- 1 フジテレビ、中居正広氏をめぐる性加害問題
- 2 今回の問題を経てフジテレビは変わるか?
- 3 組織ってどうしたら変われるのか?
- 4 なぜ組織は自律的に改善されないのか?
- 5 意見を言えば組織は変わるか?
- 6 組織の構成員はどうあるべきか?
- 7 再考 フジテレビは変わるか?
- 8 まとめ
1 フジテレビ、中居正広氏をめぐる性加害問題
中居正広氏の性加害疑惑が報じられ、フジテレビが窮地に陥っています。
・散々「正義の味方」面してやってきたテレビ局が、女性アナウンサーをいかがわしい接待に利用したという疑惑は本当なのか?
・本当だとしたら(本当だと多くの人は決めてますけど)どう責任取るのか?
ということで大騒ぎです。
2 今回の問題を経てフジテレビは変わるか?
ジャニーズ問題もそうだったし、性加害以外の企業の不祥事なども同じですが、似たようなことが何度も繰り返されます。
これに対する流れは、いつも大体同じです。犯人役の人を探して、大騒ぎをして叩いて・・・。その人が責任を負ったような感じになって終わりです。
今回も、10時間にも及ぶ記者会見をして、散々ひな壇の上の人を糾弾しました。これからは、辞任する人が辞任したら、あとはフジテレビが潰れるか存続するかが焦点でしょう。そこで終わりになるんだろうと思います。
つまり、結局、何も変わらない。
フジテレビがジャニーズのように潰れても、業界の本質的な問題は温存されたままになる。
余談ですが、日本が太平洋戦争に敗北した時も、結局、「陸軍が悪かった。」という程度の総括でした。日本の組織の意思決定の方法や個人のものの考え方など、本質的に改めるべきところは何だったのかという議論はされないまま現在に至っています。
3 組織ってどうしたら変われるのか?
じゃあ、組織や社会が変わるためには、どうしたらいいのか?
結論から言ってしまえば、組織があらゆる場面で多くの人の意見を拾って、良い意見であればそれを実行に移すことだと思います。言葉を代えて言えば、
(1)組織内の問題を議論の俎上に上げる。
(2)問題を議論して、議論の結果を踏まえて組織としての問題解決に動く。
ことだと思います。
こういう自律的に問題を解決してゆくやり方が理想だと考えられます。
本当に、ばかばかしいくらいに当たり前のことです。
ただ、このオーソドックスはやり方は、実はとても難しい。
4 なぜ組織は自律的に改善されないのか?
このオーソドックスな自律的変化が難しいのには、当然、理由があります。
第一に、組織内の問題を直視することが嫌いな日本の組織では、問題があることを口にすること自体がはばかられるという現状があります。組織内で気を使って(忖度をして)意見がいいにくい。また、「どうせ変わらない。」という諦めが蔓延していて意見を言おうとしない。
実際、「意見を言っても、どうせ自分の組織では通らない。」という類のことを言う人はとても多い。
第二に、良い意見があったとしても、それを拾って実行に移すというコンセンサスがない。
個々の社員は意見を言ったらそれを自分がやらされて忙しくなるのではないかと恐れ、職場のリーダー的な立場にいる人は「意見をすくい上げて、それを実行なんてできる訳がない。」とか「めんどくさい。」と意識的にも無意識にも考えている。また、組織の上層部は、意見をうるさがるし、意見を言う人を排除したがる。
その結果、現場は、
・意見を言っても無駄と感じる(現に無駄)。
・意見が通ったとしても、周囲の協力が得られない。
ということになる。
30年以上、私も組織で過ごしてきましたが、「無駄」という空気感は予想以上に強い。また、これまでと違うことをやろうという雰囲気も、上層部から現場に至るまで驚くほど無い。
5 意見を言えば組織は変わるか?
「どうせ変わらないと思わずに、意見を言い、様々な声を上げることが大切だ。」というのは、様々な識者が語っています。このことに私も異存はありません。
ただ、現在の日本の組織ひいては日本の社会では、声を上げにくい雰囲気が非常に強固に蔓延(はびこ)っています。「忖度」、「同調圧力」などの単語があらゆる場面で頻繁に使われることも、その証拠です。
この強固な雰囲気の正体は、「個人のメンタリティの問題」であると同時に「組織、社会が積極的に同調圧力を好んでいる結果」であると思います。
更に、意見を言ってすり合わせた上で、「さあ良い方向に動こう。」となっても、「どうせ無駄」という人たちが協力するはずもなく、それを任された人は苦労ばかりする。だから、個人も組織(上層部)も短期的に見たら、何も言わない何もやらない方が楽なんです。
だけど、少し考えればわかることですが、長期的に考えたら、日常的に改善を繰り返していた方が組織は良くなるに決まっている。
6 組織の構成員はどうあるべきか?
