山本文緒さんの「恋愛中毒」を読んで思いました。
自分の人生を自分で決めて来なかったことの反動は、おそろしい。
「自分勝手。」と言われても、「わかっていない。」と言われても、自分で自分の人生の方向性を決めることが重要。人に合わせて生きるようなことはしない方がいい。
そうでないと、常に、人に依存することになる。
この小説は、結末が物議をかもしています。
色々な感想がありますが、私は、この結末しかあり得ないと思う。自分の人生を人に委ねた結果は、これしかないと私は思います。
私たちは、ストーカーと化したり、完全に壊れてしまったりした人を自分からかけ離れた存在として感じているけれど、実はこんなにも近い距離にいるということに気づきました。
主人公の考えるようなことは多くの人が考えるのではないでしょうか。でも、主人公が取った行動を多くの人が起こすかというと、それはそうではない。そこには溝があります。でも、その溝は皆が考えるほど、実は深くも大きくもない。
考えることと行動することの間には、一般に思われているほどの距離はない。何かの拍子に、自分もその溝を跳び越えて、同じ行動を取ってしまうかもしれない。
そう自覚した方がいいじゃないかと感じました。
溝を跳び越えないためには、自分の人生の方向性を含め、自分のことは自分で決めることだと、この作品は訴えているように感じます。
主人公と同様な思考パターンに陥り、自己主張せず、周囲に合わせて波風を立てずに生きるのは、自分の人生を他人に決めてもらうことと同義です。他人に依存し、他人に決めてもらう。自分の人生がうまくいかないと他人を恨む。
そういう過程を経て、他人を傷つけることを、正当化して生きていくことになる。
自分で自分の人生の方向性を考えない若者は、自分の人生がうまくいかないのを親のせいにし、学校のせいにします。壮年になって生活がうまくいかないと、政治や社会のせいにします。年を取ってからは、変化した社会や国の施策のせいにする。
確かに、親にも落ち度はあるし、学校や社会にも至らない点がある。でも、完璧な親もいないし、完全な学校制度や社会も存在するわけがない。
気持ちはわかるけれど、親や社会の問題点は棚上げして、自分はどうするのかを考えていこうとする努力が大事です。
自分の人生を自分以外のものに委ねてしまうのは楽です。
でも、人に決断をゆだねる人生、そんな人生、楽しいですかね?