スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

うつ病から完治、その後の退職を経験して、優しく生きようかなと思う現在

1 周囲に合わせて生きるという価値観がメンタルをむしばむ

今の世の中、「他人の評価を気にして、周囲に合わせて生きる」ことで、生きにくくなることが多いです。精神的に参ってしまう人もたくさんいます。

 

私も、そういう生き方をして、うつ病になってしまったことがありました。

周囲の期待に応えようとして、長時間の残業をして、ストレスフルな状況でも弱音を吐かず、人につらく当たることもせずに、よく頑張ったと思います。当時は、そういう辛い状況でも、自分ならやっていけると思っていましたし、どんなに辛くても周囲の期待を裏切ることの方が問題だと思っていましたので、自分の限界を超えて体調を崩してしまいました。

だから、そういう価値観から抜け出すことの重要性は身に染みています。

 

私の職場に新人として入ってきた若者たちは、「本当にがんばっているな」と思う人がほとんどでした。今の若者はよくやっていると思います。

だからこそ、仕事を教える際にも、人によってはかなり厳しい水準を求めたりもしましたが、限度を超えた仕事を求められた場合にはどうしなければならないか、断ることや準備された制度を利用してある意味逃げることの必要性についても、話したりもしてきました。

過度に周囲に合わせようという価値観で体を壊すようなことにはなってほしくないとの思いからです。

 

2 じゃあ、周囲に合わせなければ幸せなのか?

ハラスメントをする人、働かないおじさん、職場で切れる人など問題になっている人がいます。そういう人は、周囲に合わせず、人に迷惑をかけているのですが、だから幸せなのかというと、そうでもありません。そういう人でメンタルの問題を抱えている人は多いです。

 

実体験として、結構驚いたことがあります。

職場で切れまくり、仕事をしないなどで周囲に悪営業を及ぼす人、働かない人、パワハラをする人など度を超して問題だと感じた人と接したとき、全員が言っていたことがあります。

話をじっくり聞くと、周囲の人の「態度が悪い」「言い方が悪い」、更に「組織が悪い」「管理職が悪い」と次から次へと出てきます。最後は「自分は被害者だ」と全員が言っていました。なんだか、みんなとても苦しそうでした

 

「そうか、周囲に合わせなければいい訳ではないのか」と目から鱗が落ちた思いでした。

精神科医やカウンセラーなど専門家の人たちも、問題行動を起こす人も「周囲に合わせなければならないという価値観で苦しんでいる」と指摘しておられます。

 

結局、周囲に合わせすぎてしまう人も、周囲に背を向けて迷惑をかけてしまう人も、精神的には同じ重圧に直面していることがわかります。

この結論は、自分自身もちょっと心外でした。問題行動人間と自分は同じなのかと。

 

自分自身、うつ病になってしまったときの精神状況を思い出すと、組織や社会の矛盾点に思い悩んでいました。期待に応えようとするのですが、どう考えても周囲の環境の要求は過大で、周囲の環境に問題があったからです。だから、社会が悪い、組織が悪い、そう思いたかったのだと思います。

これに対して、切れるという選択肢もあったのでしょうが、私は過度にがんばってしまったわけです。

でも、どちらを選択しても同じだったことは、今ならわかります。

 

3 メンタルを正常に保つことができる人は何が違うのか

よく言われることですが、「周囲という環境」は望むようには変わりません。これは絶対です。だから、周囲という環境を受け止めて、現実にどうしていくかを考えることが一番重要なのです。なんと単純なつまらない解決法なんだろう!

 

でも、現実を「受け入れる」ことは非常に難しいことです。考えても仕方がないところまで、現実の矛盾や問題点を考えてしまう。考えが頭の中をぐるぐる回ります。

ここから逃れられないのは病気です。でも本人は病的だと気づきません。「だって、現実の方が悪いんだから」と考えています。

 

結局、こういう無理なことはわかっているのに、現実に合わせようと頑張ることをやめられないメンタリティが問題なのですから、現実とはこういうものだと受け入れて、できないことはしないし、できることを見つけて、できることやることで満足するメンタリティを手に入れることが大切です

こうなるためのノウハウは、専門家の方が多く本に書いておられます。自分の縛られている価値観を理解する、考え方の枠組みを変える(リフレーミング)、退避場所を作る・・・など。

 

4 理想の人生に近づくために

自分自身が、うつ病から抜けられたのは、もちろん自分の価値観にこだわらず、現実を「まあそんなこともあるかな」という風に受け入れることができるようになったことが大きいのは確かです。

 

本当に難しかったと思います。理屈で受け入れても、感情がついていかない。でも、意識し続ければ変わることができるんじゃないかと思って、続けていたら、ある時、「そう言えば、最近頭痛もないし眠れないことも無くなった。不安に思うことも無くなったなあ。」と思う瞬間が来ました。まあ、10年以上かかりましたけど。

 

10年以上かかったのにも理由があります。

うつ病になるまでは、本当に限界を超えてがんばっていました。周囲の評価は非常に高かったと思います。おだてられて木に登って降りられなくなっていました。自分自身もどこまでもできると信じようとしていました。バカなことをしたと思います。

うつ病になった後も、努力したらすぐ直る、自分はそんなに重篤ではないと信じていました。仕事から帰って座ったら1時間は下を向いてじっとしていなければならなかったにもかかわらず、すぐ直ると現実を見ないようにしていました。

 

でも、そんなこんなしながら、治るところまで来ることができました。

現実を理屈ではなく感情的にもきちんと受け入れること、その上で自分の弱いところを「赦す」ことができるようになったことで、体調もゆっくりではありますが、大きく改善したと思います。

 

それとともに、思ったことがあります。

「周囲に合わせようと過度に頑張る」というメンタリティは、悪いことばかりでもありません。今は、「時によっては、周囲に合わせようとするのも、まあいいか」という風に思っていますが、その上で、こういうメンタリティを踏まえて、ある種「理想」というか「美学」のようなものを持って生きようと考えています。

 

社会や組織にはいつだって問題はあります。その中でどういう風に生きていくか。

一つの指針は「人にやさしく」生きるということだと思っています。周囲に合わせすぎるというメンタリティとよく馴染む美学かなあと感じています。

ハラスメントや人に何か押し付ける、高圧的に接するというところからは距離を置いた人生を構築していきたいと考えています。そういうのは美学が許しません(笑)。

 

まだ、観たことがないので、楽しみにしている映画があります。急ぎはしませんが、将来的に絶対に観ようと思っています。

さらば愛しき女よ」というハンフリーボガード主演、レイモンド・チャンドラー原作

の映画です。

「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない。」(生島治郎訳)

「厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。優しくなれないようなら、生きるに値しない。」(村上春樹訳)

というセリフがあるそうです。

人生なんでもあり