スタイルのある生活~早期退職シニア男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

公務員を早期退職して3年経って思うこと ~再就職は難しかったけど~

公務員や会社員の人が、退職しようとするときに二の足を踏む大きな理由の一つに「再就職できるのか?」という不安があります。

私も、30代後半くらいからずっと転職しようか・・と考えていました。どんどん職場がギスギスした雰囲気になっていく中、長期間にわたって組織に留まることは難しいと感じていたからです。

だから、「どうやったら退職後に仕事を見つけられるのか。」について調べていました。でも、いくら本を読んだり、ネットで調べたり、メディアの番組を見たり、人の話を聞いたりしても、よくわからない。ただ「なんか難しそう。」という雰囲気だけは伝わってきました。

 

1 様々な媒体で言われていること

様々な人が様々な媒体で、「現在の職場がどんなに嫌でもその職場に留まる方がいい。」と言っています。理由は、転職したら必ず給料などの条件が圧倒的に悪くなるから。

また、仮に現職を辞めて転職するならば、「自分のキャリアの棚卸」をして、自分の強みを認識した上で活動するべきだということも多く言われています。論調としては「そんな基礎的なこともしないで転職活動をしたって成功するわけがない。」という感じです。

 

私は、おびただしい数のこういう記事をネットなどで見るにつけ、とても残念な気持ちになります。

こういう記事を書いている人たちは、実際に就職活動をした人ではありません。大企業の人事関係の人だったり、ファイナンシャルプランナーとか、申し訳ないけれど転職を他人事として見ていられる人です。

こういう記事に書かれていることは一定の事実は含んでいるものの、アドバイスにはなり得ません。

2 労働市場の本当の問題点

自分自身が退職後にハローワークに通い求職活動をしてみてわかったことがあります。

確かに、転職市場は厳しい。特に40代以上の人にとっては「転職=給料が下がる」です。給料が下がるだけでなく、非正規、パートの仕事しかないと言っていい。そのくらい厳しい状況です。

ただ、逆に言えば非正規でよければ求人はあります。なぜなら、世の中人手不足だから当然です。

でも、問題はここからです。ハローワークに出ている求人に応募しても基本的には採用されることはありません。私自身、20社以上に履歴書を送ってみましたが、結果はすべて不採用でした。面接に進んだところも全くありませんでした。

(厳密に言えば、最後に採用してくれたところはありましたが、それ以外はすべて履歴書のみで不採用でした。)

 

履歴書を出すにあたっては、自分のキャリアの棚卸をして記載し、提出前にハローワークの関連機関(東京しごとセンター)でチェックしてもらいました。それでも面接にすら進めないわけです。これがなぜなのかは、以前に私の推論を書きました。

hatasan2.net

つまり、採用されないのは求職者の方の問題ではないということです。いくら棚卸をして丁寧に応募をしても面接もしてもらえない。人手不足?ほんとに?という状況なのです。

3 心に留めておくべきこと

この状況は、どのネット記事もメディアの番組も決して言いません。

だから、知らないで就職活動をすると、不必要に多くの不採用通知を受け取ることになる。そして、普通の人は、自分の努力が足りないと思ってしまう。

 

これから転職を考えている人が、こういう現状を前提にクールに就職活動ができるように切に願うとともに、退職後3年経って、そういうノウハウを少しでも広める活動ができないか模索中です。

(過去にかなり詳しく、自分の求職活動について書いています。)

hatasan2.net

hatasan2.net

hatasan2.net

hatasan2.net

 

公務員を早期退職して3年経って思うこと ~人生の後半戦で何がしたいか?~

コンプライアンス

・子育て世代のサポート

・国民へのきめ細やかなサービスの提供

等々の重要性、必要性が声高に叫ばれるようになっていました。公務員を辞めようと思っていた頃のことです。

理念そのものは正しい。でも、実際にそれを実現するために、組織内では課題は現場に丸投げされ、さらに現場では一部の人、誠実な人に仕事や負担が集中していました。「こんな組織にいつまで付き合えばいいのか?」、「定年まで働き続けるのは、とても無理。」、そう感じていました。

