今から20年以上前のことですが、職場の極端な残業の多さやストレスが原因で、うつ病になったことがあります。
10年以上かかりましたが、私は、運良く回復することができました。
これは、人生における大きな転機だったと思います。
うつ病になる前は、本当に一生懸命よく働いていたと思います。残業の最高記録は月211時間。政策案件を扱う仕事で複数の部署の板挟みになることも多く、常に大きなストレスを抱えていました。他方で、子供が生まれたばかりでしたが、当時は今ほど子育てするための制度が整っているわけではなく、夫婦2人だけで子育てをするのは相当大変でした。
211時間残業した月は無理だったと思いますが、100時間程度であれば保育園のお迎えにも行きましたし、掃除、洗濯、おむつ替え、おむつ洗いなどをやっていました。
仕事には波がありましたが、大きな案件が終わり仕事がひと段落した次の日の朝、目が覚めて起きようという思ったのですが、どうしても起きられない。「あれ!おかしいな」と思って気合を入れるのですが、何度やっても、どうしても、結局起きられませんでした。
それがうつ病の始まりでした。平成12年12月の終わりでした。精神科を受診し、とりあえず年末まで1週間休暇をもらいましたが改善せず、そのまま年度末まで3カ月休みました。
4月には余裕のある部署に配置替えしてもらった上で仕事に復帰しました。でも、それからも、頭痛や倦怠感が抜けず2年経過しても改善しないため、慈恵医大病院に5が月間入院しました。このころはもう症状は一生改善しないかもしれないと思って生活していました。
慈恵医大では、慈恵医大独自の精神療法である「森田療法」を受けました。
概要は、まず入院して1週間は食事の時以外は寝るだけ。風呂もなし、個室で誰とも接触しないで過ごします。入院当初は「何もしなくていいんだ!」と安心して眠り続けますが、人間、不思議なもので2日もすると動き回りたくて仕方がなくなります。
それでも1週間同様の状況を続けると、生活に対する強い意欲が沸き起こってきました。
2週間目からは、普通の生活に戻していくことになります。
入院施設内では森田療法を受けている10人くらいの人たちと共同生活をします。最終的には共同で食事の配膳など準備をしたり、動物や植物の世話などの作業をするのですが、最初の数日は共同生活を見ているだけ、その後だんだんやることを増やして体を慣らしていきます。
そうやって一度リセットした精神を通常の生活に耐えられるように戻していくという精神療法でした。
人により合う合わないがあるようなのですが、私はすごくハマったようです。5カ月かかりましたが、かなり体調をもとに戻すことができました。もちろん、退院してから更に7年くらいは完全に回復するまでは時間が必要でしたが、森田療法を受けたおかげで相当気持ちが楽になりました。
この経験から、学んだのは以下のようなことです。
1 人間の体力には限界があること
当たり前なのですが、病気になる前は「自分はまだ頑張れる。」と思っていました。そう思って頑張ろうとしていました。
本当に起きられなくなる前の段階で、夜眠れなくなったり、腰を痛めたり、肩や背中が痛くなるなど色々や兆候がありましたが、無視して頑張り続けていました。
2 自分の状況を客観的に見る必要があること
病気になる前もそうですが、治療に入ってからも、なかなか客観的に自分の体調を把握することができませんでした。仕事に復帰してからも、仕事から帰宅したらソファに座って1時間も動けない状況だったのに、「それほど重篤なうつ病ではない」と思っていました。今にして思えば、何で重篤でないと思うのか理解できませんが。
3 人と適切な距離を置くのが大切なこと
よく言われることですが、人の評価を気にしていて、頑張ってしまっていました。「ひとは、ひと」と割り切って考えることを学びました。ただ、これは言うは易く行うは難しで、今でも肝に銘じるようにしています。
簡単なことなのにこういうことが自分はできていなかったんですね。
心の底から反省をするのに何年もかかりました。本当に反省をしてから数年でやっと症状が消失しました。
発病から10年くらいして気づいたら頭痛も無くなっていて、・・・と言う感じです。
人として大きな変化だったと思います。限界を認めたら人生観も変わりますし、日常生活でも過度に人のことを気にしないように気をつけます。体調の変化にも敏感になります。
今回、大きく体調を崩すことなく退職に至れたのも、このような経験があったからだと思います。また、この経験があったからこそ、退職の決断をすることもできたのだと思いますし、退職後も人の目を気にしないようにして楽に生活ができているのだと思います。
仲良しの地域ねこ