうなってしまうと強く感じました。

 

その頃から、「自分が仕事をしているやりがいって何だろう。」と考えてきました。

 

今から16年前の2008年の北京オリンピック、メダルを獲ることは難しいと思われた男子陸上短距離の400メートルリレーで、塚原、末續、高平、朝原の各選手の日本チームが銅メダル(結局は上位チームが失格で銀メダル)を獲りました。

このことで、リレー競技は日本が得意とするものとなり、その後のオリンピックでは注目の種目となっています。

 

リレーの面白いところは、出場する4人のタイムの合計が速いからと言って必ずしも勝てるわけではないこと。ただ、そうは言っても、南米などの身体能力の高い人たちと比べると不利であることは明らかです。でも、諦めず全力を尽くすことで、結果が出ることがある。

この「諦めず全力を尽くす」というところは、すべてに共通することではないかと思います。

 

 

リレー選手の中で一人でも諦めた人がいたら・・・、間違いなく、結果を出すことはできないでしょう。

諦める人がいなかったら・・・、もしかしたら結果が出るかも知れない。もちろん、現実はそう甘くはなく、結果はやはり出ないかもしれない。

それでも、諦めずにやったことが、それぞれの参加者に納得のいく結果をもたらすのではないでしょうか。それが、将来につながる。

北京オリンピックのリレーは、各選手が諦めることなく全力を尽くすとともにチームとしてバトンパスの技術を磨き、メダルを獲得しました。金メダルではなかったけれど、日本チームも金メダルを含むメダルを狙えるポテンシャルがあることを明確に示したことで、将来の日本の短距離陸上に大きな影響を及ぼしました。

 

 

現在の日本社会は「諦め」ムードが蔓延しています。

「どうせ変わらない。」、「楽に生きたい。」、「自分だけ運よく困難にぶつからないといい。」という雰囲気が強く、自分を強く主張したり、新たなことにチャレンジしたりすることがどんどん無くなっている。

言うまでもなく、政治も経済も旧態依然としたままです。バブル期の水準に株価が戻ったと喜んでいますが、30年前に戻ったというだけです。

こういう社会に身を委ねていても、満足のいく幸せな人生にはたどり着けません。

 

 

諦めてしまった環境にいつまでも身を置くことは、良くない。

そこから自分の意思で離れ、たとえ逆境でも、人と違っても、諦めず自分の人生を歩んでいける人が、結局、幸せになるのではないかと、今、感じています。これからものびのびと試行錯誤をしながらも進んで行けたらいいなと思います。

 

(コラム)早期退職後1年半、ここまでの生活を振り返る。~精神的安定について~

前の職場で働いていた頃は、いつも不安でした。抱えている仕事を全て完璧に処理できるかどうか心配で、夜中に目が覚めたことも度々ありました。目が覚めると、頭の中を仕事のことが回って眠ることができなくなりました。早朝に目が覚めることもありました。

睡眠に支障が出ると、間違いなく体調に異変を来します。

程度の差こそあれ、そういうことを繰り返して来ました。

 

仕事を辞める直前はとてもブラックな職場で、精神科に通って睡眠導入剤を処方してもらうなどしながら何とか乗り切りました。退職した直後は、ものすごくほっとしたことを覚えています。

でも、退職直後は、仕事が無くなったからリラックスしようとしたのですが、なかなかできませんでした。

 

退職してから1年半以上が経った最近、やっとそういう状況から抜け出したように感じます。

夜、目が覚めても、また眠りにつくことができます。朝は明るくなって目が覚めます。目が覚めた時の気持ちもすがすがしい。

現在の生活や仕事に、全くストレスが無い訳ではないけれど、きちんと生活できていると感じます。

 

 

振り返って切に思うのは、自分の人生は自分で選択することが大切だということです。

前職だって勿論、自分で選択して就職した職場です。でも、そこにいつまで留まるかどうかも、悩んだけれど、自ら決断しました。

悩みましたが、退職する決断をできたことは、とても良かったと思います。今、毎朝、感じています。

 

 

精神的な余裕ができたことで得たものは多いです。

 