だから、「このままでは体を壊してしまう。」そう思ったタイミングで退職しました。

その決断は、今振り返ってみても、正しかったと思います。後悔は微塵もありません。

 

それから3年、退職当時わからなかったことも多くわかるようになりました。

退職直後に気にしていたのは、お金の問題が大きかった。他方で、退職後どういう人生を歩むかということに関しては、精神的に仕事から解放されるだけで結構満足してしまい、そんなに深く考えていなかった。

でも、最近では、「自分の人生、どうなればいいのか?」と考えるようになりました。私は現在61歳。男性の健康寿命と言われている72歳までにはあと11年。そこまでに何をしたいか、ということです。

そう、11年しかありません。

 

一般的には、退職するとその後の人生は「余生」というイメージかもしれません。でも、私は、残りの人生、そんな生活を送るのはもったいないと考えています。

ただ、周囲を見回してみると、仕事から身を引いて、自分の人生について積極的に考えている人というのはあまり見当たりません。多くは「リタイアした人」として静かな生活をしているようです

 

でも、考えてみれば、そうじゃない人も少なからずいるはずです。ただ出会えていないだけ。そういう人たちは、きっと、孤独に自分の人生を見つめている。

なぜそう思うかと言うと、今の日本社会、会社や役所という組織を離れてしまうと、そういう人と出会う機会が限りなく少なくなってしまうから。

私も、この3年間、孤独に「これからの人生をどうするか?」と考えてきました。

 

退職後3年が経過し、今年の3月再び仕事を辞めました。

現在は、自分が「積極的な人生の後半戦を過ごす」モデルとなったり、そういうことを話す場を提供したり、・・・とか役に立つことができないか考察中です。

そんなに簡単なことではないかもしれないけれど、自分の人生が終わる時、ささやかでも達成感が得られたらいいなと思っています。

退職後のライフスタイル ~公務員を早期退職して3年経って思うこと~

3年前の夏に早期退職して公務員生活に終止符を打ちました。

退職した理由の一つは、「退職したらどうなるのか?」を実際に経験してみたいという気持ちがあったことです。

長い公務員生活でしたので、退職したいと思ったことは何度もありました。ネガティブな理由(仕事や人間関係がつらいとか)もあれば、ポジティブな理由(現在の仕事以外も経験してみたい)もありました。

でも、そういうことを言うと、周囲からは決まって「公務員がいかにめぐまれているかわかっていない。」とか「公務員を辞めても、うまく生活はしていけるわけがない(つぶしがきかないのだから。)。」と言って怒られました。(笑笑)

散々そういうことを言われて、自分なりにいろいろ考えたり調べたりもしましたが、結局現実はどうなのか、わかりませんでした。だから、実際にやってみようと思った。

 

この課題に対する答えは、退職後過ごしたこの3年でほぼ出たと思っています。

退職後には、「うちに就職しないか」と言ってくださった方々のお誘いを断り、あえてハローワークに通い、その後幸い再就職することができ、そこで1年半働いてみました。その間いろいろなことを考えました。

 

そうして得られた 「公務員を退職したらどうなるのか。」という課題の答え~ は、「それなりの準備さえしたら全然やっていける。」です。

 

今では、公務員生活がそんなに恵まれていたとも思わない。また、つぶしがきかないのは、公務員だけではなくどんな職種でも同じだと思うようになった。

 

現在言えることは、自分で決断して早期退職をした今の生活は「とても楽しい。」ということ。思っていたより大変だけど、自分で決断する人生には納得感もある。

 

今の生活に疑問を持っているならば、人とは違う道を選ぶことになります。不安は大きいと思うけれど、そういう決断をするのであれば、定年まで引っ張るのではなく早めにするのは「大アリ」だと思います。もちろん、必要な準備をした上ですけど。

公務員を早期退職して3年経って思うこと ~理想の人生後半戦~

今年3月いっぱいで再就職先を退職。最近は、人生のテーマって何だろう?とか、自分が死ぬ時にどんな人生を送っていたら満足するだろう?とか考えています。

現時点の結論は、「人生を味わい尽くすこと」。

 

