ジャニーズ事務所、大きな問題になっていますね。
やっと、スポンサー企業がCMでのジャニーズタレントの起用を止めるなどの動きになっていますが、現在に至るまでテレビ局はジャニーズ事務者に対して厳しい態度を取れません。
見て見ぬふりをしたメディアも同罪だとの指摘も出ていますが、ワイドショーのコメンテーターなどが「報道に携わる人間も反省しなければならない」と述べる程度(*)で、メディアが会社組織として責任を認めるようなことはしていません。
*それでも賞賛されていますが、本当にそれでいいのでしょうか?
日本では、個人の責任追及は苛烈ですが、組織に対する責任追及は非常にゆるくなっています。この国では、個人が組織の批判をすることを嫌い、そういうことをする人間はわがままな人だと評価する風潮があり、それが社会や組織の問題をあいまいにすることに拍車をかけています。
個人からの批判が控えめになるのをいいことに、組織的、社会的問題を個人の問題にすり替えてしまうようなことも、いたるところで行われています。
以前に私がいた職場では、管理職になりたい人が減っていました。
管理職の会議で、その対策を考えるように言われました。会議の結論は「管理職になれば、やりがいも増え、視野も広がることをもっと広く知ってもらうようにする」というようなものだったと記憶しています。
でも、この結論が対策にならないことは明らかです。
管理職になれば、給料はそれほど増えない(残業手当がつかなくて減る場合さえある)のに、仕事が増えるし、やっかいな部下職員の面倒も見なければならない。加えて、組織は上意下達で動くことが増え、管理職の裁量は著しく制限されている。
つまり、管理職というポジションになんの魅力もないから、管理職のなり手が減っている。
対策は、管理職というポジションを魅力のあるものにするという内容でなければなりません。
でも、こういう結論は求められていません。
なぜなら、それは「組織の課題」を意味するから。組織が責任を負わなくて済むように個人の問題に帰着させないといけない。だから、「管理職の魅力を広く知ってもらって」個人の自覚を促すという解決法が良いとされる。
組織を批判することを避ける訳です。
こんな風に文章に書くと、バカみたいですが、社会や組織では大真面目にこういうことが行われています。
ジャニーズの問題もジャニー喜多川や所属タレントだけの問題であるはずがない。様々な観点からすり替えが行われていると感じます。業界全体、関連するスポンサー企業やテレビ局などメディアの問題なのに、何とか逃れようとしている。
同様なことを仕事探しをしていても、感じました。
職場の人手が明らかに足りないと感じている人は多いと思います。でも、それと比較すると求人は明らかに少ない。働きたい人はいるのに、採用する気がない。
本当に人手が足りないなら、未経験者や他の分野からの転職者も積極的に採用して、トレーニングをしたらいいと思いますが、そんなことを考えている企業はまずありません(一部の人手不足が深刻な業界では、先鞭をつける企業が現れていますが)。同じ業界の経験者ばかりを求める。
人は増やさない、経験者しか採用しないという従来の慣行を変えようとしない。
これは、社会組織の問題で、個人の問題ではありません。
でも、「人手が足りないのに、就職先がない。」という社会としての問題を、求職者個人の問題にすり替えています。
転職者や求職者に対して、「あなたは自分の市場価値をわかっていない。だから採用されない。」と語る言説は多いです。おそらく企業の人事担当者やコンサルタントの方が言ったり書いたりしている。
でも、わかっていないのはどっちなのか?
私は、現在の労働市場を直に体験してみましたが、「人手が足りないのに、求人がない」という労働市場の問題点について、「当たり前じゃないか。」「ぜいたくな条件を求めるからだ」と言う人にも多く出会いました。
社会や組織を批判することを無意識に避けているような印象を強く持ちました。
物事を本質的に理解するためには批判的検討が不可欠です。人間が進歩しようとすれば、現状を冷静に批判的に分析して、その上で現状を変えたり、問題点に対する対策を考えることが必要です。個人が批判的に物事を検証し、意見を言うということができない日本は、失われた20年が30年になり、更に続こうとしています。