自分の人生を考える時間ができた。

自分の身体を大切にするために健康診断などに行くことができるようになった。

息子が小さい頃、輸血で助けてもらいました。恩返しに献血に行くこともできる。

ゆっくり体を休めることもできる。

付き合いたい人と時間を作って一緒に過ごすこともできる。

趣味に没頭することもできる。

今まで知らなかったことを勉強する時間もできた。

 

まだまだあると思う。

 

 

他方で、前職はブラックだったけど、その経験で培ったことも多い。

現在、幸せな気持ちで生活ができているのは、その経験に依るところが大きい。何千件と経験したクレーム対応のノウハウは、実は、人間関係一般で応用できるものであることに最近気づきました。このブログを書くなどは前職で無数の決裁文書を作ったからこそできることだと思います。

hatasan2.net

 

結局、人生というスパンで見れば、良いこともあれば悪いこともあります。人生は全て塞翁が馬です。

でも、悪いことばかり起こると思う時期でも、真摯に問題に向き合えば、その経験は後の人生に必ず役に立つ。そう思います。

そう思えた時、幸せを感じられるということなのかなあ・・。

 

(コラム)早期退職後1年半、ここまでの生活を振り返る。~健康診断にも行けなかった以前と今の生活~

前職で多忙を極めていた頃、「健康診断には必ず行くように」というお達しが回り、部下職員にも必ず行くように言っていましたが、自分は行けないことの方が多かった。健康は大事だとわかっていても、職場は慢性的な人手不足で余裕などどこにも無いような状態の中、すぐに処理しなければならない仕事も多く、気づいた時には健康診断の時間が過ぎていました。

 

幸せなことに両親から授かったこの体は、健康診断では長い間、異常値が出ることもなく過ごして来ました。でも、さすがに異常なまでの忙しさの中、どこまで持つのか不安を持ち続けていました。

 

 

退職してから、近所の病院に健康診断に行きました。結果は異状値は特になし。でも、血圧がやや高いと言われました。先生が丁寧に説明をしてくださって、「一つの方法として体重を落とすことを考えてもよいのでは。」とのことだったので、それからダイエットを始め、現在は退職時と比べて10キロほど痩せました。

 

仕事を続けていたら遅かれ早かれ何らかの異常が出ていたのではないかと思います。慢性的なストレス、睡眠不足、アルコールの過剰な摂取など、原因になるものが満載でした。

今は、ストレスもほとんど無くなり、アルコールも適量の範囲です。そのせいもあって睡眠もよく摂れます。体重を落としたせいで、実感として体が軽くなり、ほとんど持病と化していた腰痛も無くなりました。思わぬ副産物として、体が軽くなり、テニスで動きがよくなりました。

 

 

当たり前以前の問題として、健康はすべての基本です。

健康を害するような生活からは、できる限り速やかに離脱することが何よりも大事だと痛感する毎日です。

 

くつろぎ空間を作るために、ミニマムな生活をする。

ミニマムな生活をするのが気に入っています。

前にも書きましたが、私はミニマムにすること自体が目的なのではなく、ぎりぎりまでモノを減らすことで生活の質を上げることを目指しています。

 

おしゃれなフロアランプを購入したのに、部屋が散らかっていておしゃれに見えない。いい感じの小物を手に入れたのに、モノが多くて飾るところが無い、更に言えば、飾ること自体を忘れてしまっている。

こういうことって、ありませんか?

 

自分の持っているモノを全部出してきて広げて見なくても、頭の中で管理できるようになってくると、生活に自分なりのスタイルが出てくると思います。

モノが溢れている家は、モノの中身は違っても、家に入った時に受ける印象は大体同じです(もちろん、手間暇をかけて多いものでおしゃれに暮らす人もいますが、例外的です。)。でも、モノが少なければ、そこにある家具や小物などに個性が感じられるようになる。

 

玄関を整理して、靴は全て靴箱に入るようになれば、モノを置かなくて済みます。そうすると靴箱の上などのスペースが空く。そこに小物を一つだけ飾ってみると、いい感じになります。香を焚いてもいい。

お風呂を片づけて、最小限のモノにすると、体を洗う洗い場ではなく、くつろぎ空間になって体のみならず気持ちも清々しくなる。

キッチンに余計なモノが無くなると、鍋ややかん、皿などのデザインがクローズアップされて、ステンレスの鍋がスタイリッシュに見える。

リビングの机の上にその時に必要なモノしか無くなると、今やるべきことに集中できるようになる。ブログの執筆、読書、食事・・・そういうことを「やっつけ」感なくきちんと丁寧にすることができるようになる。

