スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

仕事の経験から人を人として扱うことの大切さを学んだ。

公務員に限らず会社員の方で、過労死ラインを超えて働いている人いると思います。

私の超過勤務(残業)の最高記録は月211時間でした。20年も前の話ですが。

 

計算していただけばわかると思うのですが、平日に午前0時まで働いたとしても、211時間には到達しません。平日が月に22日あったとして1日7時間残業でも144時間、残りの67時間は休日出勤です。土日が9日あったとすると、休日1日につき7時間働いた計算です。休みの日もありました(数日)から、休日で出勤した日は平日並みに働いていたということですね。

 

まだ30代前半の若い頃で、国会対応をする部署にいました。当時は委員会での質問の内容の事前通告が遅く(今はかなり改善されたと聞きます)、平日は午前様になることが頻繁にありましたし、休日に質問通告があることもありました。

休日に質問通告してきた議員の方は、のちに総理大臣になった方で当時も国民的、マスコミ的には人気がありました。でも、公務員には厳しく、自分は忙しいのだから・・・というスタンスだったのだと思います。いろいろなことがありましたが、そのとき実感として感じたのは、「こういう人とは働きたくない」なということでした。

その方は、後に官僚とうまくいかず、苦労されていました。

 

ストレスも多いし、残業も半端ではなく嫌な職場であったのは間違いないのですが、学んだこともたくさんあります。

些細な体験ですが、ある議員の方から質問があり、初めて説明に行ったときのこと、説明が終わってほっとして辞去しようとした頃合いに、「●●さん(私の名前)はどちらのご出身ですか?」と問われ、それから私の名前の由来などを話しました。最後に「私たちは説明をしていただかないと何も知らないのです。今後ともよろしくお願いします。」と締めくくられました。2度目に行ったときには、当時まだ若造の私の名前を憶えておられました。

田中角栄元総理も、職員の名前をよく覚えていたとか、覚えているふりをしたと聞きますが、そういう「人としての魅力」を感じさせる素養というのは本当に大切だと思いました。

211時間残業をして疲れ切っている時でも、ほっとする瞬間だったと思います。

 

人間は本当に些細なことで心が安らいだり、やる気になったりします。こういうことに気づいている人、人の心が安らぐように気づかいができる人のもとでは、安心して働くこともできます。

 

他方で、今の世の中、そういう人はあまり脚光を浴びていないような気がしてなりません。私がいた職場では「私は名前を覚えるの苦手なんだ」などと公言する人もめずらしくなく、人に対する気づかいよりも、どうしたら自分が間違えないかに汲々としていた印象です。

マスメディアでも、こぞって間違いを攻撃します。間違った人に舌鋒鋭く切り込むことがよしとされ、執拗に暴き立てます。

組織のみならず人間関係全般に言えることだと思いますが、間違いを執拗に攻め立てて何かを成し遂げることができるとは思えません。この人と働きたいという人のために、相互に協力するからこそ、様々な努力が実を結ぶのではないでしょうか。

 

退職して余裕のある生活をするようになって、改めてそんなことを思いました。