「丁寧な暮らしをする餓鬼」(塵芥居士著)という本を、東京国立博物館のミュージアムショップで見つけました。
とても面白いです。
ほろっとさせられるところもあります。
「餓鬼」というのは、強欲な人生を送った人が死後、「餓鬼道」というところに生まれ変わったときの姿です。本の挿絵にあるような様子で、痩せていてお腹だけが膨らんでいる飢えた人というのが一般的なイメージです。
この普通の餓鬼は、飢えていても食べ物を食べることができず、いつまでも苦しんでいます。
面白いのが、餓鬼にも種類があって、そういう一般的なイメージの餓鬼のほかに「富裕餓鬼」というのもいるそうです。
いろいろな物を持っていて、食べることにも不自由していない。
でも、持っている物を失うのが怖くて、あるいはもっと物が欲しくて、苦しんでいる。
これって現代人に重なるような気がします。
物に限らず、失うことが怖く、もっと欲しいと思う。
今の裕福な生活を失いたくないから、失業の恐怖、左遷の恐怖、収入が減る恐怖におびえる。もっといい生活がしたい、もっと出世したい、もっとステータスになるものが欲しいと求め続ける。
まるで餓鬼のように渇望し続ける。
でも、実は、自分たちは過剰に持っている。
すでに手に入れているのに、足りないような気がしているだけ。
「足るを知る」ことで、渇望から逃れ、幸せに近づくのに。
自分には既に必要なものはそろっていることに気づいて、過剰な物を求めないというのは、最近流行りのミニマリストに通じるものがあります。
また、『大人もぞっとする日本の「こわい古典」』という本の中では、餓鬼が平安時代の古今著聞集に出ていることが指摘されています。(「水餓鬼」)。平安時代には既に、過剰に欲しがることは幸せにつながらないことが認識されていたということです。
現在のミニマルの考え方にも、平安時代の古今著聞集にも指摘されているところを見ると、足るを知ることが幸せな人生につながることは、普遍の法則なのかもしれません。
ちなみに、「丁寧な暮らしをする餓鬼」という本を見つけたのは、厳密には私ではありません。一緒に行った人です。ミュージアムショップで姿が見えなくなったと思ったら、この本にかじりついていたのです。餓鬼のように貪るように立ち読みをしていました。
一体、何がその人を惹きつけたのかは疑問です。