今は、率直に「本当にやりたいこと」をやっています。

旅行して、勉強して、テニスして、芸術を鑑賞して、様々な人と接して・・・。そういう生活をすることができるようになりました。

自分の人生、正しいかどうかとか、役に立つかどうかということから離れて、自分が死ぬとき、「人生でやりたいことをやり尽くした。」と思いたい。

 

そのためには、

1 お金に汲々としない。

2 人と適切な距離を保つ。

3 やりたいことはすぐにやる。

 

退職後は人それぞれ。仕事してなかったりすると批判的な人も多く現れます。

でも、自分の人生は自分が作っていい。

こんなこと公務員として生活していた時には、考えもしなかった。それだけ不安もあるけれど、楽しくもある。逆に言えば、不安を引き受けることができる人のところにしか楽しみはやって来ない。

 

私は現在60代。あと何年生きられるか?って考えるようになりました。いつまでも仕事や人間関係に振り回されている場合ではない。

若者がすぐに退職する理由がわからない人たち

前々職に就いていた頃のことですが、「同じことを2度も3度も聞くな。」とか「人に質問する際には、自分で調べてからにしろ。」という上司が多かった。私自身は、後輩や部下に対しては、「質問はいくらしてもいい。同じ質問を何度しても構わない。」と常日頃から伝えていました。

 

1 私が「同じ質問をしてもいい。」と言ってきた理由

私がそんなことを言っていた理由はいくつかあります。

(1) いちいち調べてから質問しようとするのは時間の無駄だから

上司(先輩)に対して質問を連発する人は、その問題について精通していないことが多い。考えてみればわかりますが、ある程度のレベルになってくると、人に質問するよりも自分で調べた方が早いと考えるようになります。その人は、そのレベルに至っていないということです。

そういうレベルに留まっている間は、調べ方、調査の方向性、深さなどもわかっていないので、闇雲に調べまわるのは本当に時間の無駄です。昭和の時代のように「無駄もまた将来役に立つ。」などと呑気なことを言っていられる時代ならまだしも、現代社会でそんなことをしていたら、組織としても効率が悪くて仕方がない。

しっかり理解している上司や先輩に質問をして、方向性がわかってから調べても遅くはありません。

 

(2) 2度目、3度目の質問は質問者の問題意識が違う可能性が高いから

一見同じ質問であっても、一度目の質問の後、実務を経験してみたら、深くわかっていなかったことに気づく場合があります。そういう場合には、一度質問した人と再度やり取りすることは、合理的でとても有用だと思います。前回の質問の際のやり取りがベースにあるので、理解を深めていくにも時間が節約できます。

誰でも仕事をしていると、問題意識が深まることはよくあることです。一旦「答えが出た。」と思っていても、少し違う事案にぶつかった時に考え直さなければならないことは珍しいことではありません。

そこで再考察することが許容されているという環境が必要です。

 

(3) 質問者の中で、問題に対する答えが再構成される機会になるから

(2)とも関連しますが、質問、回答を繰り返していく過程で、理解が深まり、知識が体系的になっていきます。様々な角度から考え直すことで、知識が更新されていく。

口に出してやり取りする中で、自分の中で悶々と考えているだけでは気づかないことを会得できることも多いと思います。

 

(4) 質問をされた人も、問題に対する理解が深まり、更に答えを適切に後進に示すノウハウを得る機会にもなるから

(3)の裏返しにもなりますが、質問を受けた方でも質問者と同様に問題に対する理解が深まります。

それと同時に、質問に対する答え方を反省する機会になります。後進の理解が浅かったのは自分の説明に問題があったせいかも知れません。また、質問者の意図に寄り添えていなかったため求める答えを提示できていなかったのかもしれません。

コミュニケーション能力も含めて、自分自身のやり方を顧みて改善していく良い機会になると思います。

 

