スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

(コラム)変化に対する怖れを克服することの大切さ ~退職、転職は人生における大変化~

人生の岐路というのは、どんな人にもあります。

ただ、その時、現状維持を選ぶのか、変化を許容するのか、それは人それぞれ、またその時々だと思います。

でも、人生のおいて「常に現状維持が正解」ということはないと思います。

 

 

人間は誰しも、大きな変化を経験します。

でも、成人した後は次第に、できる限り変化をしないことを望むようになっていきます。仮に、変化する必要があっても、変化を嫌い、変化する必要性を否定して、なんとか現状を維持することに執着するようになる。

 

 

もちろん、いたずらに変化してばかりいては、負荷が半端ないことになって疲れ切ってしまいますから、ケースバイケースなのですが、変化を求められる環境に置かれても、変化しないことに固執するようなってしまうとそれは問題です。

 

その方が、どれほどのリスクとなるのかは、現在の日本社会を見れば一目瞭然です。

じり貧で、世界から置いて行かれても、なお現状にしがみついている。既得権を抱え込み、新たな人材を登用したり、これまでにないやり方を導入することに、とにかく抵抗し続けている。

 

マイナンバーの導入は、おそらく時代の流れとしてやらなければならないことだと思います。そして、導入の仕方には反省すべき点があるのでしょう。でも、100%うまくいかないからと言って、「マイナンバーなんて要らない」というのは極論だと思います。それでも多くの人が、現状の紙の保険証がいいとか言っている。

 

現状を変えたくない人は、何とかして変化から逃げようとします。

 

中高年になると、会社などの組織の中で安定し、家庭でも若い時ほどの大きな変化がなくなってくる。そうすると、変化をすることを嫌うようになる。怖いから。

年齢が上がれば上がるほど、変化が怖くなります。

組織の中で「お荷物」となっても、変化することは怖いし、変化する過渡期は大変だし、とにかくやりたくない。そういう人をたくさん見てきました。

 

 

 

1年前、「退職しよう」と思い立って、それを実行することは、正直、不安で恐ろしかった。生活を維持していけるか、お金は大丈夫か、張り合いのない人生になるのではないか、肩書がなくなるとどうなるのか・・・様々なことが心配でした。

でも、変化は思ったとおり大変でしたが、生活トータルで見たら格段に楽になったし、人生を楽しめるようになったと思います。動いてみないとわからないこともたくさんありました。

 

例えば、

・仕事が無くなると自堕落になってしまうのではないかと心配しましたが、早寝早起きをして健康診断を受けて体調もベストな状態を保てるようになった。

・お金は大丈夫か心配でしたが、収入と支出を可視化して管理するようになって、不安がないことがわかった。

・仕事がないと外出しなくてもいいのですが、趣味や過去の友人関係など人間関係が広がった。

・家族と余裕を持って関わることができるようになった。

・自分の人生をどうしたいのかを、正面から考えるようになり、実際に動いて試行錯誤ができるようになった。

等、いくらでもあります。

 

 

今の日本社会は一億総活躍の名目の下で、定年が延長され、再雇用が義務化されました。その流れに乗って、年金不安から何とか会社や組織にぶら下がろうとする人が増えています。モチベーションの低い「働かないおじさん」です。

そういう人を身近に見て、自分はそうはなりたくないと思いました。

でも、私が組織にぶら下がらないでやったことは、起業してビジネスを成功させるような起死回生の手段を実行した訳ではありません。また、多額の相続財産が転がり込んでくるとか偶然の幸運に恵まれた訳でもありません。誰でもできる方法で、退職後の生活を再建してみました。

 

 

日本社会の問題は根深いと思います。それでも「退職」という変化を受け入れました。

その後、試行錯誤を繰り返すことで、この社会で何とかやっていけるのではないかと思うようになりました。

退職して1年経過した今、そう考えています。これからも変化を受け入れチャレンジして行きたいと思います。

 