クローゼットの中に余裕が出てくると、たくさん服を持っていた頃よりも、センスのいい服装ができるようになる。

 

生活の質が、段違いに向上することを実感できると思います。

 

仕事が忙しくて片づける暇もないとか、そういうことを考える余裕がないという人も多いと思います。自分自身がそうでした。

でも、そういう環境に置かれていれば猶更、生活をミニマムにすることを考えてみてもいいと思います。やらなければならないことが激減します。

なにより、何のために働いているのかも見えてくるのではないか、そう思います。

 

私の理想とする「おひとりさま」生活 ~人生の林住期を過ごす。~

最近「おひとりさま」という言葉をよく聞きます。

女性のおひとりさま旅行、老後のおひとりさま生活、おひとりさま宿泊・・・。ニュアンスとして、従来の「一人は寂しい」という価値観の対極のスタンスとして、「おひとりさま」をポジティブに捉えようとするものが多いように思います。

 

私自身、離婚した後、子どもたちは一応独立して、世間的に見れば「おひとりさま」です。

 

退職した直後から1年ほどは、「生活にどの程度お金がかかるのか」を一つのテーマとして、お金の動きをモニターしていました。

お金の使い方の方針としては、基本的には必要なお金に絞って使うということにしました。他方で、ひたすら最小限に切り詰めるのではなく、そのままの生活を続けても、決して無理なく人生を楽しめる程度のお金は使うということにもしました。

具体的には、規則正しい生活をして自炊をする。趣味や娯楽は、読書を中心に静かな生活をする。テニスを週に数回やる。街歩きをしながら、時々、都区内の美術館、博物館、歴史資料館などに足を運ぶ。また、数カ月に1度程度、1~2泊の一人旅行に行く。そういう生活をしてみました。

 

こういう生活をしたら、結果的に、活動をするのは人が少なく、コストもかからない平日が多くなったため、旅行は一人旅。街歩きも、その際のたまの外食も一人でした。つまり、知人と関わるのはテニスの時だけで、その他は「おひとりさま」感満載の生活をしていたということです。

 

 

もともと一人で活動すること自体は好きでしたが、この経験を通じて、更におひとりさまの面白さを再認識しました。

 

私が一番いいと思うのは、自分と対話ができること。

一人の時間が嫌いという人は、「さびしい。」、「人の目が気になる。」と言います。でも、私自身は、人と対話をする代わりに自分と対話しているから、さびしさを感じる時も、人の目を気にする暇もない。むしろ、「気を遣う」という、人と一緒の時のデメリットを一切感じなくて済みます。

なかなか「自分との対話」をしにくければ、本を持っていればいい。本を読めば、精神活動が活性化されますから、自然と頭の中で自分との対話が始まる。食事の時は、本を読むわけにはいかないけれど、メニューを見て色々想像したり、提供された食べ物について考えたり感じたりしていると、有意義な時間が過ぎていきます。

 

もちろん、本も読めないなど落ち着けない場所もあります。「あっ。失敗した。」と思うこともある(最近の喫茶店、カフェはそういう傾向が強まっていると感じます。)。

でも、そういうことを含めて、楽しめるメンタリティがあれば、「おひとりさま」は絶対に楽しいと思う。

 

角度を変えて言うと、自分の持つ感性や知識、経験などを踏まえて、自分で自分を楽しませることができるならば、おひとりさま時間は無限に楽しい。

「絶対にダメだろうな。おひとりさまを楽しめないだろうな。」と思うのは、人に楽しませてもらうことを当たり前だと考えている人。長年組織の中で生活して、人にお膳立てしてもらうことが常態化していると、そういうメンタリティに陥りやすいんじゃないかなって感じます。また、ゲームや人との競争など枠の中での勝ち負けに至上の価値を置く人もなかなか楽しめない。人との比較でしか物事を見られない人もそうかもしれない。

こういう人たちは、人の評価や勝ち負けなど自分以外のものが価値の基準になっているから、純粋に自分の精神的な深みに降りていくことに面白みを感じないのではないかと推測しています。

