スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

変わってしまった職場を辞めて、前向きに生きていく決断をした。

私は、国の機関の公務員として働いていました。

問題点も多く感じていましたが、長い職員生活で組織にもとてもお世話になったと思っています。大きな出来事としては、うつ病を発症したときに病休を取り、休職をさせてもらい、その結果10年以上かかったとは言え、完全に体調を回復することができました。

ブラック企業のように退職に追い込むようなことはありませんでした。

 

また、15年くらい前までは、組織の中枢も現場の意見を取り入れようという姿勢がありました。

もちろん、「いい意見、もっともな意見を言えば、それが通る」というような単純なものではありませんが、それは組織として当然のことで、我々も「プロ」の公務員として、どうしたらその意見が実現するのか、いつなら組織が動くのか等々常に考えながら仕事をしていました。

経験の浅い職員が、意見が通らずに腐っていると、そういう話をしたものです(昔話ですね 笑)。

少なくとも、組織もいい方向に変わる可能性を感じさせるところでした。

 

職員の評価も、頑張っている人や組織の役に立っている人をできる限り拾い上げようとする姿勢が見られました。どんなに精緻なものでも、評価制度は完璧なものは望むべくもありませんが、そうだとしても何とか個々の職員の頑張りや貢献に答えようとしていたと思います。

仮にミスがあっても、処分や注意などはありましたが、そのほかの仕事の頑張りなども踏まえたバランスのあるものだったように記憶しています。ミスがあっても、能力を伸ばそうというきっかけにしようとする幹部職員にも出会いました。

 

トータルで見て、昔の雰囲気は「職員を信頼する」ことから出発していたような感じでした。もちろん、問題点だって多くありましたが、それを解消していくことも自分の仕事として頑張っていける環境だったと思います。

もちろん、こういう組織を、私は嫌いじゃありませんでした。

 

でも、それは時代の流れとともに変質していきました。

小さな間違いや逸脱を大きく取り上げられ、ネットで炎上したり、執拗に批判されるような世の中になるにしたがって、組織としても過度に守りに入っていきました。

ツイッターの投稿やクレームに過剰反応して、本来組織が追求するべき仕事の質よりも「間違いがないこと」「組織が批判されないこと」が最優先になっていきました。

それとともに、いろいろな意見に耳を傾ける余裕がなくなって上命下達ばかりになり、間違いを徹底的に叩いたり、アリバイ作りの仕事(ブルシットジョブ)が雪だるま式に増えていくような職場に成り下がりました。

 

現場の意見や個人の意見に耳を貸さず、重箱の隅をつつくような指摘が横行しました。通勤手当を支給するために、定期券を実際に買ったのか、安い経路を使っているかを証明する資料を求められ、執拗に難癖をつけられ、「都営地下鉄は高いから、大回りでも東京メトロを使うように」と言われて、呆れたこともありました。

コロナになった職員がいれば、微に入り細に入り報告を求められました。コロナに関しては、病院も、国や都への報告が大変だったと報道されていますが、感覚的にわかります。

そのほかの報告も嵐のように増えました。統計、情報セキュリティ、人材育成・・・。

本来的な仕事をする余力、時間がどんどん削られました。余裕がなくなるので間違いが起こりやすい職場環境になりましたが、少しでも間違えるとまた執拗な報告を求められ、いかに自分が不注意だったか、悪かったかの反省文まで求められる。職場を挙げてのパワハラでした。

その反面、組織の大きな問題については、誰も責任を取らない。

退職の前年に仕事の基幹システムが3カ月にわたって止まったことがありましたが、誰も責任は取りませんでした。職員が突然亡くなったことがありましたが、職場の体制は半年間ほったらかしでした。

 

外向きにいい顔をしたいので、男女平等、働き方改革などについては、率先して実行しますが、問題点には蓋をしたままスルー。

これが、どれだけ働く職員を圧迫しているかは、これまで再三書いてきたとおりです。

 

hatasan2.net

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こんな風に組織は変わってしまいました。

ただ、ひいき目に見れば、外向きにいい顔をしたいという下心は見え見えですが、それでも組織のあるべき姿にしていこうとする姿勢はまだ残っています。また、報告ばかりでうんざりしますが、まだまだ何とか職員の能力の底上げをしていこうとする幹部職員も残っています。

 

ただ、あまりに大きく組織が変わりすぎて、その程度では少なくとも向こう10年で組織の方向性が良い方向に向かうことはないと強く思いました。

私が退職する頃は、心ある幹部職員は、わけのわからない上部の命令を伝えるのに本当に苦労しているようでした。きちんと現場を見ている人の心労は察するに余りあるものでした。

 

こんなことをしていると、問題点を見て見ぬふりの保身ばかり図る幹部ばかりがはびこり、まともな人がどんどん排除されます。

現場では、働き方改革の制度の不備を利用して仕事をしない(時間が来たら管理職に仕事を任せて帰っていい、休暇制度を悪用する)等、自分のことしか考えない人がのさばるようになってしまいました。

 

こういう傾向は、国の大きな動きの中で起こっていることです。私の働いていた組織ばかりではないと思うのです。

 

 

 

本当に愛想が尽きて退職という選択をしました。退職の選択自体は、全く間違っていたとは思いません。

ただ、もともと嫌いではない組織でした。恨んではいません。

振り返ってみると、自分自身を成長させてくれ、体調を崩した自分を我慢強く使ってくれたのも、この組織でした。感謝しつつ、その経験を生かして、次の人生を歩みたいとも思っています。

この2匹とは、仲良くさせてもらっています。