前々職に就いていた頃のことですが、「同じことを2度も3度も聞くな。」とか「人に質問する際には、自分で調べてからにしろ。」という上司が多かった。私自身は、後輩や部下に対しては、「質問はいくらしてもいい。同じ質問を何度しても構わない。」と常日頃から伝えていました。
1 私が「同じ質問をしてもいい。」と言ってきた理由
私がそんなことを言っていた理由はいくつかあります。
(1) いちいち調べてから質問しようとするのは時間の無駄だから
上司(先輩)に対して質問を連発する人は、その問題について精通していないことが多い。考えてみればわかりますが、ある程度のレベルになってくると、人に質問するよりも自分で調べた方が早いと考えるようになります。その人は、そのレベルに至っていないということです。
そういうレベルに留まっている間は、調べ方、調査の方向性、深さなどもわかっていないので、闇雲に調べまわるのは本当に時間の無駄です。昭和の時代のように「無駄もまた将来役に立つ。」などと呑気なことを言っていられる時代ならまだしも、現代社会でそんなことをしていたら、組織としても効率が悪くて仕方がない。
しっかり理解している上司や先輩に質問をして、方向性がわかってから調べても遅くはありません。
(2) 2度目、3度目の質問は質問者の問題意識が違う可能性が高いから
一見同じ質問であっても、一度目の質問の後、実務を経験してみたら、深くわかっていなかったことに気づく場合があります。そういう場合には、一度質問した人と再度やり取りすることは、合理的でとても有用だと思います。前回の質問の際のやり取りがベースにあるので、理解を深めていくにも時間が節約できます。
誰でも仕事をしていると、問題意識が深まることはよくあることです。一旦「答えが出た。」と思っていても、少し違う事案にぶつかった時に考え直さなければならないことは珍しいことではありません。
そこで再考察することが許容されているという環境が必要です。
(3) 質問者の中で、問題に対する答えが再構成される機会になるから
(2)とも関連しますが、質問、回答を繰り返していく過程で、理解が深まり、知識が体系的になっていきます。様々な角度から考え直すことで、知識が更新されていく。
口に出してやり取りする中で、自分の中で悶々と考えているだけでは気づかないことを会得できることも多いと思います。
(4) 質問をされた人も、問題に対する理解が深まり、更に答えを適切に後進に示すノウハウを得る機会にもなるから
(3)の裏返しにもなりますが、質問を受けた方でも質問者と同様に問題に対する理解が深まります。
それと同時に、質問に対する答え方を反省する機会になります。後進の理解が浅かったのは自分の説明に問題があったせいかも知れません。また、質問者の意図に寄り添えていなかったため求める答えを提示できていなかったのかもしれません。
コミュニケーション能力も含めて、自分自身のやり方を顧みて改善していく良い機会になると思います。
2 「同じ質問をするな。」という上司の多い職場の問題点
当時から感じていたのですが(私の感想ですが)、同じ質問を嫌がる人は上司としての資質に欠けていることが多い。同じ質問をする人を向上心の無い人と決めつけて排除しようとします。そういう態度がどれほど職場に悪影響を及ぼしているのかを考えていないように私には見えました。
もちろん、自己研鑽を怠り「何でも聞けばいいや。」という態度の職員もいることは事実です。でも、だからと言って「同じ質問をするな。」と公言していいとは思えません。
質問を一回限りと限定すると、問題点について試行錯誤をして検討する機会が奪われます。そういう態度は次第に組織自体を蝕んでゆきます。
組織風土として試行錯誤を嫌うようになる。安直な正解を求め、間違いを認めず、一度出した結論からの逸脱を悪と見なすようになります。
最近、メディアやネットで「最近の新入社員は優しくしても、すぐに辞めてしまう。」という声をよく聞きます。
私には、新入社員が辞めるのは「厳しいから」とか「優しいから」とかではなく、上司や先輩も「共に」、問題解決に当たる姿勢が感じられないからではないかと思っています。そういう姿勢は新入社員のやる気を削ぎます。
そういう組織風土を若者は敏感に感じているのではないでしょうか?
3 蛇足
先日、前に働いていた職場の若手たちが我が家に遊びに(呑みに)来ました。その際に、在職時の私について、
「何度でも丁寧に教えてもらったけれど、要求レベルは高かったですよ。」
と笑って言われました。
「何度でも質問してくれたら相手になる。」という姿勢を示すけれど、しっかり到達点を示すというのが、職場の先輩がすべきことだったのだと再認識しました。
(ちょっと自慢です。)
今、心から、後輩たちが活躍できることを願っています。