スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

「人は存在することに価値がある。」ということの意味 ~映画「プラン75」が提示する価値~

「人は存在すること自体に価値がある」と言われることがあります。

「もともと特別なオンリーワン」(SMAP世界に一つだけの花)という歌もあるし、心理学では「人と比較して優れているからではなく、あなた自身の価値に気づきなさい」という言説もある。

なんとなく、わかったような雰囲気にはなりますが、でもわからない!

 

 

「自分は自分しかいなくて、他人と比べる必要はない」という歌や学問的説明は「存在することの価値」そのものを説明している訳ではありません。それを聞いても、だから「存在することの価値」とは何だろうという問いに戻ってきてしまいます。

理屈っぽいですかね。(笑)

 

 

 

「プラン75」という映画を見て、高齢者の価値について考えさせられました。自分もそう遠くない時期に75歳になります。あと17年。

 

 

 

市場価値という言い方があって、高齢者には市場価値がない。

嫌な言葉ですが、経済的な視点から見るとそうなのでしょうか。

(そのこと自体、疑問を感じるところもありますし、学問的な場面はともかくとして、採用担当者などがそういう言葉を人に投げつけること自体どうかと思いますが、ここでは論じません。)。

 

確かに、75歳以上の人は、判断力、体力など若い人についていけないし、経済的な視点から見れば、消費ばかりしていて、生産性はほとんどない。

経済的、社会的に、高齢者には価値がないというのが、今の社会一般の常識です。

 

 

姥捨て山という昔話があって、老人の知恵が村を救ったり、老人の思いやりが深かったりで、やっぱり老人にも価値があるという教訓になっています。

ただ、これを現代社会に置き換えてみると、老人の知恵はネットで代用できるし、老人が増えて、それとともに思いやりのない老人も増えている。若い人の中には、老人を「きたない」と言う人すらいる。

これじゃあ、やっぱり老人には価値がないということになるのか?

 

 

結局、昔話をもってしても、現代社会で通用するのは、「倫理的に老人を大事にしなくてはならない」ということしか残らない。だから、倫理なんて知ったこっちゃないという若者(若者に限りませんが)からしたら、老人には価値がないということになる。

直感的には「そんな滅茶苦茶な!」とも思いますが、現代社会においては、これは極論ではないような気もします。誰しも、そういう価値観を心の中に持っているのではないでしょうか。だからこそ、度を越して、歳を取りたくないと感じて、アンチエイジングにまい進する。

 

 

 

話を戻します。

それでも、存在することの価値ってなんなんでしょう。

 

一つ考えられるのは、例えば、親は子供にとって安心感のよりどころです。歳を取ってからも、親が生きているということだけで安心します。

親子の間でなくても、恋人同士や他人でも尊敬する人、共感を感じる人など、その人が存在する(いる)ことだけで安心することがあります。

個人的な経験からも、職場の同期だった人と死別した時、大きな喪失感を感じたものです。その人とは仲は良かったけれど、いつも一緒にいるという訳でもなく、そんなに強い感情を感じたことに驚いたりもしました。

人は、自分が思っている以上に、他の人の支えになっている。

 

人に安心感を与えるということが、存在することの価値なのではないでしょうか。

 

そういう「人から得られる安心感」に気づかない社会は、本当に殺伐とした社会です。

 

 

では、人として存在することの価値を持つために大切なことは何でしょうか。

それは、「優しさ」、「慈悲の心」、「寛容さ」、言い方はいろいろありますが、人を肯定的に受け入れ、その人の拠り所になることのできる姿勢だと思います。

 

 

映画プラン75では、身寄りのない老人を倍賞美津子さんが演じています。

「身寄りのない老人」は、経済的にはもちろん社会的にも無価値。身寄りがなく親しい友達とも死別してしまっているから、一見誰かの心の拠り所になっている訳でもない。だから、社会から拒絶され死を選ぶことを暗黙のうちに強要されます。

 

でも、映画では、主人公と「少し」関わった人たちが、主人公の死に「大きな」疑問を感じます。

 

hatasan2.net

 

映画の主人公は、どんどんできないことが増え、社会から拒絶され、仲間も失い、それでも前向きな姿勢で生きて行こうとしていました。拒絶されても、人に対して誠実な態度で接し、人を心配し、人に感謝し、人を受け入れます。

そういう姿勢そのものに価値があるということだと思います。

それが、「少し」関わっただけの人にさえ、実は大きな影響を与えている。

 

そう考えれば、自分自身が存在することの価値を理解できるし、自分の存在することの価値を高めていくこともできる。

そんな風に考えて、今後の人生を送って行こうと思っています。