2 「同じ質問をするな。」という上司の多い職場の問題点

当時から感じていたのですが(私の感想ですが)、同じ質問を嫌がる人は上司としての資質に欠けていることが多い。同じ質問をする人を向上心の無い人と決めつけて排除しようとします。そういう態度がどれほど職場に悪影響を及ぼしているのかを考えていないように私には見えました。

もちろん、自己研鑽を怠り「何でも聞けばいいや。」という態度の職員もいることは事実です。でも、だからと言って「同じ質問をするな。」と公言していいとは思えません。

 

質問を一回限りと限定すると、問題点について試行錯誤をして検討する機会が奪われます。そういう態度は次第に組織自体を蝕んでゆきます。

組織風土として試行錯誤を嫌うようになる。安直な正解を求め、間違いを認めず、一度出した結論からの逸脱を悪と見なすようになります。

 

最近、メディアやネットで「最近の新入社員は優しくしても、すぐに辞めてしまう。」という声をよく聞きます。

私には、新入社員が辞めるのは「厳しいから」とか「優しいから」とかではなく、上司や先輩も「共に」、問題解決に当たる姿勢が感じられないからではないかと思っています。そういう姿勢は新入社員のやる気を削ぎます。

そういう組織風土を若者は敏感に感じているのではないでしょうか?

 

3 蛇足

先日、前に働いていた職場の若手たちが我が家に遊びに(呑みに)来ました。その際に、在職時の私について、

「何度でも丁寧に教えてもらったけれど、要求レベルは高かったですよ。」

と笑って言われました。

「何度でも質問してくれたら相手になる。」という姿勢を示すけれど、しっかり到達点を示すというのが、職場の先輩がすべきことだったのだと再認識しました。

(ちょっと自慢です。)

 

今、心から、後輩たちが活躍できることを願っています。

 

退職後の人生を模索する時の周囲の反応 ~人と違う人生を歩む際にはNIMBYに注意~

1 退職した際によくある周囲の反応

退職をして人とは違う人生を歩もうとすると、反対意見を言う人が現れます。また、意見を言わないまでも、否定的な態度を取る人も多いです。

2年前に退職した頃は、「無職は良くない。」、「ブランクが長いと就職は難しくなるのに何をしているのか?」、「これからどうするつもりなのか?」などと言われました。

先月末に2度目の退職をして以降まだ3週間くらいですが、再び、「どうするのか?」的な質問をたくさん浴びせかけられています。



2 自律的な人生を認めたくない人たち

日本社会では「長いものに巻かれろ」、「寄らば大樹の陰」という価値観が長い間支配的でした。人生においても、就職して生計を立てているのが「まっとうな生き方」で、就職以外の生計の立て方は「よくない生き方」と考えている人は多い。

時代が変わって、多様性などと言われる現代社会においても、実は、相当支配的な考え方なのだと感じます。

 

イギリスの言い方で「NIMBY」というのがあります。「Not In My BackYard」の略です。意味は「よそでやってくれ」ということです。

「そういう考え方ややり方は理解する。でも、自分の近くではやめてくれ。」という態度を指します。総論賛成、各論反対とも言われます。

 

多様性を標榜する現代日本でもNIMBYは多い。多様性とか自由な生き方については、理屈では理解するけれど、自分の近くでは許したくない。自分の目の前の人が、そういうことを言ったら否定したい。

「退職して自由な人生を歩む。」とか言うのは、理屈は理解するけれど感覚的に許せない、あるいは「ずるい」と感じているのだと思います。

 

3 NINBYの見分け方

社会のあらゆるところにNINBYは存在します。実は自分の家族やごく親しい人、またこれまで「よき理解者」だと思っていた人が実はそうだったということも少なくありません。

NIMBYは我々の生活のそこここに隠れています。一見したところは、とても親切だったり優しそうだったりします。だから、100%NIMBYを避けることは難しい。

 

ただ、早期に見つける方法はありますし、警戒するポイントもあります。

考えてみれば当たり前ですが、NIMBYはその態度から見てもわかるとおり、自分から行動は起こさない人たちです。社会的に言われている正論とか倫理については、相当精通していたりしますが、何事についても保守的で常識的です。

