スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

今、東京では長谷川等伯の多くの作品を同時に見ることができる。(東京国立博物館、サントリー美術館)

長谷川等伯の作品を観てきました。

 

今、東京では、東京国立博物館の「松林図屏風」と、京都の智積院の襖絵「楓図」が同時に観られます。(確か、もうすぐ終わります。)

松林図屏風については毎年正月に東京国立博物館で展示があります。それに加え、今年は六本木のサントリー美術館で「智積院展」が催されていて、その中に長谷川等伯の「楓図」があります。

 

 

松林図屏風を観て

東京国立博物館の松林図は、毎年展示されているようですが、必ずしもいつも同じ場所に展示されるとは限りません。

10年以上前に初めて観た時には、大きな部屋で他の作品と一緒に展示されていました。そのときは松林図を目当てに行ったわけではなかったのですが、前を通りかかった時に、「おっ!」という感じで惹きつけられました。

「なんでだろう。」と見入っていると、作品の方からも自分の心の底を覗き込まれている感じがしたものです。

 

今回は一部屋で1作品が展示されていました。一部屋に1作品だとその部屋全体が幽玄さに溢れる「松林ワールド」となります。作品の体現する世界に包まれているように感じます。

心の底を覗かれるちょっと怖い感じもいいですが、今回の幽玄さに覆われるような体験も捨てがたかった。

 

 

襖絵「楓図」を観て

もちろんすばらしいのですが、初見では「うーん?」という感じでした。

国宝に対して、「お前何様だ!」的な感想ですが。

 

理由は二つあって、一つは「もっと迫ってくる作品が隣にあったから」。

等伯の息子の久蔵(きゅうぞう)の襖絵「桜図」です。写実的ではないのですが、白い桜が「どうよ!」と迫ってくる感じがします。作品の方からパワーが発せられている。

余談ですが、久蔵はこの作品を最後に若くして急逝してしまいますが、対立する狩野派の暗殺説があります。真実かどうかはわかりませんが、うなずいてしまうくらいの完成度の作品だと思いました。狩野派からすれば、脅威だったのではないかと思います。

 

それに対して、等伯の楓図は、好みの問題もあるかもしれませんが、落ち着いている。制作当初と比べて色が落ちているからかもしれません。

 

まあ、そうは言っても、展示室内は智積院の所蔵する国宝で溢れており、その中での感想ですから、国宝のうちどちらがすごいと思うかという、わけのわからないレベルの話です。

当然のことながら、私個人の感想です。

 

 

二つ目の理由は、展示場所。

展示についてもおそらく考え抜かれており、すばらしいのだと思います。ただ、スペースの割に人が多く、落ち着いて見ることができない。わがままを言えば、コロナを理由するのではなく予約制にしてほしいと思いました(本当にわがままですので、聞き流していただければ。)。

また、飾る場所として想定されているのは、「襖絵」ですから美術館とはちょっと違う。東京国立博物館の松林図が博物館自体の雰囲気に「はまっている」のに比較すると、どうしても違和感がぬぐえない感じがします。

ちなみに、東京国立博物館の松林図は下絵ではないかとの説もあるくらいで、どこに飾るか想定したものか自体がわからないのですが、でも、現在の博物館にはまっています。

 

 

まとめ的な感想

長谷川等伯は、当時の主流派の狩野派に対抗して頭角を現し、個人の作家としての活動を超えて長谷川派を作ろうとしましたが、久蔵の死によってかなわず、悲しみのもと松林図が書かれたと言われています。

松林図は、等伯の作品の中でも異質な感じを受けますが、安定のすばらしさ。見るたびに違う発見があります。

 

智積院展で見られる作品は、等伯や息子の久蔵、それから弟子の作品に至るまでの、長谷川派が総力を挙げた作品群で、多くが国宝です。国宝に囲まれる体験ができただけでも、よかった(月並みな表現で恐縮です。)。

場所を変えて、京都の智積院で、再度見てみたいとも思いました。