もちろん、人と交流することが好きで一人で過ごすことを単純に好まない人もおられるので、そういう人を否定するつもりは一切ありません。念のため。

 

小学校から始まって(あるいはもっと前から)、職場を退職するまで、多くの時間を人と関わりながら過ごして来ました。「おひとりさま」の時間を過ごそうにも忙しすぎて、そんなことできなかったというのが正直な感想です。

多くの人と関った経験自体は貴重なもので、それがあるからこそ今の「おひとりさま時間」を有意義に過ごせているとも言えます。

でも、人との関りはとても大切なものですが、一人で考えを深めることもそれと同じくらい大切なのではないかと感じます。

 

このブログで何度か書きましたが、50代から60代くらいは林住期です。俗世から少し離れて自分と向き合うことは、自分の人生を深みのあるものとするだけでなく、次の70代以降の遊行期に向けての準備になるのではないか、そう思いつつ、今の生活を楽しんでいます。

 

hatasan2.net

 

hatasan2.net

 

hatasan2.net

 

ミニマムな生活 ~最大のハードル「書類を減らす。」~

5年前に現在のマンションに引っ越してから、本格的にモノを減らし始めました。

その後、退職して時間に余裕ができたことによって、ミニマムな生活に更に近づいています。もともと、ゆるくミニマムな生活を心がけてはいたのですが、時間や気持ちの余裕ができると、生活を絞り込む作業もはかどります。

 

最近、手をつけたのが「書類」の整理です。

以前から不要な書類は捨てるようにしていたのですが、それでも相当の量が溜まっていました。書類の溜まる理由は、捨てる前に書類の中身を吟味しなければならない点にあります。

例えば、服であれば「1年間様子を見て着なかったものは捨てる。」ということができますが、書類はそうはいかない。

 

多くのミニマリストの方の本やサイトの記事などでは、書類については、まずは溜まる前に捨てることが大切だと書かれています。ポストに投函されるお知らせやチラシの類は、ポストから持ってきた時点で不要なものを捨ててしまうとか。

これは、これまでも実践していました。

 

でも、どうしても即座に捨てられないものもあります。

公的なものだと、税務署、年金機構、健康保険組合からのお知らせやワクチン接種の証明書など。公的なものではなくても、保険関係の書類などは、捨てられないものが多い。

また、様々な契約関係の書類も、残しておかねばならないことがあるし、大きな家電などの保証書も捨てられない。

 

他方で、送付されてきたのが大事な書類でも、そういう書類に付随して同封されて来たパンフレットや説明書などは不要なことも多い。

でも、それを分けて、捨てる判断をするにはそれなりに手間と時間をかける必要があります。

 

ミニマムな生活を実現するよう努力してきて、「書類の整理」はかなりラスボス的な位置づけだと気づきました。

 

 

そこで作戦を立てました。

「どうしたら不要な書類を処分するための手間と時間を捻出できるか?」、「どうしたら途中で挫折しないか。」ということを考えていたところ、ヒントになる本に出会いました。四角大輔さんの「超ミニマル主義」です。

著者の四角さんは毎朝、机の上の物をすべて片づけ、綺麗にした上で、現在ある書類すべてに目を通すとのこと。なるほど。

 

 

「これはいい。」と思ったのですが、当然のことながら、この方法を実践するには既に書類が少なくなっていることが前提です。だから、そこまでは頑張る必要がある。

そこで、自分としては、毎朝机の上の物をすべて片づけ、机を拭いて綺麗にしたところに、溜まっている書類をすべてとはいかなくても、その日に見ることができるくらいの量を出して、整理することにしてみました。

 

それなりに継続する努力は必要ですが、

・毎朝机の上のものを片づける。

・机を拭く。

・その日に見る書類を出す。

・書類の取捨選択をする。

・書類を見てやるべきことをやる。

ということを繰り返したところ、大体1か月くらいで、毎日見なければならない書類の量が適正な量まで減ってきました。「適正な量」というのは、すべての書類をその日の朝に見ることができる量ということです。

この作業をやっているうちに、多くの書類は中身を見なくてもその日に処理する必要があるかどうかがわかるようになってきます。

最近は、2~3日に1度程度見ればいい感じになってきました。

 