フォロワーシップという言葉があります。組織や社会の構成員としてリーダーとともに組織を作っていくことで、自分が組織の一員であることを自覚して積極的に関わっていく態度を指します。現在の日本では、リーダーシップを語る人は多いですが、フォロワーシップについて考えたり語っている人を見たことがありません。
フォロアーシップの考え方は、組織の中の人が、積極的に意見を言って、方向性が定まったら協力して実行に移していくということです。
30年以上公務員として働いてきて、私は、フォロワーシップの重要性を痛感しました。
他の記事で何度も書いてきましたが、組織にぶら下がる人がどんどん増えてきています。育児休業などを取得することを理由にまともに仕事の引継ぎもしない人、働かないおじさんと言われる人・・・。
どう考えてもフォロワーシップとは対極の人たちです。
こういう人たちは、そもそも意見を言う気もなく、良いことだとわかっていても今までやっていなかったことをやる気もありません。
こういう人たちは極端な例だとしても、それ以外の多くの人も意見を言わない。だから組織として問題が認識されない。また、組織も意見を拾わない方が余計な仕事が増えないから拾おうとしない。
更に、「意見を言うけれど言いっ放し(自分は動かない)。」の人もいて、仮に組織として何かをやろうとしても笛吹けど踊らずという態度を取る。
そういう態度を取っておきながら、「組織はどうせ変わらない。」と言っている。
組織の構成員である会社員や公務員は、もっと意見を言うべきです。このことは論を待たない。その上で、それと同じくらい大切なのは、自分の意見が通っても通らなくても、方針が決まったらきちんと協力して仕事をすることが大切です。
そういう努力をした上で、どうにもならなければ、非常手段として、内部通報制度を利用して、外から組織にプレッシャーをかけるなどの方法もあります。ただ、原則は、組織が自律的に動いて変わっていくことが重要だと考えられます。
7 再考 フジテレビは変わるか?
10時間もかけて経営者をつるし上げて、あとはどうなるのでしょうか?
多分、社長が辞任して、あとはあいまいな「解決」に至る。誰かを生贄として、あとはまたもとの生活に戻る。
10時間も記者会見をやって、そこで批判ばかりして、その後どうするかという問題が浮き彫りにはならない。日枝さんが辞任したら・・、管理職だったアナウンサーを誹謗中傷したら・・、すべて解決するのでしょうか?
地道ではあるけれど、やるべきことが他にあるはずです。
(1) 変わるためには何をすべきか。
どこの組織も似たようなものだと推測していますが、現場は「本当に必要なのかどうかわからない仕事」(ブルシットジョブ)で首が回りません。テレビ局も例外ではないでしょう。
テレビ局内で意見を自由に言えるようにするためには、現場が多忙を極めていては、そういう改革はできません。まず、「余裕を作り出す。」ことが大切です。
その上で、
・「意見を言える場」を作る。
・意見を言った上で決まった結論には皆が協力するという意思統一をする。
(2) 意見を言える組織を作る。
まずは、組織の上層部が「意見を聞く」という姿勢を示すことだと思います。そのハードルが高いことは、私も長年の公務員生活で痛いほどわかっています。
ただ、めんどくさくても、ろくな意見が出なくても、石の中に玉が混ざっている可能性がある。
意見を聞く制度なんてここに書くまでもなく、いくらでもあります。失敗してもいいから、そういう制度をまず作って運用してみることが必須だと思います。そして、良い意見を拾うために労力とお金をかけること。
(3) 議論の結論を協力して実行する雰囲気を作る。
組織風土ということになるのかもしれません。
「女子アナ上納制度とかの組織風土を作ったのは日枝氏だ。だから辞任しろ。」と言っている人がいます。まあ、辞任して組織が改善されるのならいいけど、・・。
でも、リーダーシップ、フォロアーシップが適切に発揮されるような組織を作るため、本当に組織のことを考えてリーダーとして働こうとする人や、それに協力しようとする人を大切にする組織の雰囲気、組織風土を作れるなら、誰でもいいのではないかと私は思います。日枝氏にそれだけの影響力があるのならば是非実行してもらえばいいのではないかとさえ思う。
実行しないと言うことならば、その時点で辞任要求とかしたらいい。
組織風土を作るには、表面的に正しいことをお題目として唱えるのではなく、本当に働いている人を大切にする組織を作ることが重要です。そういう企業方針を現場も巻き込んで作ってみてもいいのではないでしょうか。
(4) 体制は作って終わりではない。
当たり前ですが、自律的に変わっていける組織は一度作ったら終わりではありません。
でも、自律的に変わっていく組織風土があれば、そんなに大きく道をはずれることはないのではないかと感じます。
注意しなければならないのは、大きな問題があって長期間それが解決できないと、組織全体として諦めムードが支配的となり、カリスマ的なリーダーを求め始めます。自律的な組織よりも簡単だし、一時的にはカリスマが気持ちよく問題を解決してくれることもあります。
その結果、カリスマからのトップダウンだけで組織が動き始め、下々は指示待ちとなる。カリスマをあがめ、奉ったことによる末路です。
指示待ちとなっている組織は本当に多いと思います。もしかしたらフジテレビもそうだったのかもしれない。
「おかしいことをおかしいと言えず、言ったとしても黙殺され、諦めて働いている人が多くて、そのうち組織の上層部から何か指示があればやればいいとみんなが考えていた。」ということは無いのでしょうか。
8 まとめ
結局、「批判はするけど、問題の解決は人任せ」という現在の日本社会の悪癖を排除しない限り、問題は解決しないということのような気がします。「フジテレビはとんでもない。」と批判している人たちも「批判はするけれど何もしない。」という点では全く同じなのではないか?
個人的には、人の批判はほどほどにして、本当に微力ではありますが、自分にできることに目を向けて生きていきたいと思います。