スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

自己決定の大切さ ~他人に決めてもらう人生からの脱却~

山本文緒さんの「恋愛中毒」を読んで思いました。

自分の人生を自分で決めて来なかったことの反動は、おそろしい。

「自分勝手。」と言われても、「わかっていない。」と言われても、自分で自分の人生の方向性を決めることが重要。人に合わせて生きるようなことはしない方がいい。

そうでないと、常に、人に依存することになる。

 

この小説は、結末が物議をかもしています。

色々な感想がありますが、私は、この結末しかあり得ないと思う。自分の人生を人に委ねた結果は、これしかないと私は思います。

私たちは、ストーカーと化したり、完全に壊れてしまったりした人を自分からかけ離れた存在として感じているけれど、実はこんなにも近い距離にいるということに気づきました。

 

主人公の考えるようなことは多くの人が考えるのではないでしょうか。でも、主人公が取った行動を多くの人が起こすかというと、それはそうではない。そこには溝があります。でも、その溝は皆が考えるほど、実は深くも大きくもない。

考えることと行動することの間には、一般に思われているほどの距離はない。何かの拍子に、自分もその溝を跳び越えて、同じ行動を取ってしまうかもしれない。

そう自覚した方がいいじゃないかと感じました。

 

溝を跳び越えないためには、自分の人生の方向性を含め、自分のことは自分で決めることだと、この作品は訴えているように感じます。

主人公と同様な思考パターンに陥り、自己主張せず、周囲に合わせて波風を立てずに生きるのは、自分の人生を他人に決めてもらうことと同義です。他人に依存し、他人に決めてもらう。自分の人生がうまくいかないと他人を恨む。

そういう過程を経て、他人を傷つけることを、正当化して生きていくことになる。

 

自分で自分の人生の方向性を考えない若者は、自分の人生がうまくいかないのを親のせいにし、学校のせいにします。壮年になって生活がうまくいかないと、政治や社会のせいにします。年を取ってからは、変化した社会や国の施策のせいにする。

確かに、親にも落ち度はあるし、学校や社会にも至らない点がある。でも、完璧な親もいないし、完全な学校制度や社会も存在するわけがない。

気持ちはわかるけれど、親や社会の問題点は棚上げして、自分はどうするのかを考えていこうとする努力が大事です。

 

自分の人生を自分以外のものに委ねてしまうのは楽です。

でも、人に決断をゆだねる人生、そんな人生、楽しいですかね?

早期退職後の理想の生活 ~人生の目標を考える。~

前の職場にいた時には、常に目の前の仕事が忙しくて、なかなか人生について考える時間がありませんでした。

このブログを読んでくださっている方には、「理想の人生」のイメージを聞いてみたいという衝動を覚えたりもします。

 

仕事に忙殺されていた頃に考えていた理想の生活像は、

1 仕事上の異常なプレッシャーや仕事量に押しつぶされない。

2 家族の健康、あるいは介護などの問題に向き合う余裕を持てる。

3 楽しいことをする時間がある。

4 自分の人生に向き合う時間がある。

というような、その時の生活ではできなかった不満なことを裏返しにしたものでした。

 

でも、早期退職をして、実際に時間ができてみると、1~4はすべて自分の人生を普通に生きるための条件であって、「理想の生活(人生)」とは呼べないことに気づきました。

「理想の人生というのは、1~4までの条件を充たす生活ができたとして、具体的にどういうイメージなの?」ということです。

 

 

どういう人生が理想かは人それぞれですが、・・・。

私は、自分の人生を自分でデザインできる人生ということだと思います。これまでの人生をベースにしつつ、でも仕事などに時間を取られすぎたりとらわれたりせず、これからの人生はどうしたいのかを、時期に応じて自由に考えていきたいと思っています。

 

このブログに書いてきたとおり、私は前職を辞めて再就職をしました。給料は激減しましたが、他方で得難い経験もさせてもらっています。また、退職後2年が経って、経済的には大きな心配はなく暮らしていけることも実感としてわかってきました。

そこで、現在の目論見としては、

現在の仕事を年内を目途に辞め、その後は、ここまでの経験を生かした仕事をすることを模索しようと考えています。そのための準備は現時点ですでにスタートを切っています。

 

まだ、どうなるかはわかりません。でも、再度新しいことにチャレンジすることで、さらに具体的な人生の理想像も見えてくるかも知れないと思っています。

 