だから、その人がNIMBYかどうかは、その人を注意して見ていればわかることが多い。その人の生き方ににじみ出ている。

傾向としては、NIMBYは、起業した人よりサラリーマンの方が多いし、若い人より年寄りに多い。何か問題が起こった時に「どうやって解決しようか」と考える人より「誰が悪いか」を考える人がNIMBYである確率は高い。もしかしたら政治的には多数党を支持する人に多いかもしれない。100%そうだと言う訳ではありません。でも、ある枠組みにしっかりはまっている人がNIMBYである蓋然性は高い。

 

4 NIMBYの取説

そういう人に、うっかり自分の将来のビジョンなんて話したら、食いついてきて批判されるか、胡散臭げに見られます。その人との関係では、建設的な展開は期待できず、嫌な思いだけをします。

親切そうに「これからどうやって生計を立てていくの?」と質問をされても、その人はNIMBYかもしれません。本音を話すことは慎重になった方がいい。

 

自分が必死に考えに考えてきた「人生のビジョン」や「生計の立て方に対する考え方」など、自分にとって重要なことは本当に理解してくれる人にしか開示しない方がいい。

 

そして、NIMBYだとわかった人は、できる限り自分の人生から排除していくのがいいと思います。

付き合わずにすむ人は、即座に付き合いをやめる。

親しい間柄で完全に縁を切れない人でも距離を置くようにする。

 

繰り返しになりますが、NIMBYはどこに潜んでいるかわかりません。完全に関係を断つわけにいかない家族とか親しい人にもNIMBYはいます。こういう人たちは善意から様々なアドバイスを送ってきます。実は、この手のNIMBYは要注意で、知らず知らずのうちにこちらが大きな影響を受けるから本当に注意した方がいい。

 

5 NIMBYから距離を置くことが幸せを招く

二度目の退職をして、私の周囲のNIMBYが再度あぶりだされています。NIMBYは人生のどんな局面でも次々湧いて出てきます。

 

だから、そういう人との付き合いを距離を置くように、できれば切り捨てるよう心掛けています。そうすると、当たり前ですけど、NIMBYではない人が周囲に多くなってきます。

そうすることで、新たな出会いや気づきを常に得られるようになるのだと思います。いつまでもNIMBYと付き合っていても、人生の新たな展開はありません。

 

現在、新たに出会った人や昔からの知り合いでも発展的な話の出来る人と関わりながら、人生を変えていこうとしています。2度目の就職先を3月末に退職して、資格試験の勉強をしながら、どんなことができるか考えているところです。

ろくに話も聞かず、「資格なんか取ってどうするんだ?」という人とは、絶対に距離を置くようにしています。

小学生の自由って尊重しなければなりませんか? ~理想の教育と限界~

小学生の見守りの仕事で小学校で働くようになってから1年半近くが過ぎ、今月末退職することにしました。馴染みのない業界でしたが、本当にいろいろなことを学ぶことができて、感謝しています。

この節目に、現在の仕事を通して考えたことを書いてみます。

 

教育関係の専門家の言う「子どもの自由を尊重してのびのび育てる。」「それぞれの違いに配慮した教育」という考え方に強く限界を感じるようになりました。

 

1 一部の児童だけが自由な現場

現在の教育現場では、静かにしていられない(常に声を発していないといられない)、人の話が聞けない、じっとしていられない、人に対して過度に攻撃的などの特徴のある児童が相当の割合存在します。いわゆる「切れる子」もいます。

こういう子ども達に対しては、子どもの言うことをよく聞き、いいところを誉め、課題について自分で気づかせるのが良いとされています。それが「理想の教育」であると、言い方は違っても多くの教育の専門家が言っています。

でも、現場でそういうことをしてみても、大体は失敗します。

 

その理想を追求しようとした場合のデメリットは一般には知られていません。

 