退職から人生再建へのモデル(20) ~最終回:退職を決断してからここまでに考えたこと~

1 人生うまく行かないことが、自分を成長させる。

30代中ごろに、仕事、子育て、自分の未熟さが原因でうつ病になりました。

当時の仕事は、わりと花形のポジションでした。超過勤務が月211時間になるなど大きな負担はありましたが、とてもやりがいを感じる仕事だった。

子育ても、生まれたばかりの子どもがかわいくて仕方がなくて、仕事が忙しくても、(夫婦で働いていたこともあって)おむつ変えたり、風呂に入れたり、・・人生において得難い瞬間だったと思います。

 

でも、完全に自分のキャパシティをオーバーしていて、そういう生活を6年間続けたところで、体が動かなくなりました。

その後、どうしてそんなことになったのか、どうしたらよかったのか・・・ずっと考えていたような気がします。

 

 

2 人生は因果応報、原因があるから結果がある。

今ならわかることがあります。

環境を変えたり、自分自身が変わったりする道を模索すべきでした。

 

待っていても世の中や組織、人は変わりません。誰かに期待していても、自分の思うような世の中にはしてくれません。自分から変わらないと人生は変わらない。

作用があれば反作用があり、原因があれば結果があります。これは法則です。作用や原因を自分自身が作れば、反作用、結果という形で人生が変わっていくのだと思います。

 

振り返ってみれば、体調を崩した後の人生では、思うように物事が進まなければ、ささやかでも自分自身で決断して自分が変わることで人生を変えようしてきました。小さなことから自分にとって大きなことまで、変わる(変える)べきだと思えば、行動を起こすようにしてきました。

離婚も退職も状況を変えるための大きな決断、行動でした。

 

 

3 「退職から人生再建へのモデル」の記事は終わり

今回の退職は、自分の人生を自分に取り戻すための決断でしたが、「退職?甘えている。」、「公務員という仕事がどんなに恵まれているかわかっていない。」、「退職して、これからどうするの?」・・・様々なネガティブな意見もたくさんもらいました。

 

でも、やっぱり自分の置かれた状況を変えるには、変化するしかないと思います。今では自分の人生は好転したというのが実感です。

まず、健康になりました。大事なことをきちんと考える時間もできました。

 

ネガティブな意見に対する反発の気持ちから、退職しても誰でもちゃんとやっていけるし、よりよい人生になるということを証明したいとの思いが芽生えて、このブログを立ち上げ情報発信をすることもできました。

遠回りかもしれませんが、地道にハローワークに登録して職探しをしてみたのも、そのためです。

長年勤めてきた会社などの職場で酷い仕打ちを受けて、退職しようかどうしようか悩んでいる人をメインターゲットとして、退職を考えている人の参考になる情報を発信したいというのが、この記事の目的でした。

 

全く人生の方向性が見えていなかった1年前に比べれば、現在は、方向性が見えてきました。

就職活動に関して言えば、労働市場などの状況は、かなりわかりました。一応、教育関係の業界への就職も決まりました。

投資に関しては、私なりにおすすめできる結論を示せたのではないかと思います。

人生のビジョンの重要性については、人それぞれだと思いますが、一つのたたき台として参考にしてもらえたらいいなと感じています。

 

 

方向性が見えて、あとは頑張るだけ・・・という状況になれば、心が安定してきます。

だから、この「退職から人生再建へのモデル」という記事はこれで終わりです。

 

 

4 これからの自分について

退職からの1年で、自分の生活の金銭的基盤は、今までやってきた投資によって、ある程度確保されたと実感できました。また、ブログを書きながら、人生のビジョンについての整理も一応できました。

これからは、給料は少ないですが、それを自分のやりたいことにつぎ込んで、より人生が広がっていけばいいなと思っています。

これからも試行錯誤をしていこうと考えています。

 

 

(コラム)安い給料で満足する国民 ~構造的に人が循環しない日本社会~

週刊東洋経済新報社のwebサイトの記事で、日本企業の管理職の給与の低さをテーマにした記事が出ていました。諸外国に比較して、日本の管理職層の給与の低さを明らかにしていました。

ところが、当の管理職にアンケートをすると管理職自身は給料額は妥当だという回答をした人が多かったとのこと。

 

なぜか。

記者の分析によると、日本の管理職は日本人の部下に上意下達することと、部下のミスの尻拭いが仕事なので、日本語をしゃべれない外国人には向かない。

だから、日本人管理職は安定して働くことができる。他方で、ビジネスとしての質はそれほど要求されない仕事だから、現在の給料は妥当だと感じているのではないかということです。