振り返ってみれば、退職後すぐの頃は、「50代での再就職は厳しいと言うけれど、実際どうなのか」、「退職してからどうやったら生活していけるのか」を実際に体験してみようと企てていました。新しい経験をすることへの期待もありましたが、不安でいっぱいだったのを思い出します。

現在も同じような心境です。

ブログの更新をさぼりつつ、いろいろ考えています。

 

もうすぐ60歳(還暦)、これからの人生のこと ~退職後の人生のモデルを更に考える~

今、考えていることは、「これから、どうしようかなあ。」ということ。

一昨年7月に早期退職してからもうすぐ2年が経過します。そして、7月の誕生日で今年60歳(還暦)になります。

 

振り返ってみると、退職してから半年は社会的な活動は全くせず、ひたすら体を休めました。その後10か月ほど求職活動をして、現在の職場で働いています。週に4日、パート労働者です。半年ほど働きました。

現在の生活に不満があるかと言うと、特にありません。仕事は、そこそこ面白いし、投資もまずまずうまくいっているし、贅沢を言わなければ、これから食うに困ることはなさそうだということは、ここまで生活してみて、はっきりわかりました。

退職という自分の人生における大きな変化を経験したものの、最近、落ち着いてきている。高望みしなければ、このままでもいい。

 

でも、最近、何か違う気がしています。「自分の人生これが続いていいのかな?」、「もっと何かできるのではないか?」と考えることが多くなってきました。

今働いている教育業界については、初めての経験で得るものも多いし、新鮮な出会いもある。でも、この業界でこのまま頑張っても、前職の時のような組織や制度の根本を考えるようなポジションに就くことはもう無いと言ってもいいと思います。

 

他方で、退職から2年で大きく変わったことは、時間ができたことです。時間ができたことで変わったことは、

・本を読めるようになったこと

・いろいろな人と食事に行ったりする機会が増えたこと

・ブログを書いたり、生活に瞑想を取り入れたりして、自分の考えを整理する機会ができたこと

・規則正しく生活し、適度な運動ができるようになったこと

などです。

 

そういう生活をしていると、自分の心の声のようなものに向き合うことになります。これは、退職当初は予想していなかった大きな変化です。

 

心の声と接して気づいたのは、退職してから現在の落ち着いた生活を構築することは一つの目標ではあったけれど、次の目標がまだあるということでした。「人生の最終目標」かもしれません。それが何かということを含めて、もっと考えないといけない。と言うか、考えたいという気持ちが強くなってきました。

 

現時点で考えているのは、ここまでの経験をまた別の形で今後の人生に生かしていけないかということです。

現在の仕事は長くても年内に辞めようかと考えています。

その上で、前職を退職して、無職の期間を経て再就職という経験で気づいたことなどを、それを必要としている人に伝えていく機会を作れないか?このブログでも、かなり詳細に書いてきましたが、さらに深く掘り下げて伝えられないか?

 例えば・・・。

・退職をする準備として必要不可欠な投資について、「なぜ投資をした方がいいのか」という根本的な考え方を掘り下げて伝えたり、私が持っている銘柄、金額、利回りなどを具体的に伝えたり、

・求人を出している企業の具体的な事情や考え方を更に忌憚なく語ったり、

・再就職をして気づいた求人側の問題点、求職側の問題点などを公平な観点から本音で分析したり

そういうことができないかと考えています。

 

このブログの更新は少し間が空きました。それは、こんなことを考えていたからです。

単純にFIREして終わりでもなく、かと言って再就職や次の人生の展開にいたずらに悩むこともなく、力を抜いて将来を模索していく方法はないのかを、更に試行錯誤しながら考えていきたいと思っています。

 

日経平均バブル後最高値更新のニュースで考えたこと ~日本の組織の問題点、「チャレンジしたくない。」症候群~

現在の日本経済に関する雰囲気は、こんな感じでしょうか?

「大企業だけとは言え株価も上がっている。給料も不満はあるものの増額されている。だから、これからだんだん経済も上向いていい感じだよね。」

昨年から最低賃金をもっと上げようという話は出ていましたが、こういう雰囲気を決定的にしたのは、今年(令和6年)2月の日経平均がバブル後最高値を更新して3万1000円に迫ったというニュースからだと思います。

 

1989年12月に日経平均がつけた平均値を34年ぶりに上回ったことは、衝撃的に報道されました。どのニュースも肯定的で明るいニュアンスで伝えていました。

 

でも、おかしくないですか?

