うつ病で精神科に通いながら、随分本を読みました。振り返ってみると、人生で本を読むいい機会になったのかもしれません。
休職しているときには、何とか回復へのきっかけがほしくて、難しくても哲学や宗教の本を読んだりもしました。
様々な本を読んでみましたが、最も惹かれたのは仏教の考え方です。
何かを信心したいということではなく、「釈迦って、どんなことを言ったんだろう」という興味から勉強するようになりました。
アルボムッレ・スマナサーラ長老(スリランカ上座仏教の長老だそうです)の本をよく読みました。お釈迦様の教えがわかりやすく書かれています。
「怒らないこと」という本は、現状に不満を抱えていた私を相当楽にしてくれました。頭痛、抑うつ感、吐き気などのうつ病の症状に苦しんでいたころ、わりと即効性がありました。自然に気持ちが楽になりました。
怒りの感情が自分を幸福にすることはありません。経験的にも、どんなに理屈をつけても、振り返ってみると怒ってよかったことはないと思います。
今のネット社会を見ていても怒っていいことはないことは明らかだと思いますし、自分自身にとって「怒ること」は猛毒だと著者は言っています。
議論すればいいのであって、炎上させる必要はないでしょう。炎上させていい気分だと思っているのは錯覚です。まあ、自分の感情じゃないからわかりませんが、少なくとも人に激しい言葉をあびせて、自分自身、幸せを手に入れたことはなかったと思います。
仕事をしていた頃、私は、「先輩として、管理職として甘い」とよく言われました。特に最近はミスを減らすためにきつい言葉で部下職員に注意(なんですかね)することが許容されていて、パワハラとの境目が難しいなどとも言われていました。
私の考えでは、別に難しくもなんともなく、それはパワハラだと思っていました。だって、ミスってわざとするものではないですから、その人にきつくあたって無くなるものではないでしょう。私には、組織を挙げて、外向きの言い訳作りをするとともに、ストレス解消をしているようにしか見えませんでした。
今、振り返ってみても、厳しくなんてしなくてよかったと思います。
日本人では、小池龍之介さんの本が面白いと思いました。一般的には「考えること」は肯定的に受け取られています。考えない人間はダメな奴だし、考えて行動しないと怒られることも多いです。ただ、考えることをやめられずに苦しむのが人間であるという仏教の視点が本当に新鮮でした。
考えることをやめられないから不眠症にもなりますし、そうなると体力を削られてうつ病にもなります。
余談ですが、「考えることをやめられない人間」という表現は、村上春樹の「騎士団長殺し」にも出てきます。
退職しようと決断した後、実は眠れなくなったことがあります。
自分では、ちょっと意外でした。あと数か月でゴールという状況になった訳ですから、精神的には楽になると思っていたからです。
ところが、仕事の嫌なところが目に付くようになり、最後まで無事に過ごせるかどうかの不安が意識されるようになりました。また、意識はしていませんでしたが、退職した後の生活について、怖れのようなものもあったのかもしれません。
夜中に目が覚めて、仕事のことが頭に浮かんで眠れなくなりました。
「考えることをやめられない人間」状態です。
考えることが自分自身を苦しめている状態でした。
仕方がないので、精神科を受診し、睡眠導入剤を処方してもらいました。残りの数か月、薬の助けもあり、無事に過ごすことができました。薬の力で考えることを止めて、きちんと睡眠をとれる状況に自分をリセットすることができたわけです。
意識して考えないようにすることは大切です。
ただ、人生の節目などはプレッシャーもそれなりに大きいものになりますから、それができないときは、頑張りすぎず専門家の助けを求めるのもいいと思います。
こんな感じで自分自身の人生の節目で、仏教の考え方はとても役に立ちました。
他にも、本当に納得させられる教えがたくさんあります。釈迦が言ったとされることにフォーカスすると、仏教は、とても論理的、実際的であることがわかりました。
釈迦の基本的な考え方である「無常」、「因果応報」という考え方も、実は非常に説得力があります。世の中のすべては常に変わっているということの自明性。原因があれば結果があるという当たり前の法則、これを前提に人生の問題を考えれはよいとする教えだと理解しました。
無常は、どんなことも永遠ではないということ。因果応報は、結果には必ず原因があるということ。両方とも当たり前すぎますけど、これを意識して生きている人は、意外に少ないと思います。
変わりたくないと執着しても無駄なだけ、状況に応じて自分も変わるのが当たり前。それに逆らっても苦しいだけです。
今が将来の原因になっているから、努力するなら今。努力が実らなかったとすると、正しく因果の流れを理解していなかったからかもしれない。
こういう視点を持つといろいろなことが見えてくる気がします。
自分自身も変わらざるを得ないのであれば、自分の思うように変わるのがいい。その際には、自分はどうなりたいのか、そのためにはどうしたらいいのかを考える。
周囲や世の中が「正しい」としていることから離れて、周囲が何と言おうと、自分自身できちんと考えるのがいいのではないかと思います。釈迦は、自灯明 法灯明(じとうみょう ほうとうみょう)と言ったそうです。自分で考えること、客観的な法則に従って考えることが大切だということです。
簡単に言うと。「自分は自分、人は人」ですね。
仏教を深く学べたのも、自分自身が体調を崩してうつ病を患った経験があったからこそだと思います。本当にいろいろなことを学びました。今も、生きていく上での指針としています。