これは裏返して考えると、日本の企業は、外国人の優秀な人材を管理職として迎えるモチベーションがないということになる。記者は、これを「日本語の壁」と言っています。

 

私は、記者の言うことはとても腑に落ちます。多分、この分析は正しい。

 

 

更に思うこともあります。上意下達、前例踏襲が仕事で、創意工夫や試行錯誤が要求されない日本企業、日本型組織は、外部の優秀な人材を迎える必要がない。だから、外国人のみならず、日本国内に優秀な人材がいくらいても、それを採用するモチベーションがない。「既得権者の壁」とでも言う状況です。

日本の労働市場が硬直化していることは、就職活動をしてみれば、本当によくわかります。

 

 

まとめると、日本企業、組織は外国人の優秀な人材を迎えることもなく、日本人の優秀な人材を求めることもなく、仕事に対するモチベーションの高くない多くの従業員が上意下達、前例踏襲の業務を、間違えないように、日々淡々と行っているだけ、ということになります。

 

失われた20年が30年になり、それが尚続いている現在、そういう構造的な問題を解消することは急務と言えると思いますが、そんな問題を指摘する声は、政財界、メディア・・・どこからも聞こえてきません。

景気刺激策として、湯水のようにお金を使うことばかりがクローズアップされ、根本的、構造的な問題は放置されています。

 

 

私が働いていた職場でも、実感として、管理職、幹部職員に限らず、組織の従業員は日本語の壁、既得権者の壁に守られ、犯罪でも犯さない限りは解雇されることもなく、ぬるま湯の環境(*)で働き続けています。

「外から人が入って来る」という緊張感のない状況で、組織が活性化するはずもなく、じり貧です。しかも、そのこと自体を自覚している人も、ほぼいない。

だから、封建社会のように一度決まった仕事からは抜けられない。人生は一度決まったら、変わらない。

*人が淘汰されることがないという意味です。人が動かない分、理不尽に仕事を押し付けられている人はいます。

 

 

日本社会は、いつ立ち行かなくなるか、時間の問題かもしれません。

 

退職から人生再建へのモデル(19) ~今でも考える「退職した理由」~

昨年夏に退職をしましたが、多くの人から、「なぜ退職するのか?」という質問を受けました。

「退職するんだから、そんなことはちゃんと考えているんだろう。」、そう思われていたのだと思います。まあ、普通そう思いますよね。

 

でも、今だに、なぜ退職したのかということを、私自身は考え続けています。

 

職場に長時間、拘束されたり、無理な仕事を押し付けられたりしたことで、「退職しよう」と思ったのは事実です。職場環境が最悪だから辞めようと思った。

でも、これが理由なのかと言われると、違和感がある。「退職したい」ということはずっと前から考えていて、職場環境が最悪というのは、きっかけにすぎない。

問題は、なぜ長時間拘束されたり、無理な仕事を押し付けられるのが嫌なのかというところでした。

 

人生の転機を迎えてある道を選択するとき、その理由を必ずしも説明できなければならない訳ではないけれど、私は、すごく気になっていました。なぜなら、今後の人生に大きな影響を与えそうだから。

自分はなぜ公務員生活に見切りをつけて、今の生活に舵を切ったのかということを自分の中で明らかにして、これから何をするのかを考えることは、自分の人生の羅針盤のようになるのではないでしょうか。

仕事をしている時は、こんなこと考えたこともありませんでした。

 

 

思い返してみると、朝、通勤しながら「この朝の時間って貴重なんだけどな。一番頭が働く時なのに、通勤して仕事をしている。この時間を有効に活用することは、自分の人生に大切なんじゃないか。」、「できるはずのない量の仕事や無茶苦茶な要求をされても、本当に自分のやりたいことであれば、無理してでもやるのではないか。」とか、考えていました。

 

「これまでの人生で何が楽しかったか、人生の棚卸が必要」というのは、よく言われることです。私も、そういう人生の棚卸をやってみました。「やりたいこと」って何だろうと考えてみた。

