5年前に現在のマンションに引っ越してから、本格的にモノを減らし始めました。
その後、退職して時間に余裕ができたことによって、ミニマムな生活に更に近づいています。もともと、ゆるくミニマムな生活を心がけてはいたのですが、時間や気持ちの余裕ができると、生活を絞り込む作業もはかどります。
最近、手をつけたのが「書類」の整理です。
以前から不要な書類は捨てるようにしていたのですが、それでも相当の量が溜まっていました。書類の溜まる理由は、捨てる前に書類の中身を吟味しなければならない点にあります。
例えば、服であれば「1年間様子を見て着なかったものは捨てる。」ということができますが、書類はそうはいかない。
多くのミニマリストの方の本やサイトの記事などでは、書類については、まずは溜まる前に捨てることが大切だと書かれています。ポストに投函されるお知らせやチラシの類は、ポストから持ってきた時点で不要なものを捨ててしまうとか。
これは、これまでも実践していました。
でも、どうしても即座に捨てられないものもあります。
公的なものだと、税務署、年金機構、健康保険組合からのお知らせやワクチン接種の証明書など。公的なものではなくても、保険関係の書類などは、捨てられないものが多い。
また、様々な契約関係の書類も、残しておかねばならないことがあるし、大きな家電などの保証書も捨てられない。
他方で、送付されてきたのが大事な書類でも、そういう書類に付随して同封されて来たパンフレットや説明書などは不要なことも多い。
でも、それを分けて、捨てる判断をするにはそれなりに手間と時間をかける必要があります。
ミニマムな生活を実現するよう努力してきて、「書類の整理」はかなりラスボス的な位置づけだと気づきました。
そこで作戦を立てました。
「どうしたら不要な書類を処分するための手間と時間を捻出できるか?」、「どうしたら途中で挫折しないか。」ということを考えていたところ、ヒントになる本に出会いました。四角大輔さんの「超ミニマル主義」です。
著者の四角さんは毎朝、机の上の物をすべて片づけ、綺麗にした上で、現在ある書類すべてに目を通すとのこと。なるほど。
「これはいい。」と思ったのですが、当然のことながら、この方法を実践するには既に書類が少なくなっていることが前提です。だから、そこまでは頑張る必要がある。
そこで、自分としては、毎朝机の上の物をすべて片づけ、机を拭いて綺麗にしたところに、溜まっている書類をすべてとはいかなくても、その日に見ることができるくらいの量を出して、整理することにしてみました。
それなりに継続する努力は必要ですが、
・毎朝机の上のものを片づける。
・机を拭く。
・その日に見る書類を出す。
・書類の取捨選択をする。
・書類を見てやるべきことをやる。
ということを繰り返したところ、大体1か月くらいで、毎日見なければならない書類の量が適正な量まで減ってきました。「適正な量」というのは、すべての書類をその日の朝に見ることができる量ということです。
この作業をやっているうちに、多くの書類は中身を見なくてもその日に処理する必要があるかどうかがわかるようになってきます。
最近は、2~3日に1度程度見ればいい感じになってきました。
この経験を通じて、書類を整理する困難さを実感しました。
それとともに気づいたのですが、自分の書類でさえ、こんなに労力がかかるのだから、これが人の書類であれば困難を極めるのではないか。
何が言いたいのかというと、人が亡くなって遺品整理をする際には、遺された人が大変な思いをするということです。実際、自分の実家を眺めてみると、余裕で本棚一つ分くらいの書類があります。
将来的には、親の書類を整理することになるとしたら、・・・・。考えただけでぞっとします。
自分だって、いつ死ぬかはわかりません。できる限り早い時期に「書類の整理」をして、立つ鳥跡を濁さず・・・、そう考えて日々不要な書類を処分し、必要な書類だけを残すよう努力しています。