「裸の王様」という童話は誰でも知っていると思います。
「裸の王様」という芥川賞を取った小説はご存じですか?
開高健の小説です。テーマは童話と特に違うところはありません。
でも、現代社会について考えさせられます。随分前の小説ですが、今の社会に通用する問題提起がされています。
どんな時代でも、どんな社会でも、「裸の王様」と「それに追従する取り巻き」は存在します。
ヒトラーとその取り巻きもそうだったのだと思います。現代日本の組織のトップとその取り巻きも、おそらく大多数がそうです。
ただ、そのこと自体は問題ではあるけれど、現実はそういうものです。
よく考えてみると、王様が裸であること言うためには、その人が言っても報復など危険な目に遭わない人であること、そういう人が適切なタイミングで「王様は裸だ」と言うことが必要です。
王様の取り巻きが「王様は裸だ」とテキトーな時に無防備に呟いたりしたら大変なことになるでしょう。
だから、重要なのか
(1) 「王様は裸だ!」と言うことのできる人がそう言うこと
(2) 「王様は裸」という事実を絶妙のタイミングで言うこと
です。
例えば、ジャニー喜多川が裸の王様で、少年に性加害をしてもいいと思っている。周囲は、気づいているけれど言わない。
気づいたのになぜ言わなかったのか?とメディアは大騒ぎです。でも、気づいていたからと言って、当時、本当に言えたのでしょうか?
また、そのことをきちんと取り上げるような社会だったでしょうか。
働き方改革で残業はしない方がいいと言われて、組織の幹部は残業禁止と声高に言っています。彼らは裸の王様です。ただ残業を禁止しただけで組織がうまく行くわけはない。
でも、だからと言って、現場の人が、今の働き方改革は間違っていると言えるでしょうか?
言ったら、どこかでそれが取り上げられ、改善に繋がるでしょうか?
パワハラは怪しからんと言います。でも、組織のトップでパワハラをしている人は今でもいるのではありませんか?私の元職場のトップもパワハラをしていたと思いますが、今なお安泰で、トップの座にいます。
周囲も気づいていると思いますが、言い出せません。
言ったら、自分が不利益を受けないと言えるでしょうか?
こういうことを踏まえて、どうしたらよかったのかを検証することが大切です。
裸の王様であることを指摘する人、童話ではパレードを見ていた子どもです。パレードという誰しも自由に事実を受け入れられる状況で、「王様が裸だ」という真実を明らかにします。
ジャニー喜多川の性加害問題では、過去に何度か週刊誌などですっぱ抜かれています。
でも、世の中は何の反応もしなかった。加害者は、状況が忘れられるのを待っていました。そして忘れ去られた。
ジャニーズ問題でも、働き方改革、パワハラ問題でも、すべて構図は同じです。指摘しても反応する人がいない。せっかく問題が表に出てきても、それを契機に事態を改善させることができない。
他方で、外国のメディアが取り上げ、国連から指摘されたら、急に問題が大きくなりました。週刊誌ではダメだったけれど、外国メディアなら問題が取り上げられたら問題が大きくなった。
その理由は何なのか?ここが本質的な問題です。
日本では、こういうこと、つまり、問題が明らかになったのに社会的に問題を解決していけなかった理由を議論することがありません。
声が挙がっていたのにそれが取り上げられなかった理由よりも、声を挙げなかった人を、後から、後出しじゃんけんで吊るし上げて終わりです。
結局、これからも「王様は裸だ!」という声を聞いた時、誰も何もせずに終わる社会が続くことになります。日本社会のあらゆるところで、声が聞こえても黙殺するような構造や組織が温存されています。
これでは、未来永劫、同じことが繰り返されるだけだと思います。