文系人間の私ですが、時々、理系の本も読みます。
アウストラロピテクスが直立二足歩行をし始めて、人類は武器を手にすることができるようになった。だから、人類は生存競争を勝ち残ってきた。
そう言われると、なるほどそうかと納得してしまう文系人間ですが、これは違うそうです!
更科功さんの書かれた「美しい生物学講義」によると・・・。
当時の化石には頭蓋骨が陥没しているものがあり、これが武器によるものとされていたこともあり、この頃から人間が武器を手にしていたと考えられたのですが、最近の研究で、それは武器によるものではなく自然界で怪我をしただけの可能性が高く、さらに武器の使用はそれからかなりの年月が経ってはじめて人類が覚えたというのです。
そうすると、直立二足歩行の人類が生き残ってこられたのはなぜなのか?
最近の仮説では、人類という種の中で「争いをやめた」から、ということになるらしい。
どういうこと???
直立二足歩行を始めたのと同時期に、人類には牙がなくなったそうです。
このことも考え合わせると、人類は直立二足歩行になると同時に争いをやめた可能性がある。争いと言うのは、他の動物に襲われるということもあるけれども、それよりも動物を脅かすのは、同じ種同士の争い、オス同士の争いです。
人類の牙がなくなり、直立二足歩行を始めた時、一夫一妻制的なことが始まったのではないかという仮説です。
多夫多妻制、一夫多妻制などと比べて、一夫一妻制は圧倒的に争うことが少なくすむので、人間社会が平和になった。そういう社会で、直立二足歩行の利点、手を使えることにより、食べ物を自分の家族に持って帰れるようになったことが、人類の生存に対して大きく寄与した。
なるほど。
一夫一妻制は、文化的、宗教的にそれが良しとされたことの産物であると、私はこれまで思ってきましたが、それだけではない可能性もあるのかと瞠目しました。
そう言われてみると、一夫多妻制などより厳しい制度である一夫一妻制が世界中で珍しくないことは、生物学的にも自然だと考えた方が、納得はしやすい。他の動物に比べて争いを好まず、争わないことで他の動物に対する優位性を確立しているのが、人間だということになるのでしょう。
メディアでは、不倫をした芸能人や有名人を叩いて喜ぶ姿が頻繁に見られます。
その報道姿勢が見るに堪えないことも相まって、これまでは不倫というのは人間が勝手に作った一夫一妻制に押し込まれたくない人が、自由を求めた姿ではないかとも感じていたのですが(この書き方も穏当ではないですね。有名人じゃなくてよかった)、生物学的に見ても、間違ったことなのかもしれない。
今度からは、そういう観点からも、不倫ニュースを見てみることにします。生物学的にも自然ではない不倫を求めてしまったのは、なぜなのか??
私などは、この本を読んだからと言って、生物学をきちんと学ぼうとするわけでもないのですが、そういう輩にもすごく興味を持たせてくれる本です。著者ご自身も、そういう人にも生物学の面白さを知ってもらおうと書いたとおっしゃっています。
ここに書いた以外にも、ロボットを使ったストーリーで「自然選択」(昔ながらの表現だと「自然淘汰」ですかね)が説明されていたり、現代的な課題である花粉症や癌、ips細胞についての言及もあります。
どれも、衝撃的にわかりやすいです。