ミスをした人を執拗に追い込んだり、反論できない立場の人を度を超えて叩き続ける世の中です。
理不尽に叩かれた人は、「自分が悪いからだ。」と思い込んだり、自分より弱い立場の他人に対して同様のことをしたりします。被害者が無限に増えるし、ますます社会がギスギスしていく。
「社会としてこういう傾向が是正されたらいいな。」とは、もちろん思います。ただ、程度の差はあっても、社会とはそういうものかもしれません。だから、自分がこういう弱い立場に置かれたらどうするかということを考えておかねばならない。
結論を言えば、こんな立場に立たされたら、「逃げる。」とか「距離を置く。」ことだと私は思います。自分の人生において最低限必要なものは何かを考えて、それさえ確保できれば今の社会的なポジションから降りる。
多くの人にとって、「逃げる時に最低限必要なもの」は、
・お金
・健康
・将来のビジョン
だと思います。
でも、こういう準備ができていても「逃げる。」ことに踏み切れない人も多い。「格好悪い。」と思って、できないのかな。
だけど、理不尽な扱いを受け続けていたら、
・ストレスから散財してしまったり
・健康を害したり
・自分の人生について真剣に考えようとしたら手遅れだった
ということにもなりかねません。
そんなことになる前に早く理不尽な状況からは逃げ出したらいいのにって、私は切実に思います。
逃げ出すことは、決して格好悪いことではありません。自分がそういう道を選択するという決断をできるということは誇ることであっても恥ずかしがることではありません。実際に人とは違う道を選択した人は、皆さんそう感じていると思います。
周囲と同じ人生を歩んでいたら安心感はあります。でも、その安心感を得るには過大なコストがかかっています。特に今の社会はそういう社会のレールに乗ることに過剰な負担を求めています。人の仕事まで肩代わりしなければならなかったり、ギスギスした組織を支えなければならなかったり。
今自分が置かれている「安心できるけれど過剰な負担を求められる環境」からできる限り早く距離を置きませんか。それでいいという意識改革が必要だと思います。
そういう決断をした人と話をする機会が無いとわからないかもしれませんが、後悔している人は少ないと思います。
国や社会、周囲の人は、いろいろなことを言うかもしれません。でも、最終的に責任を取ってはくれません。まさに本当の意味での「自己責任」です。
逃げる人が多くなれば社会が回らなくなります。その時になって初めてそういう社会を変えようという大きな動きが出てくる。そういうこともあるのではないでしょうか。
だから、私は組織から逃げ出しました。
自分の責任で逃げだした経験のある人が多くいる社会、逃げだすことを許容する社会を実現することが、真の多様性のある社会の実現に繋がるのではないかと感じます。