あと少しで今年も終わりです。
五十数年生きてきて、今年は「退職」という最も大きな変化のあった年でした。
話は違いますが、前にこのブログに書いたとおり、私はゆるいミニマリストをめざしています。
モノを少なくしたいと考え出したのは、結構前のことで、少なくとも20年以上前です。「ミニマリスト」という言葉もなく、こんまりさんの片付けがブームよりも更に前だったと思います。
当時は結婚していて子供が2人いました。共働きでしたから、人並みにモノを持っていました。日用品のほかに、子供の学用品やおもちゃなども、それなりにありました。
それに加えて、貰い物がとても多く、いろいろな贈り物をいただいたりしていました。
片付いてはいましたが、家には使わないモノが多く、それに囲まれて生活していた感じです。
そんな中、少しづつでもモノを減らそうとし始めたのですが、苦難の連続でした。
今は、ミニマリストの方々がおられて話が通じるのですが、当時は「モノを減らしたい」と言っても理解されませんでした。母には「戦争を経験してないと、モノのありがたみがわからない」と言われて、本気で喧嘩したこともありました。
当時の妻も、「そうよね。モノを少なくすっきり暮らしたいね」と言いながら、生活は全く変わりませんでした。夫婦双方の両親や親せきも同様で、継続してモノが送り付けられてきました。
みんな良かれと思ってしてくれるので、文句を言う筋合いではないのはわかっています。けれど、説明しても理解すらしてもらえず、前述の母のように喧嘩になったり、そこまで行かなくても微妙な雰囲気になったりもしました。
仕方がないので、一人で淡々と片づけたり処分したりしていたのですが、片付くスピードよりも増えるスピードの方が速いし、片づけてスペースができると、すぐにそこに何かが運び込まれる。
ギリシャ神話のシーシュポスは、神から罰を受けて、大きな岩を転がして山に運び上げては転がり落とすという無意味な作業を永遠に続けなければならなくなるのですが、シーシュポスと愚痴を言いたい気分になりました。
そういう状況が10年以上は続いたと思います。
時を経て、様々な事情から5年前に離婚することになり、子供たちも一人暮らしをして間もなく独立するのではないかというところまで来ました。
離婚を機に、私の周りのモノは激減し、子供が一人暮らしをするようになって、更に減りました。
1年くらい前に、ほぼミニマルな状態になったかな・・という感触がありました。
でも、今年、退職を機に見直したところ、いくらでも改善の余地があることがわかりました。
ミニマムな生活というのは、モノについてだけではないということに気づきました。
ミニマリズムは、生活の無駄を省き、自分の理想とする生活に近づける一つの方法です。人生の理想を実現することに集中するために、時間や余裕を作り出す有力な方法なのだと思います。
モノを減らすのと同様に、人間関係とか、しょぼいところだと年賀状を出す手間とか色々なものを断捨離していく姿勢を持っている人がミニマリストなのだと思います。
私の今年の最大の断捨離は「仕事」でした。
モノを超えて、生活を整理するというところまで手がついたという感じです。仕事をしていてはできなかったことができるようになり、「よりよい人生のスタートライン」に付けたような気がします。
仕事が無くなった私の人生の「穴」に何が入ってくるのかは、まだ模索中ですが。
来年はミニマムな生活を維持することを楽しみつつ、人生の目標に向けて歩んでいきたいと考えています。
以上、今年のまとめと来年の抱負でした。