言葉を変えて言えば、34年前の株価にやっと戻ったということです。

34年前に投資をした人は、今になってやっと損益がプラスマイナス0になったということです。

 

これに対して、アメリカの経済指標の一つであるNYダウは、1990年初めが2900ドル 現在が大体3万8000ドルです。軽く10倍以上になっています。

このことに触れているニュースはほぼありませんでした。

(私は経済の専門家ではありませんから、データの見方などにズレはあると思いますが、大局としては間違っていないと考えられます。)。

 

私は、様々なことを国のせいにしたり、組織のせいにしたりするのは、好きではありません。でも、30年以上にわたる経済運営に関しては、国(政治家)や財界の責任であることは論を待たないと考えています。政治家や財界の偉い人の言うことややることは、既得権者に配慮して酷いものです。

 

こういう経済の停滞が、様々なところに影響を与えています。

 

日本は、まじめに働く人が損をするような仕組みになってしまいました。だから、だれもがまじめに働こうとしない。まじめに働くと多くの些末な事務を押し付けられ、働かない人の尻拭いをさせられる。

「こんな社会に誰がした?」と言いたい。

 

「日本は生産性が低い。」とよく言われます。

当然のことながら、まじめに働いた人の労働力がきちんと成果に反映されれば生産性は上がります。でも、そうならない仕組みに日本はなっています。

 

・旧態依然とした組織の意思決定方法

・システム構築の稚拙さ

などもよく指摘されますが、こういうところが改善されない理由が更にあると、私は考えています。

 

自分の経験から感じるのは、

とにかくルーティンワークが変わることを嫌う体質が染みついてしまっているということです。

 

どんなことであれ組織を改善しようとすると、一時的に業務量が増えます。ルーティンの他に組織を改善する業務を行う必要がある訳ですから、当たり前のことです。

でも、これを避けようとするあまり「なぜ、そんなことをしなければならないのか?」とか「今しなくてもいいのではないか?」とか抵抗する人ばかりの状態です。

そして、そんなことを30年以上も続けてきたら、世の中ではコンプライアンスだとかワークライフバランスだとか、それ自体としては生産性を上昇させない(*)手間のかかることをやらなくてはならなくなってきて、そのことが余計に組織改善のための余力を削っています。

コンプライアンスワークライフバランスは間接的には生産性アップにつながります。また、本質的な意味合いからも推進すべきものです。

 

今の日本の組織には、組織改善に向ける余力はほぼゼロというところが珍しくないのではないかと思います。

 

本当は、ルーティンの中にも組織改善に向けた業務が織り込まれているはずなのですが、「自分を楽にするために」見て見ぬふりをする人が大勢います。組織のトップであっても同様だと思います。失敗するかもしれないこと、批判されるかもしれないことを敢えてやらなくても、自分の任期中だけ無事に過ごせたらそれでいい。

そうじゃなくても忙しいのにリスクのある業務を上乗せするようなことはしない。

 

前職の職場で、「これからの職場はどうあるべきか」という話をすると、「それは組織の幹部が考えることだ。」とか「自分の仕事ではない。」とか「時間がない。」とかいう反応ばかりでした。

また、役所などはその傾向が著しいのですが、現状を批判的に検証できない。現状が間違っているとは認めたくない。この態度も現状維持を後押しします。

でも、組織改善(イノベーションとか色々言い方はあると思う)は、どこから始まるかわからないんですよね。現に、いくら待っても組織の幹部からそんな動きはない。少なくとも「失われた30年」と言われる期間は何も無かった。

 

自分自身は、めんどくさくても「『社会がよりよくなるため何かできることがないか。』という姿勢で生きていきたいな。」と考えています。意外と真面目に。

 

ミニマムな生活 ~ストックを減らす。~

ミニマムな生活は、支出を減らし、やる事を減らし、生活のクオリティを高めます。

小さな話ですが、そのための一つの課題として、「ストックを減らす」ということがあります。

 

ストックとして考えられるのは、

・衣類(下着、シャツなど)

・電池

・文房具

・タオル

・トイレットペーパーやティッシュ

・ハンカチやバンダナ

これだけでなく、継続的にチェックしてみると、おびただしい量のストックが家の中に眠っています。これらを、どう整理するか・・・ですが。

 

1 一気に捨てるもの

すべてのストックに共通する考え方として、「自分で買ったものではないモノ」「もらい物」については、1年使わなかったモノは全て処分していいと思います。

ただ、その踏ん切りがつかない場合には、溜まっているモノは直ちに使ってみて、その上で使い勝手が悪かったり要らなかったら処分することだと思います。とにかく使ってみる。

