前に働いていた職場では、時々刻々と仕事のメールが来ていて、1日休暇を取得すると数十件から百件くらいの未読メールが溜まっていました。これだけの量のメールを読むには、相当スピードを上げて読まなければなりませんでした。
メールの内容はオリジナルのメールの転送を繰り返したものでしたから、速く読もうとすれば、スクロールを素早く繰り返す必要もありました。散々スクロールしまっくった後の結論が、「再度連絡する。」ということも珍しくなかった。
ただ、仕事上のメールですから、時間をかけて読む時間は無いし、読んだところで結局大したことはわからないことと知りつつも、読まない訳にはいかない。
無駄の最たるものでした。
そういうことを繰り返していたことの弊害は大きかったと、今は思います。
退職後しばらくは、いろいろな本を読んでいても、自分が丁寧に文章を読むことができませんでした。じっくり読みたいと思っても、本の上を目が上滑りをしている感じです。じっくり読もうとしても、速く読みたくてイライラしてしまう。
だから、読書をしながら、深く考えたり、感じたりすることができませんでした。
ストーリーや筋を素早く理解することはできるのですが、内容をじっくり味わったり、自分のものになるまで関わったりすることができない。
ただ、読書自体は好きだったので、図書館や本屋さんでは必ず色々な本をチェックして、
本を読むこと自体は継続していました。
そんなことを続けていたら、退職後1年半くらい経った現在になって、やっと時間や手間をかけて読書できるようになってきました。再読することも苦にならなくなった。
速読が悪い訳ではありませんが、それだけだと困ります。
名著と言われる本には、読むこと自体にかなり骨の折れるものも多くあります。昔の本であれば言い回しも現在とは違うし、時代背景も考えながら読まなければならない。
新刊本でも、深い考察を要するものは、読むのに時間がかかります。
努力して時間をかけて読むことで、自分の考えが大きく変わることがあります。再読することで新たな発見があることも珍しくありません。
それが楽しい。
一時期「丁寧な暮らし」という言い回しが流行りました。
あわただしさに押し流されるように生活するのではなく、日々の家事など生活の一つ一つにきちんと向き合って暮らしていこうとするライフスタイルです。そういう生活には、日々の当たり前のことの中にも、新たな発見があったりする。
読書も、同じようなのではないかと思います。
忙しさから概要さえわかればいいという読み方ばかりをするのではなく、丁寧に読むことを実践することで、その本から様々なことを知ることができ、それが人生の深みを増すことに繋がる。
そうやって自分を変えていくことで、世の中の出来事に対する洞察も深まっていく。世の中の流れに付和雷同しなくなるし、一方的に人を憎むことも無くなる。
そういう経験が回りまわって、幸せな人生に繋がるんじゃないのかなあ・・・。
これまでは忙しさに押し流されて、じっくり本と関わることができませんでした。
じっくり読書をすること、これも、これからの楽しみです。