スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

私が公務員を退職した理由(2)~ITが苦手、責任を取らない組織~

1 システム音痴の組織だった

今はどこの職場でもパソコンでシステムを使っています。私のいた職場はシステムやITが著しく苦手でした。

色々なシステムが導入されるのですが、不具合が多発するし使い勝手も悪いというものばかりでした。組織全体がそんな感じですから、職員一人一人も苦手を公言している人が驚くほど多かった。

がんばればこのブログを立ち上げられるくらいの私が「パソコンに詳しい人」と呼ばれていました。「パソコンに詳しい人」というフレーズ自体、どうかと思いますけどね。

 

退職の前年度には基幹システムが3か月もの間止まりました。当然、職場は大混乱、組織としての指示は支離滅裂。某銀行や携帯会社の例を引くまでもなく、大きな組織の基幹システムが止まったら、大変な問題であるはずなのですが、役所のホームページにひっそりと事実関係の説明がアップされただけ。

現場にいた私も止まっている間の事務処理をどうするか、復旧する際の手順をどうするか等々、本当に苦労しました。

でも、システム復旧後は、誰も責任を問われず、具体的な実効性のある再発防止策も公表されず、終わり。

役所の組織というのは、そういうものと痛感する出来事でした。

 

2 人不足を放置する組織だった

退職の1年前くらいに職員が1人亡くなりました。そのこと自体とてもショックなことでしたが、当然のことながら部署のマンパワーが足りなくなり大変でした。結局、人員が補充されたのは4か月後のことでした。

 

3 間違いを許さない風潮の組織だった

そんなこんなで多忙を極めていましたが、「公務で間違いがあるなどということはありえない」というのが組織の方針でしたので、どんな状況であろうと間違いは許されませんでした。私も、退職の直前、外に出す文書で一か所間違えてしまったのですが、上へ下への大騒ぎとなり、過剰な対外的な対応を強いられ、それに2カ月を要し、大きなストレスでした。

 

4 今思うこと

働き方改革、男女平等を標榜し、理想を実践しているという役所のイメージ戦略とは裏腹に毎日の職場は息がつまりそうでした。仕事ができる人や現場に多くを押し付け、イメージ戦略に沿う人たちを優遇し、取るべき責任は取らない(個人の間違いには異常に執着し、組織としての責任の所在はあいまい)。今でも、そこで働いている人には、同情を禁じえません。

でも、特に自分がいた職場、組織だけが酷いところだとは思いません。現実の組織というのは、そういうものかもしれません。

コロナ騒ぎのときに、保健所の人員が足りないとあれだけ騒ぎになっても人は増えず、感染者数の集計方法、システムに問題があるとわかっても何の対策も取られなかったのと全く同じ構図ではないかと思います。

それでも保健所の人は、目の前の感染者の役に立とうとがんばっておられました。その上、人が増えないことやシステムの問題について、直接は自分の責任ではないにもかかわらず、そのクレームも受けることすらしておられたのではないでしょうか。

 

私が個人としてできることは、(1)組織に残って組織改革をする、(2)組織を去って自分の人生をやり直す、両方が考えられました。私は、組織を去ることを選びました。

30年以上、組織を良くしようと頑張ってきました(微力ながら)。ただ、現在の状況を考えると自分が現在必要とされている状況ではなく(そのこと自体不当だと言うつもりはありません)、ここから更に頑張ったところで、定年までに結果がでることは期待できない。そういう理由で、退職してもいいかなって思いました。

 

近所のねこ。最近は彼らとも付き合う余裕ができた。