スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

会社員や公務員の将来について ~33年組織で働いて気づいた課題~

退職をする頃、心配していたことがあります。

日本社会は、このままで大丈夫なのか?

 

私の印象ですが、自分自身が若い頃(四十代中頃まで)は、「利用者である国民のために組織はどうあるべきか」とか「日本の社会の動きを勘案しつつ自分たちの組織は将来どうなるべきか」ということを意識しながら仕事をしていたと思います。

別に、日々のルーティンでそういうことを考えていた訳ではなかったけれど、ちょっとした仕事を処理する時に、それを考えているのと考えていないのとでは大きな差があったと思います。

よく「ほうれんそう」が大事だと言われますが、じゃあ、何でも報告、連絡、相談をすればいいかというとそうではない。常日頃から、そういうことを考えていれば、問題が起きた時に自分自身で判断でできる幅も広がります。

当時はすぐに「どうしたらいいでしょうか。」と上司にお伺いを立てる人を見ては、「使えねえ奴」と思っていました。

 

ところが、退職する頃には、「とにかく上に報告して、相談しろ」という風潮に完全に変わっていました。

自分限りの判断で問題を解決しようとしたりするのは言語道断で、問題が起こったらすぐに上と相談しなければなりませんでした。「どうしたらいいでしょう?」と。

 

こんなことがありました。

コロナが流行し始めたころ、職場の出勤率を半分に下げたことがありました。

エッセンシャルワークと言われていた職種であったため、全てリモートとはならず、自分の部署でも管理職である私一人とその他数人が出勤していました。人手が足りず、みんな必死に目の前の仕事をこなしていました。そういう状況の中、その日はクレーム対応が数件(4~5件)ありました。結果的には、部下職員では手に負えず、私が対応して納得してもらった案件もありました。

 

後日、その日のことが話題となった時に、怒られました。

報告がないことと、勝手に対応したことについて、「なぜ、クレームが入った時点で報告しないのか」、「なぜ勝手に対応するのか」ということでした。

 

最近は「クレームが入る」ということ自体が報告をしなければならないことになってしまっています。

独自の考え方で理屈を振り回してくる利用者に対して丁寧に手続きを説明するような場合、つまり通常業務の範囲内のことであってさえも報告を求められるようになってしまいました。

クレーム対応がデフォルトのような職場でしたから、それをいちいち報告していたら現場の仕事は回らないのに。

 

じゃあ、報告、連絡、相談をしたら、きちんと組織として対応ができるのかと言うと、そんなこともありませんでした。むしろ、話がややこしくなる。

 

 

もう一つの例です。

私の働いていた職場の建物は大きな建物でしたが、来庁者の安全のため、通常は屋根のあるところまで車を横付けすることは禁止されていました。

ある日、車椅子で来ていた人が帰ろうとしていました。でも、その時は、ちょうど台風が日本列島を直撃していて雨風がピークに差し掛かる頃でした。

 

そういう状況ですから、建物を管理する部署に連絡し、屋根のあるところまでタクシーを付けられるように了解を取りました。

ただ、大きな組織でしたので、その調整は複数の部署を介して行わざるを得なかったので、一抹の不安がよぎり、車椅子の人たちが帰るときに、私も建物の出口まで同行しました。

案の定、建物の入り口に立つ警備員から「タクシーは、建物に横付けはできない。」と言われました。

 

その後の対応については、ここに書くことは省略しますが、こういうことが頻発していました。報告、連絡、相談をしても、組織がうまく動かない。

 

 

ただ、私は「こんな風に自分のいた組織は最低だった。」と言いたいわけではありません。多くの職員は一生懸命に仕事をしていたし、組織としてもとても真面目だったと思います。

それなのに、どうしてこんなことになってしまうのか?

私が思うに、些末なことで忙しすぎて仕事の全体像を見る人がいなくなってしまったことが原因ではないかと思います。

そのクレームは組織全体として共有しなければならないものなのかとか、配慮が必要な人がいた時に、最終的にどういうことをしなければならないのかとか・・・、そういうことを考えイメージする余裕があれば、不必要にすべての報告を求めたり、逆に、連絡調整をしなければならないことが漏れたりすることはなくなるのではないかと思うのです。

 

日本の社会は、些末な間違いに目くじらを立て、執拗に攻撃する異様な様相を呈してきています。私のいた職場だけでなく、多くの職場がそういう本質とは関係のないものへの対応や準備といった「ブルシットジョブ」で埋め尽くされ、本質的なことを考えることができなくなっています。

でも、世の中の大きな流れは未来永劫同じではありえません。

社会の流れが変わって、もっと「本質的なことを考えよう。」という風潮が出てきたとき、心ある公務員や会社員の人が健康でいて、活躍できることを祈るばかりです。