週刊東洋経済新報社のwebサイトの記事で、日本企業の管理職の給与の低さをテーマにした記事が出ていました。諸外国に比較して、日本の管理職層の給与の低さを明らかにしていました。
ところが、当の管理職にアンケートをすると管理職自身は給料額は妥当だという回答をした人が多かったとのこと。
なぜか。
記者の分析によると、日本の管理職は日本人の部下に上意下達することと、部下のミスの尻拭いが仕事なので、日本語をしゃべれない外国人には向かない。
だから、日本人管理職は安定して働くことができる。他方で、ビジネスとしての質はそれほど要求されない仕事だから、現在の給料は妥当だと感じているのではないかということです。
これは裏返して考えると、日本の企業は、外国人の優秀な人材を管理職として迎えるモチベーションがないということになる。記者は、これを「日本語の壁」と言っています。
私は、記者の言うことはとても腑に落ちます。多分、この分析は正しい。
更に思うこともあります。上意下達、前例踏襲が仕事で、創意工夫や試行錯誤が要求されない日本企業、日本型組織は、外部の優秀な人材を迎える必要がない。だから、外国人のみならず、日本国内に優秀な人材がいくらいても、それを採用するモチベーションがない。「既得権者の壁」とでも言う状況です。
日本の労働市場が硬直化していることは、就職活動をしてみれば、本当によくわかります。
まとめると、日本企業、組織は外国人の優秀な人材を迎えることもなく、日本人の優秀な人材を求めることもなく、仕事に対するモチベーションの高くない多くの従業員が上意下達、前例踏襲の業務を、間違えないように、日々淡々と行っているだけ、ということになります。
失われた20年が30年になり、それが尚続いている現在、そういう構造的な問題を解消することは急務と言えると思いますが、そんな問題を指摘する声は、政財界、メディア・・・どこからも聞こえてきません。
景気刺激策として、湯水のようにお金を使うことばかりがクローズアップされ、根本的、構造的な問題は放置されています。
私が働いていた職場でも、実感として、管理職、幹部職員に限らず、組織の従業員は日本語の壁、既得権者の壁に守られ、犯罪でも犯さない限りは解雇されることもなく、ぬるま湯の環境(*)で働き続けています。
「外から人が入って来る」という緊張感のない状況で、組織が活性化するはずもなく、じり貧です。しかも、そのこと自体を自覚している人も、ほぼいない。
だから、封建社会のように一度決まった仕事からは抜けられない。人生は一度決まったら、変わらない。
*人が淘汰されることがないという意味です。人が動かない分、理不尽に仕事を押し付けられている人はいます。
日本社会は、いつ立ち行かなくなるか、時間の問題かもしれません。