最初は1日、2日じっくり考えて・・・と思っていたのですが、これが予想外に時間がかかる。

「自分はこういうことが楽しい」とか「こういうことをやりたい」とわかるには、すごく時間がかかるものなんですね。

 

棚卸の結果、自分の特技というかスキルというのは、以下のような感じでした。

1 ずっと法律関係の公務員をやってきたから、法律(特に手続関係)に関すること

2 報道や国会の対応、広報などの経験は有意義だったと感じるから、人と接すること

3 見学の案内や広報の行事で小学生などとの関りは楽しかったし、プライベートでも野球のコーチの経験があるから、子どもに何かを教えたり案内すること

4 仕事上、後進の指導をすることに大きなやりがいを感じたから、人に何かを教えたり、人を成長させること

5 それなりに勉強をして金融資産を築くことができたから、経済に関すること

6 メンタルで苦労した際に役に立つように学んだ心理学や宗教に関すること

7 どんな時もやめないで続けてこられたテニス、芸術鑑賞、歴史を感じるところへの一人旅などの趣味

 

ここから、今後の人生で役立てたり、楽しんでいけることを導き出す訳ですが、1の法律はやり切った感じはあるし、メインに据えるものではない。

2~4は、人とのコミュニケーションが前提となるもので、3つ並ぶということは、それなりに人生においても重要なことに繋がる感じがする。

5、6は、これからも勉強して伸ばしていけるといいなと思う。

7は、これからも間違いなく続けたい。

 

 

仕事をしていた頃は、2~4については偶然そういう役割が割り振られれば一生懸命やっていましたが、自分の意思で選べるものではなかった。だから、今後仕事などを選ぶ際も、何かこういうことと関わる様なもの(教える、学ぶ環境を整えるなど)をやりたいのかもしれない。

 

 

こんな感じで1年間考え続けた結果、今、「退職した理由」を説明すると、「人に教えたり学ぶ環境を整えたりすることがしたい。また、これまでやってきた経済、心理、宗教などの勉強を続けたい。更に、運動や旅行などの趣味をもっとやりたい。そのためには、仕事をしていては、全然時間が足りないから退職した。」ということになるのではないかと思います。一言で言えば、仕事以外にやりたいことがある。

こういう方向性で人生を歩んで行けば、更にやりたいことが出てくるし、それは具体的な形になっていくんだろうな・・と思っています。

 

 

退職から人生再建へのモデル(18) ~職探しはどういう順序でするべきか、私なりのまとめ~

今年(令和23年)の初め頃から職探しを始めました。

そこから10カ月ほど経って、やっと働くところが決まりました。

これまでやったことを、まとめるとともに、今後同様に職探しをする人の参考になるように、本当はどうしたらよかったか、私が考えていることを書きたいと思います。

 

1 これまでの経緯

 退職後の生活については、

1 もう仕事はしない

2 新たな職を探す

 (1) ハローワークを中心として公的な機関を利用して探す

 (2) 区の掲示板など掲示から探す

 (3) 転職サイト、派遣サイトなどネットを利用して探す

 (4) それ以外の方法で探す(請負サイト、SNSを活用して収入を得るなど)

3 起業する

という感じで大きく分けられると思います。

 

最も一般的である2の「新たな職を探す」という方法を、できるだけ多くを体験して発信することを目的に、今までやってきました。

その状況については、過去に記事にしていますが、まとめると、私の職探しの方針は以下のとおりです。

1 フルタイムでは働かない。パートタイム勤務で週3~4日、月10万円程度を希望。

2 できる限り、前職の業界とは違うところ。職種は問わない。

 

男性でパートタイム、前職とは違う職種というのは、思いのほか非常にハードルは高かったと感じています。何度も書いてきましたが、ほぼ全て書面審査で落とされました。

 

 

hatasan2.net

 

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2 どうすれば良かったのか?

