定年延長がされ、年金の支給の後ろ倒しが検討される中、「働かないおじさん」が問題になっています。
大体共通して言われるのは、「体力が無くなって無理がきかない」「自分より若い人が上司となってやる気が出ない」「がんばったところで給料は変わらない」というところです。
ここ数年は、給料とか評価とか職場環境とかが、どんどん悪くなっていますから、そうなっていくのも無理はないのかもしれません。
ただ、年配の人の全てが「おじさん」化しているわけではありません。
「おじさん」化する人と、そうでない人の違いは何でしょうか?
上に書いた「体力」とか「上司が年下」とか「給料」とかもあるとは思いますが、これは年配になれば誰しもそうなります。体力は低下しますし、退職後に再任用されれば上司は年下になるし、給料も同じどころか減ります。理由とされているこれらは決定的な理由ではないと思います。
私が出会った「おじさん」の大きな特徴は、「新しいことをやる気がない」ということでした。今までの経験の範囲でできる仕事しかしない。それもできるだけ少なく。
問題なのは、こういう人を周囲がフォローしなければならないことです。
組織は問題に正面から向き合いませんので、「合理的にやればできる」というスタンスです。そうすると、きちんと仕事をしようとする人に仕事が集中します。職場でフォローなければならない人は、「おじさん」だけではありません。時短の人もいれば、病休の人もいますので、それはそれは大変です。
健康を害することも珍しくないと思います。
だから、組織から無理な量の仕事を強要されている能力のある人には退職をお勧めします。これは前に書いたとおりです。
ただ、今回は別の角度から考えます。
私が退職したのは58歳でしたが、強く危惧していたのは、「自分もそうならないという保証はない」ということでした。なんとなく組織に残って、公務員を続けていたら、組織にぶら下がるだけの人になり果てるのではないか。
新しいことにチャレンジしないと、「おじさん」になる。
それでも「よし」とするかどうかは、その人の人生観の問題と言えばそれまでなのですが、自分より年下の人たちにフォローしてもらいながら、給料をもらって生きていくのは、どうなんですかね。私は大した人間じゃないと思いますが、さすがにそれは美学が許さないと思ってしまいました。
ぶら下がりが多くなっているというのは、今や、日本の公務員制度の大きな問題です。おそらく、公務員制度ののみならず、会社や、社会全体でも、そういう傾向は否定できないのではないでしょうか?その問題は、ここでは書きませんが。
「理不尽に多くの仕事を押し付けられて組織を支えている人」は、その組織や社会の流れに巻き込まれて犠牲になるべきではありません。自分がそうなる前に辞めた方がいい。
そうであれば、健康を害してしまうとチャレンジもできなくなりますから、早急にそういう組織には見切りをつけて、あらたなチャレンジをしてみようと思いました。
チャレンジが成功するか失敗するか、これからある程度長い時間をかけて書いていきたいと思います。