もらい物は、必要があって買ったものではないので、基本的に不要なはずです。でも、「もったいない」から早急に使ってしまう。そして処分する。

 

2 ストックをするものの種類、量を減らす

「将来的に必要があるから」という理由でストックしたものもあると思います。ただ、こういう将来に備えて自分で購入したストックが、家の中にかなりの量、滞留しています。

 

こういうモノも、実はそんなに多く必要ではないモノがたくさんあります。

私は、ストックは基本的に持ちません。

具体的には、

・下着(靴下、アンダーウエアなど)

・タオル

・Tシャツなどの衣類

・ハンカチ

などは全く持っていません。緊急で必要になる事がないからです。必要になってから買えば間に合う。

 

他方で、例外的にストックを(少量ですが)するものは明確に決めています。

・電池

・文房具(マジックなど)

・調味料

・洗剤

・トイレットペーパー、ディッシュペーパー

です。電池は非常用という意味もあります。文房具はマジックは突然書けなくなることがあるので。

ただし、ストックも持ち方を決めています。電池は基本的には充電式のものを使っていますから、それ以外に非常用に必要な懐中電灯用の単2電池数個に限っています。文房具も水性、油性のペンを1~2本(あとどれくらいあるか、すぐに思い浮かべられるくらいの量)。

調味料、洗剤は、使用中の洗剤の残量が半分を切ったくらいの時期に、ストックを購入します。

トイレットペーパーは1個、ティッシュペーパーは3個までと決めています。

 

3 おすすめのストック

モノを減らせば減らすほど、細かいところに目が行くようになります。「これも要らないんじゃないか。」とか「こっちの方がいいのではないか。」と常に考えるようになります。

 

私の場合、その一つがトイレットペーパー。

特に高級なものを使いたいという希望は無いので、以前はドラッグストアの安いものを購入していました。そうすると、一度購入すると必然的にストックが8ロールになる。それなりの場所を必要としていました。

でも、ある時気づいたのですが、コストの安いトイレットペーパーはすぐに無くなる。ロールされている紙が短いのと、質が悪いためどうしても多く使ってしまう。

そういう問題を解決するものを見つけました。

トイレットペーパー長巻ダブル | 無印良品 (muji.com)

無印良品のトイレットペーパーです。紙自体がしっかりしているので一回に使う量も少なくて済むし、125メートルもあります。持った感じが他のものとは全然違って、重い(結構、びっくりするくらい重いです。)

だから、なかなか無くならない。これは、1個ずつ売っています。

これに出会ってからは、トイレットペーパーのストックは1個だけになりました。

 

同様に、ティッシュペーパーも無印良品のものを使っています。こちらは、4個組ですので、ストックは最高3個です。

竹100%ティシューペーパー | 無印良品 (muji.com

また、洗剤もまとめられるものは、まとめています。

シャンプーとボディソープ、手洗い用の石鹸は、同じものを使っています。

シャンプー、ボディソープ、石鹸のストックが1個だけになります。

 

「そんなことか。」と思われるかもしれませんが、本当にモノが少なくなってくると、「そんなこと」にまで目が行くようになるものです。そういうところに目が行くようになると、モノを減らすのも楽しくなってきます。

ミニマムな退職生活 ~生活自体を断捨離する~

退職をするとお金のことが心配になります。

再就職をするにしても、それまでの間は収入はありません。他方で、支出はなくなることはありません。

だから、どうしたら支出を減らすことができるのか真剣に考えました。試行錯誤をしましたが、最近、自分の嗜好や考えを整理して一つの方法にたどり着くことができました。

 

結論から言うと、

・本が好きな人

・ジョギングを習慣にできる人

・料理をすることを厭わない人

は、劇的に支出をカットすることができることがわかりました。

 

1 本が好きなこと

仕事を辞めると時間ができます。多くの人は趣味に生きたいと考えたりします。

読書は、あらゆる趣味のうちで、多分、最も安上がりです。図書館で借りたら、限りなくコストは0です。

それにもかかわらず、大きな人生への恵みをもたらしてくれます。

 

2 ジョギングを習慣にできる人

走るだけですから、当然、これもコストは0。読書と同様です。

気持ちいいし、健康にいいことは言うまでもありません。

 