ここまでやってみて、結局、どうするのが良かったのか、私なりの結論を書いてみます。

(1) 退職前の準備

私自身は、退職前は仕事に忙殺されていましたので、とにかく辞めてから全て考えようと思っていました。

でも、このやり方は、あまりお勧めはできません。退職後の見通しをつけないで退職するのは、あまりにリスキーだからです。当たり前ですね。

 

職探しに関しては、現在の労働市場について理解をすることが重要です。

そのためには、公的な機関を利用して情報収集するのがいいと思います。

 

転職サイトや派遣サイトもありますが、情報発信という点からしたら、公的なものの方が量も多いし、整理されていると思います。

 

公的な機関としては、ハローワークが真っ先に思い浮かびますが、国の機関であるハローワークに登録してハローワークのサイトから情報収集するのは当然として、更に都道府県の主宰する「しごとセンター」などで情報収集するのがお勧めです。

退職が頭をよぎったら、まずは「しごとセンター」のサイトを探してみてください。

すごい量の情報があります。

 

これは、特にシニア層について、民間ベースでの情報提供がないことの裏返しでもあります。

 

退職前にできる準備としては、しごとセンターのサイトを見て情報収集するだけでも相当のメリットがあります。「退職予定」ということでも、しごとセンターに登録できますから、登録をして各種セミナーを受けることもいいと思います。

 

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(2)退職後の職探し

実際の職探しは、退職前でもできます。ただ、日々の仕事の忙殺されている職場では、現実的には難しいかもしれません。

 

実際の職探しを体験してみて言えるのは、ハローワークの求人票を見て、単発で応募するのは「ほぼ無駄」ということです。

私は、20近くの応募をしましたが、すべて書面審査で不採用でした。

「年齢性別不問」となっていても、基本的に、年齢、性別など客観的な条件で不採用が決まっているのだと思います。ハローワークの求人に単発で応募するのは、ほぼ可能性はゼロだと思って間違いないと思います。

ただ、しごとセンターを活用して、履歴書の書き方などを学ぶ機会にするために、実戦という位置づけで2~3か所応募するのは悪くないと思います。

 

その上で、お勧めするのは、しごとセンターや都道府県など(いろいろあります。)の機関が主催するシニア面接会の企画に参加することです。少なくとも首都圏ではいろいろなところでやっています。

 

単発のハローワーク求人は、実感としては年齢、性別でほぼ全て不採用となりますが、こういう面接会は、少なくともシニア層を場合によっては採用してもいいという企業、団体が集まっています。だから、こういうところをメインに利用するのがいいと思います。

 

私も、2回面接会に申し込みをして、2回目の面接会で2つの企業、団体の面接を受けることができ、そのうち1つの団体に就職が決まりました。

それまで私は、ハローワークの求人、転職サイト、派遣サイト、区の掲示板の求人などを合わせて20以上に応募して全て不採用だったにもかかわらず、面接会で面接した企業、団体の2社で面接をしてもらえて、そのうち1社に採用されたということです。

 

もちろん偶然うまく行っただけという可能性もゼロではありませんが、少なくとも面接(面接の下準備のような話をしてもらえるだけのところもありますが)をしてもらうところまで行けるだけで全然手ごたえは違うと思います。

実際に人事の担当者と話をしますから、相手もこちらの「人となり」を見ていて、選考の対象になっているという実感があります。

 

大変な職場を退職して次の職業を探そうとなれば、ハローワークを利用するのは普通だと思うのですが、利用の仕方を知らないと、本当に遠回りします。

 

私の経験で、無駄だったと思うところをそぎ落とすと、実際に10カ月かかったのがおそらく3カ月~半年に短縮できたのではないかと思います。

実際に採用してくれたところは、法律関係の前職とは全く畑違いの教育関係の団体です。条件は週4日勤務、おそらく給料は10万円前後。ほぼ希望どおりだと思います。

 

 

(3)併行してアルバイト

実際に体験して感じたのは、シニアでの職探しはかなり時間がかかります。

ブランクが長いと採用されにくくなる等のことも言われていますが、3年も4年もかかっているということならともかく、1~2年でとやかく言われる筋合いではないと思いました。だって、応募したって書面審査の段階でお祈り書面(*)が返送されてくるだけですから。

* 「お祈り書面」「お祈りの手紙」というのは、不採用通知の書面のことです。末尾が必ず「貴殿のこれからのご活躍をお祈りします。」で結ばれています。

 

