スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

(コラム)「自分が悪い」で終わってしまう日本的思考法の問題点 ~環境を客観的に分析する態度への反発について~

私の好きなテニスの話です。

昔、ブラッド・ギルバートという選手がいました。ギルバートは、多くのスター選手と戦った比較的「才能のない」選手でした。ジミー・コナーズ、イワン・レンドル、ボリス・ベッカー、ステファン・エドバーグなどと同時代に活躍しましたが、四大大会のタイトルを取ったことがないこともあり、名前を知っている人は少ない。

 

でも、コーチとしてはとても評価が高い。

 

ギルバートは選手としては、面白くない選手として有名で、四大大会以外では結構優勝していたにもかかわらず、当時のメディアは、それは彼の実力と言うよりは相手選手の調子が悪かっただけだと報じていました。確かに、試合はウィナーの応酬ではなく、相手がミスしたポイントを積み重ねて勝っているように見えました。

でも、それはギルバートの相手選手を分析する能力が高いことの結果であり、コーチとなってそれを選手に教えることで、スランプに陥った選手を再生させることなりました。アンドレ・アガシが蘇った話は有名です。

 

「ウイニング・アグリー 読めばテニスが強くなる」というギルバートの書籍は翻訳されて日本でも売っています。

 

 

人は、えてして自分を磨くことには熱心で、結果が出ない理由を「自分が悪かった」という点に絞ってしまいがちですが、実は「テニスにおける相手」的なものに原因がある場合が多い。ギルバートの視点も同じです。

でも、日本社会ではうまく行かない時に、自分以外のせいにすることを嫌いますから、「自分が悪かった」となりがちです。

 

 

 

 

「敵を知り己を知らば、百戦危うからず」ということわざもあります。

自分を磨いていくことも、もちろん大切ですが、それと同じあるいはそれ以上に、「敵」「相手」など自分が相対しているものを知ることが重要だということです。

 

 

 

さらに「因果応報」という仏教の考え方も、同じようなことを言っているように思われます。

因果応報は、作用と反作用など、物事には法則性があって、そういう因果の流れを理解しなければならないという教えだと私は理解しています。自分を含めた物事は、客観的な因果の流れに従う。

 

 

 

「自分が悪かった」と自分ばかりに注目して、全体としての物事の本質を見ない「日本的な」態度は、安直と言ってもよく、決してほめられるものではない。ギルバートや、古人たちは、そう教えてくれているように思います。

結果を出そうと思えば、自分を磨くことは勿論、自分を取り巻く環境や社会をきちんと分析した上で臨むべきなのです。

 

 

 

私は、退職してから仕事探しをするにあたっては、労働市場についてできるだけ客観的に分析するように努めました。その上で、これからの人生をどうするのかを考えるためです。労働市場の状況は、最近、やっとわかってきたような気がしています。

でも、以前も書きましたが、労働市場について分析をしていると、話を聞いた人は「そんなことをしている暇があったら、どんどん求職活動をしないとだめだ。」、「仕事が見つからないのは労働市場のせいではなく、自分の市場価値がわかっていない自分自身のせいだ。」というリアクションに多く出会いました。

 

やっぱり日本では、「自分が悪い」という「へりくだった態度」が、どうしても必要なようです。

 

hatasan2.net