本屋大賞などでベストセラーになっている本、人気のドラマ・・・。最近、扱われる主題に共通するものがあるような気がします。
自分は「正しい」と信じて疑わない人のものの見方の危うさを扱っていることです。
当然のことながら、自分自身を含め人は、自分の価値観を通してしか人を見ることはできません。完全な客観性を備えた人間はいない。「正しさという仮面」のフィルターを通してしか物事を見るしかない。
でも、「もしかしたら自分の価値観を通した見方は間違えているのかもしれない」と留保した上で理解しようとすることは可能なはずです。
松岡茉優さん主演の「最高の教師」というドラマでは、「自分の価値観」を人に押し付ける大多数のクラスメートが、無自覚に人を傷つける姿が題材となっていました。
凪良ゆうさんの「流浪の月」(本屋大賞の受賞作)では、「自分の善意」で人を理解したつもりになって、そのために人を傷つける残酷さが描かれました。
自分の価値観で「あなたはかわいそうな人」として勝手に善意で事実を捻じ曲げる人たち。自分が人を傷つけているなど、思いもよらない人たちがたくさん出てきます。
また、このブログでも書いたことがあります。ハラスメントをする人の多くは自分を被害者だと思っています。彼ら(彼女ら)の正しさのフィルターを通すと、そのハラスメント行為も正当な行為ということになります。
人は「自分の正しさ」という価値観を通して外界を認識し、多くの間違いを犯します。
ここ1年の私の経験でも、自分の中にある枠組みや価値観(多くは、自分の経験やメディアから吹き込まれた枠組みや価値観)でしか、物事を理解しようとしない人に多く出会いました。
求職活動をしていて様子を聞かれた際に、「労働市場は厳しい。」という話をすると、活動の仕方が甘いとか、退職したことの是非とかについて説教をいただきました。
多くは、「会社勤めや公務員などは恵まれていて、そういう仕事を辞めるべきではない」、「自分の市場価値も知らずに仕事を辞めて苦労しても、それは自分が悪い」という偏見から、仕事を辞めたと聞いた瞬間に「そういう人」と認識し、客観的な状況を説明しようとしても、説明すらできない。聞いてもらえない。
でも、気づいたことがあります。
自分自身、「なんだ。この人も仮面の人か。」と思ったのですが、そう思うこと自体が自分の「正しさという仮面をかぶって」、人を見ている。本当に注意していても、そうなってしまう。
その人は違うかもしれない、今回は違うかもしれない。そう思って対処できるよう気を付けようと思いました。
更に、これまで、そういう風に人を理解したつもりになっていたのかもしれない。
勝手に「あなたはかわいそうな人」、「あなたはダメな人」と決めつけたこともあったのではないか?自分の価値観で人をジャッジしてしまったことも、おそらく多い。
退職して、考える時間ができて、初めて明確に意識できたことです。これからは、できる限り気を付けて生きていきたいと思います。そうしたら、新たな幸せな気づきもあるんじゃないか?
現在、本やドラマからも、多くを学んでいるところです。