それなりの長い時間が就職活動には必要となることから、補助的に考えてもいいと思ったのは、アルバイトです。

会社員や公務員として働いてきた人には、アルバイトと言われても、「そんなに簡単にできるのか不安」という人も多いと思います。例えば、コンビニエンスストアのアルバイトでも、「若い人ばかりで、そのスピードについていけないのではないか。」、「商品を売るだけではなく、公共料金の支払いや宅急便の受付などやることが多岐にわたり対応でしない。」等の不安を抱く人も多いと思います。

 

ただ、ここでまた利用できるのが「しごとセンター」です。

いろいろな職業の導入のセミナーがあります。例えば、コンビニエンスストアについても、そこに就職(アルバイト)するシニア層のための導入のセミナーがあり、有名なコンビニの会社の人が来て講義をしてくれたり、実際に体験させてくれたりします。

 

ハローワークを利用したりして求職活動の期間が延びるのが心配であれば、こういうものを利用してアルバイトをするのも手だと思います。

 

さらに言えば、大手のファストフード店コンビニエンスストアなどは、今、本当に人を必要としていてシニア層でも採用しようというモチベーションが高いです。他方で、求職者サイドから見れば、少なくともこれから数十年は無くなることはない。

そういうところで働いたことがあるという経験があれば、将来、困った状況になっても直ぐにお金を稼ぐことができます。

人生をたくましくしたたかに生きていくためには、すごくおすすめだと思います。

 

 

3 むすび

退職して何もわからず、就職活動に突入すると、相当不安だと思います。

実際の労働市場がこんなに硬直的だとは、おそらく一般には知られていないと思います。ネットの記事などでは、いろいろな人が「自分の市場価値がわかってないから、採用されない。」などと言っていますが、それは違います。

 

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労働市場の状況をきちんと事前に把握して、何をしたらいいのかを整理して退職できれば、相当程度の不安を解消できるのではないかと思います。まずは、労働市場が硬直化していることを知る事が大事です。

そして、それと同時に、自分も硬直化しないことが大事だと思います。

何も考えずに前の職場と同程度の給料を求め、同じ業種の仕事を求めたら、仮にうまく就職できたとしても、苦労した前職と同じような環境に置かれることになってしまう可能性が高いと思います。どのくらいの給料で自分は何がしたいのか、できるのかをしっかり考えて条件を固めた上で、一つの業種や一つの職場にこだわらない(場合によってはアルバイトと本職の両方を考える)など、自分自身も柔軟に考えることが必要です。

 

これから退職、就職活動をされる方に、少しでも参考になればと願って、この記事を書かせていただきました。

(コラム)退職後の生き方の指針 ~仏教の考え方~

私は、何かの宗教の信者ではありません。日本ではありふれた無宗教

 

でも、宗教の教祖と言われる人が本当に言いたかったことについて、興味があります。

釈迦もキリストもマホメットも、本当にいろいろ考えたのだと思います。人間が幸せになるには、どうしたらいいかって。だから、そのことは是非知りたいと思っています。

 

神が本当に存在するかとか、念仏を唱えると極楽に行けるかとか、様々な出来事は神の思し召しなのかなどの問題は置いておいて、教祖たちがどう生きて、何を感じ、どんな結論に至ったのかに幸せに生きるヒントがあるような気がします。

 

 

宗教の中でも、とりわけ自分自身のものの考え方に影響を与えたのは、仏教です。釈迦が何を言おうとしたのかということを理解すると、すごく世の中を生きやすくなると思いました。

釈迦が言ったこと(教え)として、多くのことが残っていますが、私がいつも心に留めるようにしているのは、3つです。そんなに多くはないけど、とても有益です。

人生の困難を目の前にした時、すごく役に立ちました。

その3つについて、私の理解を述べてみます。

あと、ついでに番外編として1つ。

(仏教の理解については、私見です。)

 

 

1 正見(しょうけん)

ものごとを客観的に正しく見ることです。

正しいというのは「倫理的に正しい」という意味ではありません。ありのままに正しく。

 

人間、どうしても主観が混じってしまいますが、それでもできる限り客観的に物事を理解しようとする態度が大切だということです。

 

世の中は、良いこともあれば悪いこともあります。当たり前です。

また、物事には良い面と悪い面があります。それが世の中です。

それをそのまま見て理解することが大事。

 

