スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

「いじめは、いじめる人が悪い」という当たり前が通用しない日本(1) ~ミステリと言う勿れ~

King Gnuの「カメレオン」という曲がいいなあと思って聞いていました。

これって、ドラマ「ミステリと言う勿れ」の主題歌なんですね。初めて知りました。

 

これがきっかけで、ドラマを見てみました。少し前にTverで無料動画配信がされていました。1話~3話限定ですが・・・。

感想は、「面白かった。」です。

現在、4話以降を「有料で」見るか迷っているところです。近々映画化もされるようなので、その頃に全話無料配信されるかもしれないし・・・。笑

 

 

 

このドラマ、菅田将暉演じる主人公のセリフが印象的です。

第3話の、いじめについてのセリフです。

「僕は常々思っているんですが(これは主人公の決まり文句)、どうしていじめられている方が逃げなければならないんでしょう。恥ずかしくて問題があるのは加害者の方なのに・・・」

いじめの解決法として、現在は、「いじめられたら逃げてもいい」ということがよく言われていますが、掘り下げて考えれば、それは何だかおかしい。素直に考えたら、いじめる人がいなくなることが直接的、端的な解決法です。なぜ、被害者が逃げなければならないのか?

考えてみれば当たり前なんだけど、社会的には見落とされがちな点を主人公が明らかにして見せるわけです。

それを指摘することで、いじめられた人は救われた気持ちになる。ドラマでは、そう描かれています。

 

さらに深堀してみたいと思います。

なぜ、加害者であるいじめた方に対して対策を取らず、被害者であるいじめられた方に「逃げろ」と促すのか?

それは、被害者にそうさせる方が簡単だから。

社会(周囲の大人や学校等々)が、加害者にコンタクトして反省させ、以後いじめをしないように促すというのは、膨大な手間がかかります。まず、いじめがあったのかどうかを把握することが難しい。次に客観的事実が明らかになっても加害者側からの反発も予想されます。「これには理由がある。」、「被害者側に問題がある。」・・・云々。

 

反対に、被害者であるいじめられた人に対しては、「我慢しろ。」、「逃げろ。」、「お前の考えが甘い。社会は厳しい。」と言うだけで済んでしまう。きわめて簡単に一件落着となる(と思っている。)。

 

いじめられる人の属性としては、気が弱い、優しい、・・・などがありますから、余計に被害者側に我慢を強いることが横行するようになる。

 

この構図が温存されている日本社会には、大きな問題があると思います。

 

 

でも、問題はここでは終わりません。

仮に社会が本腰を入れて、いじめ撲滅に取り組んだとしても、根絶することはできません。必ずいじめる人は出てくる。現在の、いじめを放置するような構造は改められるべきですが、その努力にも限界はあると思われます。

その場合には、やはり被害者がどうすべきかという問題が出てきます。

 

現実にいじめに遭った場合、社会がそれを是正してくれればいいですが、そうではない場合には、被害者側で何とかしなければならない。その場合には、やはり、頑張るのではなく「逃げる」という選択肢が出てきます。現実には、被害者側で取り得る最も有効な手段なのだと思います。

 

 

そうすると、主人公が言うことは理想であったとしても、結局、現実は「逃げる」しかないではないかという疑問が湧いてきます。少なくとも現在の日本では、そうなのでしょう。

他方で、ドラマでは「被害者が逃げなければならないのはおかしい。」という言葉で、いじめに遭っていた青年は救われた気持ちになります。「被害者に対する理解」が人を救う面があるということを描いています。

 

 

 

いじめに限ったことではなく、就職氷河期で就職できなかった人たち、職場でハラスメントを受ける人たち、犯罪被害者など、制度が行き届かず辛い思いをしている人は多いです。そういう問題についても、社会として制度を改善していくことに加えて、周囲の人たちが「努力が足りない」とか「我慢が大事」とか「被害者にも落ち度はある」とか言うことをやめて、その被害者側の人たちの努力を超えて、その人たちが理不尽な扱いを受けることで感じる痛みに目を向け、まずは、理解をしていくことが大事なのだと思います。