執務室の一角にある会議屋で、今、上司と1対1で向い合っている。
「今年一年お疲れさまでした。本当によくやってくれました。ついては、●●さんの1年間の勤務評価ですが、A評価となります。」。
上司が「良かったですね。」というニュアンスの表情で言った。
「A評価か・・・」。
私が働いてきた職場の評価はS、A、B、C、Dの5段階評価。私はこれまで評価をそれほど気にしたことは無い。もちろん評価を聞いた時にいい気持になったり、そうじゃないこともあったけれど、基本的には「ああそういう評価なんだな。」と淡々と受け入れてきた。
だけど、今回は聞いた瞬間に受け入れられなかった。激しく反発したという訳じゃない。ただ静かに「辞め時だな。」って思った。
58歳管理職だった4年前、3月の出来事。
自分が勤めていたのは国の役所。ここ十数年で職場環境は大きく変わった。
仕事に関しては、「国民の厳しい目」を意識しろと言われ、必要以上に気を遣うようになった。仕事は複雑化し業務は際限なく増えていった。半面、予算削減のため人は削られていき、同時に働き方改革で長時間働くことは許されなくなった。また、産休育休を取る人が増え、メンタルダウンで病気休暇を取る人も珍しくなくなった。
こういう状況でしわ寄せが来るのは、仕事ができる人、あるいは誠実に仕事をしようとする人だ。誠実で仕事ができる人は特に悲惨。人の仕事まで押し付けられ、それが「当たり前のこと」とされた。
退職前一年間くらいは、様々な出来事があった。
4月、異動で部下職員の構成が変わった。4人のうち2人は役所に入ったばかりの新人。残りの2人は再雇用。かなり無理な構成であることは誰が見ても明らか。ただ、人手不足の昨今これで結果を出せというのが組織の考えだろうし、新人の指導は嫌いじゃないから受け入れた。
9月、職場の同僚が亡くなった。突然のことで引継ぎも何もされていない。仕事は待った無しなので、代わりの人が来るまでできることは自分がやり、外部には迷惑をかけないよう調整をした。組織からは「次の人が行くのは、来年4月」と言われた。人事の論理では「そんなにすぐに人は出せない。」ということ。交渉しても「できないことはできない。」と冷たい対応。むしろ外部の方が温かかった。「それは仕方ないね。合わせるよ。」、「できることがあったら言って。」。彼らも忙しいはずなのに・・・。グッとくるものがあった。
11月、仕事で使っているシステムが止まった。ある日の朝、突然何を入力してもどこをクリックしても反応しなくなった。当時の基幹システムで対外的にかなり大騒ぎになった。システムダウンの影響は甚大だった。自分では自分の部署でシステムが無くても仕事ができる体制を直ちに作り、システムが再稼働した時の準備をすることも考えてやった。組織内は大混乱していたけれど、淡々とこなした。仕事に遅れは出さなかった。結局、システムが再稼働するまでには4カ月を要した。再稼働後は止まっていた間のデータをどうするかが全国的に大問題となっていた。自分の部署は準備していたので直ちに復活。「すでに復旧済み」と報告したけど、特にほめられることも無かった。
そういう状況の中で過ごした1年間の勤務評価の場が、冒頭の会議室だ。
「冗談だろう。S評価以外に考えられないんじゃないか?A評価って通常の状況でそれなりの結果を残した場合に与えられる評価。『たいへんよくできました。』という評価だろう。」、瞬間的に頭の中を考えがめぐった。
組織の定義ではS評価は組織内でトップクラスの評価だ。組織に大きなプラスの貢献をしたということ。私のように組織のマイナスにならないように食い止めたことは「そうすることは当たり前」であり、プラスの貢献ではないから評価されない。そういうことなのかもしれない。
勤務評価を聞いた時の感想を言えば、一言「あきれた。」。だから、「辞め時だな。」って即座に考えた。
退職する10年も前から、「一生を仕事に捧げるのが自分の本意なのか。」、自問自答を繰り返してきた。
仕事は常に追いかけてきたから、仕事をしていて、人生で大切なことや本当にやりたいことを後回しにしてきた。家族、人付き合い、・・・様々なやりたいことを先送りにしてきた。後回しにしたことすら忘れてしまったこともある。いつかこのツケを払わなきゃいけない。いつか自分の納得する人生にしたい。そう考えるようになっていた。(前回記事)
勤務評価の瞬間は、そういう人生への扉が開く瞬間だった。「A評価となります。」と言われた時、次の人生への扉が開いた。
1週間後、辞職願を提出した。
