スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

完全に正しい価値観について ~セクハラと言われたら反論できないことの問題点~

ミニマリストは貧乏くさい。」

「ブログは自分のプライバシーを晒す。何が面白いのか。」

と言われました。

 

酷いことを言うなと思う反面、そういう見方もあるし、気を付けるべき点もあるなと思いました。私としては、「スタイルのある(貧乏くさくない)ミニマリスト」を目指すことにして、「強盗に遭うようなプライバシーは晒さないけど、深い本心を匿名で語る質の高いブログ」を目指そうと思いました。

 

人によって、いろいろな価値観があるものです。ただ、とても難しいですが、自分自身は、自分と反対の立場の人の意見に対して批判の言葉を投げつけるようなことはせず、できる限り寛容でいられたらいいなと考えています。

 

 

最近、感じることがあります。

SDGs、ジェンダー、性的マイノリティなどが語られる際の態度についてです。

「それは持続可能ではない。」、「女性は虐げられている。」、「性的マイノリティは尊重されるべき。」と言われると、相手は沈黙せざるを得ない。絶対的に正しい言葉

 

そういう価値観を全く理解していない人がいて、そう言わざるを得ないことがあることは否定しません。

ただ、そういう「絶対的に正しい言葉」は、伝家の宝刀であり、抜いたら必殺です。伝家の宝刀は、そうそう簡単に抜くべきではない。

 

 

 

例えば、職場での体験ですが(これを語ること自体、躊躇がないわけではありません。)、男性上司から「ハタさん(もちろん本名)。それはセクハラです。」と注意されたことがあります。

 

若い男性職員同士が、久しぶりに会ったらしく、冗談で「久しぶり~!」と大仰に盛り上がっていたので、「女子大生みたいだなあ」と笑って言ったのです。これがセクハラ認定でした。

 

えっ!

周囲に女性もいましたが、セクハラ認定をしたのは男性上司。

 

「女子」というのが性的ということだったのでしょう。

それ以降、発言には、本当に気を付けるようにしました。

 

「それはセクハラだ。」というのは、絶対的に正しい言葉です。

そういう言葉を人に投げつけられた場合は、反論することは極めて難しい。更に、安易に反論をすると余計に深みにはまりかねません。

その時には、すごく微妙な空気になりましたが、やはり「セクハラではない」とはっきり言う人はいませんでした。「セクハラ」と言われた以上は、そうしておいた方が楽なんです。

 

 

最近、総理秘書官の発言のニュースがありました。

毎日新聞のスクープだったようですね。

 

同性婚なんか導入したら、国を捨てる人も出てくる」と秘書官が言ったとのことです。この発言は、LGBTQの人たちへの極端に不寛容な姿勢が明らかに読み取れます。その不寛容さは確かに問題だと思います。

 

ただ、今回、同時に気になるのは毎日新聞の記者のことです。「性的マイノリティ差別」というのは、やはり「絶対的に正しい言葉」です。それを論拠にしていれば誰も批判はできない。だから、記事にしたという匂いがする。

そうであれば、自分と立場の違う人への不寛容さにおいては、秘書官と何ら異なる点はないと感じられます。

 

秘書官を擁護はしません。

ただ、オフレコのやり取りの中で、その部分だけを切り取って報道するのはバランスを欠いています。少なくとも、その場でどういうやりとりがあったのか、その中で秘書官の発言の真意が何なのか、その真意を前提にしても問題があったとすればどういう点なのかという論証をすべきだと思います。

「性的マイノリティ差別は許されない」という「完全に正しい言葉」の価値観に乗っかって、勢いで記事にしただけのように見えます。

言葉を生業とし、国民に公正な情報を届けるマスメディアであるからこそ、その不寛容さに強い違和感を覚えます。

 

結論として、今回報道したこと自体は間違っていないのかもしれません。でも、こういうマスメディアの不寛容な姿勢は、大きな間違いに繋がる可能性を孕んでいると、私は思います。

 

 

 

こんなことを言うと、私自身が炎上しかねない恐ろしさを感じます。

そこがこういう「絶対的に正しい言葉」の問題点です。

 

 

 

自然法則は100%正しい。「作用があれば反作用がある。」、「全ては無常である。」「1+1=2」とかは完全に正しい。

それに対して、完全に正しい価値観は存在しません

いろいろな価値観がありますし、それが語られる様々な環境によって正しいかどうかも一定ではありません。例外もあります。

だからこそ、反対の立場の考え方にも一定の配慮をして、一方的に排斥しない寛容な態度が不可欠なのだと思います。

 

 

 

 

自分自身は、相手を黙らせるために「絶対的に正しい言葉」を使わないようにしたいと思っています。相手を黙らせても、自分は幸せになれません。

また、絶対的に正しい言葉を投げつけられた時には、基本的に反論はしないけれど建設的な解釈をして次につなげて行けたらいいなと思っています。