こういう子ども達は少数であっても、環境を著しく悪化させます。いいとか悪いとかの問題ではなく事実です。

数の子どもが騒ぎ始めた時、教育専門家の方の言うように騒ぐ子にきちんと配慮していると、その少数の子どもに追随する子がどんどん現れます。そうすると大人は手が回らなくなりますから、大方の教室では収集がつかない状況になっています。

 

「のびのびと育てるためにじっくりと向き合うように」していると、「自分にも関心を持ってほしい」という子が追随する。自分たちも騒いだり乱暴なことをして注意を惹こうとする。一人に「丁寧に」向き合っていると、それ以外の付和雷同する子が出てきてしまい、どんどん環境が悪化する。

結局、周囲に合わせられない子どもの自由を尊重することで、教育環境全体が著しく悪化することになるということです。

 

2 自由を尊重されるべきなのは誰か

こういう環境の悪化に同化しない子どもも一部います。人が騒いでいても、自分はそういうことをせず、自分のやるべきことをやる。また、周囲がそれ以上に騒いだり乱暴になったりしないように、大人との間を調整したりすることさえあります。子どもなのに大したものだと感心します。

でも、そういう子は本当に大変です。多数の騒いている子に巻き込まれず自分自身でどうすべきかを判断し、他方で騒いでいる子と軋轢を生まないようにやっていかなければならない。

今、割を食っているのはこういう子どもです。

 

私が小学生時代を過ごした昔であれば、先生や指導的立場にある大人が無理やりにでも騒ぐ子を黙らせました。方法が適切だったかどうかは置いておくとして、まじめにやっている子が損をしないような配慮がされていました。

まじめにやっていれば、自分に不必要な負荷がかかることは無かった。

 

でも、今は違います。そういうまじめな子たちに社会の歪みのしわ寄せが行っています。現代社会で負荷がかかっているまじめな子ども達に関しては、教育専門家は何も言いません。現場の大人もそういう子たちに目が行きません。

 

私は、本当に自由を与えのびのび育ってほしいのは、こういう子ども達であると思います。

 

3 理想的な教育とは何か

私のこういう感じ方、考え方に対しては色々な批判があることは容易に想像がつきます。

最近は、自分がADHDであることを公表し、それでも社会に貢献している人もいますから、一概に和を乱す子どもが悪いと言うつもりもありません。そういう子どもをも受け入れることができる教育環境が理想なのでしょう。ただ、教育の専門家と称する人は概して、そういう理想論は語るけれども、語った後は現場にまかせっきりです。

やりたい放題やる子どもを目の前にして、大人ができることは何なのか?という問題に正面から答える専門家を見たことがありません。

 

拒絶反応を承知で言えば、「どうしてもうまくいかない子」というのは必ずいます。「そんな子はいない。」と理想論を安全地帯から発信するのは勝手すぎる。どうしようもない人がいるというのは、大人も子どもも同じです。大人の社会で一部の真摯な人にしわ寄せが行っているのと同じことが、子どもの社会でも起こっています。

そういう人間に出会ったとき、どうするべきなのか、突き詰めて考えることが喫緊の課題だと考えるようになりました。

 

4 教育無償化と言われていますが・・

現在、教育無償化が議論されています。耳障りがいい言葉だと思います。

ただ、無償化されて学校に行けるようになって、何が変わるのでしょうか?何となく「学校は行けた方がいいよね。」という雰囲気ですが、本当に今のままの学校にみんなが行けたらいいのでしょうか?

政治的な議論になると、何でもそうですが、結局「カネ」の問題にすり替わってしまう。カネを出せば、問題は解決すると思っている。

 

無償化して多くの子どもが学校に行くようになったら、学校はどうなるんでしょうか?今のままでは対応できないのは明らかですが、どうするんでしょうか?制度を整備するために、更にお金を使ったり、現場の余裕を作ったりするのでしょうか?

今の日本では、学校、教育のシステムのリコンストラクション(再構築)が必要だと強く感じます。今、放送中のドラマ「御上先生」のセリフです。ドラマの問題意識とは少し違うけれど、根は同じなのではないかと思います。