3 料理をすることを厭わない人

自炊できると大きく支出をカットできます。「一人暮らしならば外食の方が安い。」という人がいますが、多分違います。

安く外食しようとするとどうしても偏った食事になりがちです。バランスよく栄養を摂ろうとすると、それなりのコストになってきます。

自分で考えて、適度な量でバランスよく栄養を摂る事ができれば、健康にもいいし、ダイエット効果などにも直結します。

 

 

書いてみると「何て当たり前なんだろう」と思いますが、一度、読書とジョギングと自炊だけという生活を体験してみることを強くおすすめします。

落とせるところまでコストダウンしたら、「でも、やっぱりこれはやりたい。」ということが出てくると思います。

その段階で、そういうことを付け加える。

 

仕事をしていると、自分の生活を見直すということが本当に後回しにされます。よく考えてみれば自分の人生に必要ないことをだらだらと続けています。

自分自身、仕事を辞める前は、

・カフェでゆっくりしたい。

・旅行とか外食とかを楽しみたい。

・新たな遊びも経験したい。

等々、妄想していましたが、結局、よく考えてみたら、

・読書して

・ジョギングして

・自炊を楽しんで

いたら、自分は基本的には満足なんだということに気づきました。

旅行は、余裕ができたときに行ければいいし、外食も思ったほど魅力的ではない(最近は特に混んでるし)。

 

基本となる最低限の生活ができたら、お金を使ってでもやりたいことを考えます。

私は、趣味のテニスをやっています。スクールには通っていません。私的なサークルに入れてもらっていて、その付き合いでそこそこのお金はかかります。コート代(わりかん)とたまにある飲み会くらいですが。

あと、それ以外の交際費もあります。もとの職場や趣味を通じて知り合った人との交流が少なくないので、そのためのお金は必要です。ただ、これも自宅を徹底的に断捨離したことで人を招くことに抵抗がなくなり、コロナ感染防止の観点からホームパーティ形式で飲み会をやってみたところ思いのほか好評で、今では家に人を招いて懇親を深めることの方が多くなりました。たくさん外食する人に比べると、著しく安く上がっています。

また、再就職をしてから間もなく半年が経ちます。有給休暇を取得できるようになるので、そうなったら一人旅をしようと考えています。

 

こんな感じで、生活を整理したら、人生を無駄なく、でもめいっぱい楽しんでいるという実感が持てています。

モノを減らすというミニマリズムとは、やや話はずれますが、生活をシンプルにして、充実した人生を目ざすという視点からは、発想は同じだと思います。

だれかの参考になればいいな・・・と夢想しています。



 

正しいことの残酷さ(3) ~世の中の「原因と結果」を考えることの方が大切~

過剰に正しさに執着する現代社会ですが、これが幸せにつながらないことは、今の閉塞感や圧迫感に押しつぶされそうな世の中を見ていれば明らかだと思います。

 

本当は、正しさに執着するより、「こうなったらいいな。」ということを実現するためには、「どうしたらいいのか。」を考える方が断然いい。

今の自分の行いは、将来に繋がっています。今の自分の行いが「正しいかどうか」ではなく、「将来の良い結果の原因になっているかどうか」を模索して生きることが、自分の幸せにつながると思います。

同様に、自分の行いが「人に良い影響を与えるか」、「社会に良くなる原因になるか」を模索することが、良い社会の実現に繋がる。

 

「自分は正しいのに、社会や人がおかしい」等と嘆くのは終わりにして、今何をしたらいいのかという自分の問題に向き合うことが大切です。

 

そう考えて、自分は何をすべきか色々考えています。笑笑

 

2年前に漠然と考えていたことは、「退職という思い切った決断をして、自分の人生を良い方向に変えたい。」ということでした。

実際に退職することで、時間ができ、自分の人生について掘り下げて考えることができました。

 

退職後、次に、考えたのは「自分や社会に良い影響を与えられることはないか?」ということでした。

国の組織で公務員として働いていた時に感じていた問題点、つまり仕事が大変だからと言って辞めてしまったら人生が立ち行かなくなるという問題を、個人として乗り越えるためにはどうしたらいいかを考える中で、実際に就職活動をしてみました。

この経験はこのブログの「退職から人生再建へのモデル」というカテゴリーにまとめました。文字通り一つのモデルは作れたのではないかと思います。

 

現在は、再就職をして半年ほどが経とうとしています。

生活は安定しつつあります。

次は、どうしようか。楽しみながらも、真剣に考えているところです。