 

ところが、「悪いことはあってはならない。」と考えてしまう人は珍しくありません。

仕事でミスをしたら、「こんなことはあってはならない。」と目くじらを立てる。今の社会では、特にミスは許されませんから、執拗に非難されます。

でも、人間はミスをするものです。

こんな簡単な当たり前のことを理解せずに、ミスをするとはけしからんと本気で怒っています。また、ミスをした人は、くよくよ悩んで、メンタルダウンしたりしています。

大事なのは、「人間はミスをするもの」という正しい理解をすること。それが理解できたら、ミスを減らす努力をしたら、それでいい。

当たり前のことを執拗に非難するのは、間違っていることがわかります。

 

また、ミスをしたことはそれ自体は良いことではないけれど、それが将来の大きなミスを防いだのであれば、それは良いことです。

 

現実をクールに理解することの大切さを、正見という教えは説いています。

 

「世の中良いことも悪いこともある。そういうものだ。」という当たり前を理解した瞬間、心が楽になることは多い。

また、ものごとの悪い面ばかりを見ないで、良い面も見たら、思い悩むことも軽減されます。

 

 

2 諸行無常(しょぎょうむじょう)

超有名です。どんなものでも変わるということです。

超当たり前です。

 

これを意識するだけで楽になりますし、世の中が見えてきます。

 

現代日本社会を見てみると、既得権にしがみつき、また、変わることを拒み、大変な思いをしている人は多い。うまくいっていたことが、うまくいかなくなることを極度に恐れている。

 

世の中は常に動いていて変わっていきます。

過去には日本の経済がうまくいっていたからと言って、同じやり方に固執するから「失われた30年」になっている。

変わることは怖いし、変えることはめんどくさい。でも、世界は変わっているのだから、日本も変わらないとうまくいかない。

 

価値観も常に変わっています。

親の教えが正しいと思って、自分もその教えに従ってやってきたけれどうまくいかなかったということは、ありがちなことです。親の教えは、親が育った時代には有益だったのかもしれない。でも、変わってしまった世の中には対応できないことがあります。

そうであれば、やり方を変えるしかない。

でも、変わるのは怖いし、大変だから、「自分は親の教えのとおりにやってきたのに、うまくいかない。これは社会が悪い。」と言って、自分が変わろうとせず嘆いている人は多い。

 

変わるのは当たり前、だから自分も変わる。

変わることは怖い、でも変える。

それだけだと思います。

 

 

3 因果応報(いんがおうほう)

これまた超有名です。原因があるから結果があるということです。

 

「善い行いをしたら、良い人生が送れる」と短絡的に理解する向きもありますが、誤りです。

 

そういう「倫理的なこと」ではなく、ある結果はある原因から生じているという、もっと乾いた客観的な法則です。

 

現在、自分が苦労しているとすると、その原因は過去にあります。

同様に、現在は未来の原因になっています。

苦労する人生を抜け出したければ、現在を改めることです。ものごとは原因があって結果が生じるということは、客観的で絶対的な法則です。

 

 

それなのに、それを倫理的に正しくないと言って理解しようとしない人が多くいます。

自分は過去において、誠心誠意、正しい行いをして生きてきた。それなのに現在うまくいかない。「誠心誠意正しい行いをしてきた人が不幸になるのは、倫理的に正しくない」と言って、客観的な因果の流れを理解しようとしないのです。

 

でも、そういう倫理的に正しい行いが現在の不幸に繋がることはよくあることです。

親が子どもに良かれと思って愛情を注いだ結果、過干渉で子どもが引きこもってしまうとか。親の言うことを素直に聞いて努力してきたら、貧乏になったとか。

「自分は悪くない」、「悪いのは他人だ」と言ってみたところで、現実は変わりません。それよりも、因果応報という法則を受け入れて、次はどうしたら良い結果を生むのかをしっかり考えるしかありません。

 

 

4 おまけ

この3つの他にも「教え」として言い伝えられていることはたくさんあります。

でも、私は、基本的にはこの3つに尽きるような気がしています。

 

それでも、あえてもう1つ挙げるとしたら、私は「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)」を挙げます。