 

この経験を通じて、書類を整理する困難さを実感しました。

それとともに気づいたのですが、自分の書類でさえ、こんなに労力がかかるのだから、これが人の書類であれば困難を極めるのではないか。

何が言いたいのかというと、人が亡くなって遺品整理をする際には、遺された人が大変な思いをするということです。実際、自分の実家を眺めてみると、余裕で本棚一つ分くらいの書類があります。

 

将来的には、親の書類を整理することになるとしたら、・・・・。考えただけでぞっとします。

自分だって、いつ死ぬかはわかりません。できる限り早い時期に「書類の整理」をして、立つ鳥跡を濁さず・・・、そう考えて日々不要な書類を処分し、必要な書類だけを残すよう努力しています。

 

(コラム)早期退職後1年半、ここまでの生活を振り返る。(6) ~現在の日々の生活~

某有名官庁で公務員をしていました。退職直前の生活は、大体こんな感じでした。

平日(月曜日~金曜日)は、朝5時に起床、6時半に家を出て、8時過ぎに職場に到着。8時半から17時の定時までは仕事。残業が平均2時間くらいで19時くらいに職場を出る。寄り道せずに家に帰る場合には21時前に帰宅。それから食事をしたり家事をして10時半くらいで、あと1時間くらいは自由時間。

仕事のための時間(仕事をする以上必ず差し出さなければならない時間)が、6時半~21時までの実に14時間半です。それに対して1日のうちの自由時間はたった1時間。

 

仕事時間中は、やる事は山積みだし、休暇などの職員のフォローもしなければならない。システム障害やクレーマー対応、問題職員の対応など忙しさを極めていました。

更に、月に3回くらい泊りの仕事と休日出勤がありました。

 

今思い出しても、酷い状況だったなあと思います。

でも、全く同じではなくても、こういう生活をしている人は多いのではないでしょうか?その上、子育てをしたり介護をしている人もおられると思います。今の日本社会は、どう考えてもおかしい。

 

だから、そういう状況から、できる限り早く撤退する方法を模索するべく、私は早期退職しました。それから再就職までの道のりは、このブログの「退職から人生再建へのモデル」というカテゴリーにある記事に詳しく書いてきたとおりです。

 

 

では、現在の日々の生活はどうなったのかというと、以下のような状況です。

平日(火曜日~金曜日)の大体の流れですが、朝6時(自然に目が覚める時間)に起床、午前中は、朝食を食べたり着替え、シャワーなどした後は自由時間で読書をしたり、Tverでドラマを見たり、ブログを書いたりしています。また、雑用もこの時間にやってしまいます。普通に銀行とか郵便局も開いている時間なのでストレスなく雑事も処理できます。

午後は、仕事のため13時半くらいに家を出ます。14時から17時まで仕事。仕事が終わったら買い物などをしても18時くらいに帰宅できます。それから食事、家事をして19時半くらいからは自由時間です。

仕事のための時間は、13時半から18時までで約4時間半です。

月に2~3回残業があります。19時くらいまでです。休日出勤はありません。

 

休日(土曜日、日曜日、月曜日)は、友人などと会ったり、テニスをすることが多いです。

 

仕事の内容は、それなりに疲れる内容ですが、役に立っている実感はあります。それなりに疲れますが、だからこそよく眠れます。笑

 

 

とても人間らしい生活になった気がしています。

父が高齢なので気にはしていますが、現在のところ、大きな問題はありません。

 

先日の記事に書いたように、現在は人生の「林住期」だと思っています。いろいろなことをして、人生を見つめなおしたり、様々な経験をして人間としてのすそ野を広げたいと考えています。

hatasan2.net

今は、以前と比べて大きく増えた自由時間で、人と交流し、趣味を深め、生活を見直しています。

本当に付き合いたい人と食事に行ったりすることができます。また、趣味のテニスはこれから草トーナメントに出ることが目標です。生活はミニマムにまとめて、更に余裕のある生活にしていきたいと考えています。

 

 

どういう人生、生活を送るかは、人それぞれの考えがあって良いと思います。

でも、そうは言っても、社会の押し付ける仕事を仕方なくこなす人生からは、できるだけ早く離れた方がいいのではないか、そう感じます。