スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

人生をどうしたらいいかは「自分」が知っている話(仏教の自灯明、法灯明)

人生は停滞したり動いたりの繰り返しです。

退職前は仕事に忙殺されるような環境で、長い間過ごして大きな閉塞感を感じていました。人生としては長く停滞していました。

今年7月末に退職という大きな動きがあり、その後その勢いでいろいろ試してみています。このブログもその中の一つです。

 

ところがここに来て、動きが停滞しているように感じます。

仕事のない生活がどういうものかが感覚的にわかるようになり、ブログなど新しく始めたこともひと段落してきました。体調を整えて、これからのことを考えて動いてはいますが、新たな収入源を確保できたわけでもなく、将来のビジョンが明確になった訳でもない。退職前に無意識に恐れていた停滞状況なのかなと思ったりもします。

 

 

 

自灯明、法灯明(じとうみょう、ほうとうみょう)

釈迦入滅の際に弟子に対し遺言として残した言葉とされています。「自分を灯明の明かりとして進み、また、正しい法則を灯明の明かりとして進まねばならない」という意味です。

 

自分や客観的な法則以外のもの、例えば人の評価や世の中の常識などに惑わされてはいけないということだと思います。

人生の大きな転機では多くのことを考えるものですが、結局どうしたいのか、どうするのがいいのかは、実は自分は知っている。あとは、客観的な論理に照らして間違っていないならば、その道をすすんでいけばいい。そう言われると説得力があります。

 

私の好きな言葉です。

 

前に記事にしたとおり、一人時間に自分と向かい合うことは大切だと思いますが、それは、結局、自分が本当に求めているものは何なのか自分に問いかけるための時間とも言えると思います。悩んでいても、実は自分がその解決法、答えを知っているのだから、自分と対峙する時間が大切ということです。

自分がどうしたいかがわかれば、あとは世の中の摂理に従う人生を歩めばいいのだと思います。

世の中として何が正しいとか、他人の言うどうすべきとかは関係ない。

 

hatasan2.

 

 

逆に言えば、どうしても人生の一歩を踏み出せないとき、停滞していると感じる時は、その場に留まり自分と対話するチャンスなのだと思います。「自灯明」を忘れず、あせらず着実に自分と向かい合う時間を取るようにしています。

はたから見れば、何やってんだ?という状況かもしれませんけど。

 

顧みても、停滞の時期が自分を大きく変えてきたという実感があります。

だから、自分を信じて、「どうしようか」と、今、一生懸命、停滞しています。

 

ちなみに、ユングという心理学の巨匠も、沈み込みが深いほど高く飛ぶことができると言っています。停滞する時には、必要なだけ停滞し、次の動きに備えたらいいのだ。今は「なんだかなあ」と思うけど、これでいいのだ。