 

「自分と法則のみを灯り(あかり)として、自分の人生を生きていきなさい。」ということです。

つまり、他人が言うことや、法則に反したことに心を奪われずに、素直に「正見」とか「諸行無常」とか「因果応報」などの法則を受け入れ、自分自身で考えて生きていきなさいという教えです。

前述の、「自分は倫理的に正しいことをしてきたのに不幸になるのはおかしい。」というのは、法則に基づかない思い込みにすぎません。そんなことは、世の中には山ほどあります。「倫理的に正しいことをしたが、なぜ今という結果があるのか。どうしたら、次はよい結果を生むことができるか。」ということを、冷静に考えることが必要です。

 

 

 

私も、自分自身の心が疲れてしまった時、世の中の理不尽さや間違いが気になって仕方ありませんでした。「自分は間違っていないのに、社会が間違っている」という気持ちに囚われていました。

でも、

「世の中とはそういうもの、でも悪いことばかりではなく、良いこともある。」

「世の中もいつまでも同じではないし、自分がよりよく変わっていけばいいだけ。」

「今、何をしたら良い結果につながることを考えて生きていくしかない。」

と思えた時、とても楽になりました。

 

(コラム)人生における休息の大切さ ~ユダヤ人の安息日(シャバット)に学ぶ退職後の人生~

ユダヤ人の習慣として、週に1日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)が安息日とされすべての仕事や作業が中断されるそうです。社会的には商業施設はもちろん公共交通機関も動かなくなる。

その1日は、読書をしたり、家族と過ごしたり・・・休息をします。

これをシャバットと言うそうです。

 

私は、このシャバットのことは最近知ったのですが、キリスト教イスラム教、また仏教でも休息(日)という似たような考え方が出てきます。おそらく、人間には適切な休息が必要であることは何千年も前から認識されていたからではないかと思います。

 

他方で、自分自身の過去の生活を振り返ってみた時、こういう本来の意味での休息が取れていたことは極めて少なかったと思います。

朝から晩まで働き、仕事が終わると帰って寝るだけ、次の日の朝は早い時間から出勤。休日も仕事が入ることもまれではなく、仕事が入らなくても翌週の段取りを考えたり、不安に思ったり、気が休まる暇もありません。

日本社会の働き方は、異常です。

 

でも、私は、忙しすぎて日本社会が異常だという事実に明確に気づくこがとできなかった。欧米はバカンスの習慣があるとか、使用者に対して契約外の労働は拒否してプライベートな時間を確保しているとかいう知識は持っていましたが、それをきちんと理解していませんでした。

 

 

昨年夏に思うところがあって退職して初めて自分の時間を持つようになり、本来考えるべきことを考える習慣がついてくると、様々なことに気づくようになりました。シャバットについても、人生における休息の大切を感じるようになって初めて自分のアンテナに引っかかってきた。

 

 

様々な宗教で同じように休息の大切さが説かれ、習慣として定着しています。宗教以外でも医学、心理学、文学などあらゆる側面からも、重要性が認識され、休息を取らないことへの警告がされているにもかかわらず、社会は変わりません。それどころか、どんどん忙しくなっている。

 

 

こういう社会に暮らしていても、あるいは暮らしているからこそ、うすうすは「もっとプライベートな時間がほしい」とか「一人時間を大切にしたい」とか「余裕を持ちたい」と個人として考える。多分、それは心の声なのだと私は思います。

休息を取れば、もっと心の声が明確に聞こえてくると思います。

でも、自分の経験から言うと、週末の休日に心の声に耳をすますことができるような完全プライベートな休日は少なかった。圧倒的に時間が足りなかった。

日々の生活に押し流されていた。

 

 

退職して1年以上が経って、こういうことに気づくようになりました。

今は、自分の生活をマネージメントして、週に1~2度程度の休息日を設けることもできます。休息日には本を読んで、仕事ではなく人と会って、散歩して、ぼーっとして、ゆっくり食事をして・・・。

そして、翌日からは「これからの人生をどうするか」を考え、行動につなげていく。また、やりたいこと、知りたいことを探し、全力で体験していく。

 

 

早期退職したことの良さは、こんなところなのかもしれません。