小学生の見守りの仕事で小学校で働くようになってから1年半近くが過ぎ、今月末退職することにしました。馴染みのない業界でしたが、本当にいろいろなことを学ぶことができて、感謝しています。
この節目に、現在の仕事を通して考えたことを書いてみます。
教育関係の専門家の言う「子どもの自由を尊重してのびのび育てる。」「それぞれの違いに配慮した教育」という考え方に強く限界を感じるようになりました。
1 一部の児童だけが自由な現場
現在の教育現場では、静かにしていられない(常に声を発していないといられない)、人の話が聞けない、じっとしていられない、人に対して過度に攻撃的などの特徴のある児童が相当の割合存在します。いわゆる「切れる子」もいます。
こういう子ども達に対しては、子どもの言うことをよく聞き、いいところを誉め、課題について自分で気づかせるのが良いとされています。それが「理想の教育」であると、言い方は違っても多くの教育の専門家が言っています。
でも、現場でそういうことをしてみても、大体は失敗します。
その理想を追求しようとした場合のデメリットは一般には知られていません。
こういう子ども達は少数であっても、環境を著しく悪化させます。いいとか悪いとかの問題ではなく事実です。
少数の子どもが騒ぎ始めた時、教育専門家の方の言うように騒ぐ子にきちんと配慮していると、その少数の子どもに追随する子がどんどん現れます。そうすると大人は手が回らなくなりますから、大方の教室では収集がつかない状況になっています。
「のびのびと育てるためにじっくりと向き合うように」していると、「自分にも関心を持ってほしい」という子が追随する。自分たちも騒いだり乱暴なことをして注意を惹こうとする。一人に「丁寧に」向き合っていると、それ以外の付和雷同する子が出てきてしまい、どんどん環境が悪化する。
結局、周囲に合わせられない子どもの自由を尊重することで、教育環境全体が著しく悪化することになるということです。
2 自由を尊重されるべきなのは誰か
こういう環境の悪化に同化しない子どもも一部います。人が騒いでいても、自分はそういうことをせず、自分のやるべきことをやる。また、周囲がそれ以上に騒いだり乱暴になったりしないように、大人との間を調整したりすることさえあります。子どもなのに大したものだと感心します。
でも、そういう子は本当に大変です。多数の騒いている子に巻き込まれず自分自身でどうすべきかを判断し、他方で騒いでいる子と軋轢を生まないようにやっていかなければならない。
今、割を食っているのはこういう子どもです。
私が小学生時代を過ごした昔であれば、先生や指導的立場にある大人が無理やりにでも騒ぐ子を黙らせました。方法が適切だったかどうかは置いておくとして、まじめにやっている子が損をしないような配慮がされていました。
まじめにやっていれば、自分に不必要な負荷がかかることは無かった。
でも、今は違います。そういうまじめな子たちに社会の歪みのしわ寄せが行っています。現代社会で負荷がかかっているまじめな子ども達に関しては、教育専門家は何も言いません。現場の大人もそういう子たちに目が行きません。
私は、本当に自由を与えのびのび育ってほしいのは、こういう子ども達であると思います。
3 理想的な教育とは何か
私のこういう感じ方、考え方に対しては色々な批判があることは容易に想像がつきます。
最近は、自分がADHDであることを公表し、それでも社会に貢献している人もいますから、一概に和を乱す子どもが悪いと言うつもりもありません。そういう子どもをも受け入れることができる教育環境が理想なのでしょう。ただ、教育の専門家と称する人は概して、そういう理想論は語るけれども、語った後は現場にまかせっきりです。
やりたい放題やる子どもを目の前にして、大人ができることは何なのか?という問題に正面から答える専門家を見たことがありません。
拒絶反応を承知で言えば、「どうしてもうまくいかない子」というのは必ずいます。「そんな子はいない。」と理想論を安全地帯から発信するのは勝手すぎる。どうしようもない人がいるというのは、大人も子どもも同じです。大人の社会で一部の真摯な人にしわ寄せが行っているのと同じことが、子どもの社会でも起こっています。
そういう人間に出会ったとき、どうするべきなのか、突き詰めて考えることが喫緊の課題だと考えるようになりました。
4 教育無償化と言われていますが・・
現在、教育無償化が議論されています。耳障りがいい言葉だと思います。
ただ、無償化されて学校に行けるようになって、何が変わるのでしょうか?何となく「学校は行けた方がいいよね。」という雰囲気ですが、本当に今のままの学校にみんなが行けたらいいのでしょうか?
政治的な議論になると、何でもそうですが、結局「カネ」の問題にすり替わってしまう。カネを出せば、問題は解決すると思っている。
無償化して多くの子どもが学校に行くようになったら、学校はどうなるんでしょうか?今のままでは対応できないのは明らかですが、どうするんでしょうか?制度を整備するために、更にお金を使ったり、現場の余裕を作ったりするのでしょうか?
今の日本では、学校、教育のシステムのリコンストラクション(再構築)が必要だと強く感じます。今、放送中のドラマ「御上先生」のセリフです。ドラマの問題意識とは少し違うけれど、根は同じなのではないかと思います。