人生を振り返ってみると、誰でも人生における大きな失敗をいくつかしているのではないでしょうか。
でも、失敗を経験をして実感したことは、「人は間違いから多くのことを学ぶ」ということ。
でも、間違いから学ぶと言っても、その学び方は人それぞれです。
割合としてかなり多くの人は、「これからは、間違えたくない」と学びます。
間違えないために、最も効果的な方法は、「挑戦しないこと」です。
前の職場には「働かないおじさん」的な人(性別は問わないし、もしかしたら年齢も問わないけれど)がたくさんいました。皆さん、間違いを怖れて、新しいことに挑戦することを止め、間違えないために仕事の守備範囲を少なくしよう躍起になっていました。
働かないおじさんとまでいかなくても、人はみな、次第に守りの人生になって行きます。
歳を重ね間違う経験をして、新たなチャレンジをしなくなり、変化のない安楽を求めるようになります。
でも、こうなると確かに間違いは減りますが、そこから何かを学ぶことが無くなります。
だから、人生の岐路に立った時には、間違ってもいいから挑戦することも大切だと思います。積極的に変化することに挑戦して、その後の人生で試行錯誤していくことは、大きく学びを得る機会になります。
私は昨年(令和4年7月)に33年間勤めた職場を退職しました。理想だと思える人生を目指して変化してみることにしました。
当時は、明確にそう意識していたわけではありませんが、今振り返ってみるとそういうことを漠然と感じていたのではないかと思います。だからこそ、決断できた。
現在の日本社会は、間違いを極度に怖れ、間違えた人を執拗に糾弾し、間違えないように敷かれたレールの上を走る人を保護する社会です。
だから、間違えを怖れ、安楽な人生、肩書や収入が保証された人生を求めて、敷かれたレールを走る人は多い。
このこと自体を非難はできないと私は考えています。安楽に生きたいという気持ちは誰にだってあります。
でも、思うのですが、そういう人生は豊かにならないだけでなく、実は安楽ではない可能性すらあるのではないか。
日本の社会制度は劣化を重ねています。会社などの組織では、正社員というニンジンをぶら下げて、社員を死ぬまで働かせようとしています。以前は60歳までがんばれば終わりだったのに、それが65歳になり、70歳になろうとしています。
「劣化」と言いましたが、人を死ぬまで働かせようとする巧妙な装置は、今なお、健在です。
だから現代社会では、ある程度年を取ったら、間違いを怖れず自分から変化をしていくこと、これが自分の人生を楽しく、そして、実は安楽に生きる必要不可欠な資質なのではないかと思うのです。
年齢を重ね、人生における間違いから学んできたのですから、無鉄砲に変化するのではなく、間違えた経験を活かして、できるだけ周到に準備をした上で(リスク管理をした上で)変化していけばいい。そうすれば間違うことで被る痛手を最小限にすることもできます。現在の社会制度に踊らされない人生を生きるのがいいのではないかと思います。
「退職から人生再建へのモデル」という記事は、そういう想いを込めて書いてみました。