生き物が生きる意味は、生物学的に言えば、子孫を残すためと言われます。だから、多くの動物は生殖を行い短い子育ての時期が終わると死にます。でも、子孫を残すことができなくなってからも長い時間生きる動物がいます。そういう動物はそれほど多くないけれど。
例えば、シャチやクジラ、それに人間などです。
(「生き物が老いるということ-死と長寿の進化論」稲垣 栄洋 (著)から)
そういう生き物たちは老いを重ねながらも何のために長生きするのか?
シャチは、そういう長生きした個体がいる群れとそうでない群れとを比較すると、群れ自体の生存率が前者の方が高いそうです。長生きした個体が経験から得た知恵を群れに還元していると言われている。
人間が長生きする際のヒントになりそうな話です。
他方で、古代インドでは人生を4つに分ける考え方があります。
1 学生期
2 家住期
3 林住期
4 遊行期
1,2は大体想像がつくと思います。3は子供が成人するなどして独立した後の時期、4は老境の時期でしょう。人間が生殖、子育てを終えた後の人生だと理解できます。
短命であった古代インドの時代でも、生殖子育て期の後に相当長い時間があることを想定していたようで驚きです。
林住期は、社会生活から身を引き、林に庵を結び、思索を深める時期であり、遊行期は庵を畳み家を出る時期。一遍上人のように、踊り念仏を広めながら全国を旅して歩く人もいれば、西行法師のように、歌の道に志し、花鳥風月を求めて旅をしながら生きる人もいた。そう作家の五木寛之さんは指摘されています。
つまり、社会から身を引いた後は、自分の人生の意味や役割について深く考察し、それを社会に還元していく時期と捉えることができると思います。
子育てを終えた時期からの人の生き方を教えてくれるような気がします。
現代社会においては、中高年は最後まで働くことを要求されています。働く時期がどんどん長くなっています。子育てを終えても組織にぶら下がり、給料泥棒と誹られながらもやる気なく働き続ける姿は、林住期や遊行期の理想像からは大きくかけ離れています。
自分自身の生きてきた環境を振り返ってみても、思索を深めるどころか過去の経験や肩書の上にあぐらをかき、若者を苦しめている老害と化した中高年を多く見てきました。
定年退職後は第二の人生などと言われるようになりました。
社会的には、スキルを活かして現在の職場で継続して働いたり、転職してこれまでと同じように働いていくことが推奨されているようです。でも、「第二の人生」でやるべきことは、本当にそういうことなのでしょうか。
まずやるべきことは、これからの人生のビジョンを明らかにするために、一旦これまでの生活をリセットして思索中心の生活を構築することではないかと思われます。
これまでの生活様式やスキルの活用は、若い世代に任せて、余計な口出しは不要なのではないかと思います。シャチの群れでは、狩りは若い世代が中心になって行うことでしょう。
そうではなく、人類という人間の群れに自分がどういう役割を負えるのか、一遍上人や西行法師などの過去の偉人たちに学ぶべきではないかと思います。
自分ができるようになった「仕事のスキル」ではなく、自分が「仕事を通して」できるようになったことをいかに社会に還元していくかを模索して、そういう意識、視点で第二の人生を送って行けたらいいなと思いつつ、退職後の生活を楽しんでいます。