前に松江旅行のことを書きました。続きを少し。
ひとり旅をする時はとにかく歩きます。
疲れるけど、自分の旅の貴重な体験は歩いている中で得られることが多い。観光スポットでその土地のイメージをつかんで、それから歩く。すると感じることがある。
前に書いた不思議な体験も、歩いて移動している時の出来事です。
それ以外にも、「ふらっと入った漆塗りのお店での店主との会話」とか「八雲ミュージアムから帰る途中に立ち寄った稲荷神社の雰囲気」とか、歩いていると様々なことにでくわした。
歩いていたら漆塗りの器を売る店があった。私は焼き物に比べて塗り物にはそれほど興味はない。だけど、店主と目が合った。「買わなくていいから見て行って。」と言われ半分は仕方なく店に入った。そこで、普段使いの漆塗りの器の使い方(普通に考えられているよりずっとざっくりでいい)とか、全面に塗らない技法とか(松平不昧の弁当箱)の話を聞き、「漆塗りも、少し使ってみようかな。」という気になった。自分の美意識の中に漆が忍び込んできた。
でも、何も買わずに店を出たですけどね。
小泉八雲についてミュージアムに行ってみたけど、平日にもかかわらず大混雑。入るのをあきらめて昼食を食べるところを探す途中、松江城の堀の中にある稲荷神社に立ち寄った。
神社には誰もいない。おびただしい数のきつねの人形がこちらを見ていた。多勢に無勢。初めてこの神社を訪れたラフカディオ・ハーンと感覚がシンクロした気がした。
こういうのって思い付きで色々なところに寄るから、貴重な体験ができるんだと思う。でも、人と一緒だと嫌がられます。だから、ひとり旅の特権。
歩くことがその土地の深い精神性のようなものを体感することに通じるんだと思う。
その土地自体を体感すること、これが私の旅の目的の一つ。
