スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

(コラム)退職後の生き方の指針 ~仏教の考え方~

私は、何かの宗教の信者ではありません。日本ではありふれた無宗教

 

でも、宗教の教祖と言われる人が本当に言いたかったことについて、興味があります。

釈迦もキリストもマホメットも、本当にいろいろ考えたのだと思います。人間が幸せになるには、どうしたらいいかって。だから、そのことは是非知りたいと思っています。

 

神が本当に存在するかとか、念仏を唱えると極楽に行けるかとか、様々な出来事は神の思し召しなのかなどの問題は置いておいて、教祖たちがどう生きて、何を感じ、どんな結論に至ったのかに幸せに生きるヒントがあるような気がします。

 

 

宗教の中でも、とりわけ自分自身のものの考え方に影響を与えたのは、仏教です。釈迦が何を言おうとしたのかということを理解すると、すごく世の中を生きやすくなると思いました。

釈迦が言ったこと(教え)として、多くのことが残っていますが、私がいつも心に留めるようにしているのは、3つです。そんなに多くはないけど、とても有益です。

人生の困難を目の前にした時、すごく役に立ちました。

その3つについて、私の理解を述べてみます。

あと、ついでに番外編として1つ。

(仏教の理解については、私見です。)

 

 

1 正見(しょうけん)

ものごとを客観的に正しく見ることです。

正しいというのは「倫理的に正しい」という意味ではありません。ありのままに正しく。

 

人間、どうしても主観が混じってしまいますが、それでもできる限り客観的に物事を理解しようとする態度が大切だということです。

 

世の中は、良いこともあれば悪いこともあります。当たり前です。

また、物事には良い面と悪い面があります。それが世の中です。

それをそのまま見て理解することが大事。

 

 

ところが、「悪いことはあってはならない。」と考えてしまう人は珍しくありません。

仕事でミスをしたら、「こんなことはあってはならない。」と目くじらを立てる。今の社会では、特にミスは許されませんから、執拗に非難されます。

でも、人間はミスをするものです。

こんな簡単な当たり前のことを理解せずに、ミスをするとはけしからんと本気で怒っています。また、ミスをした人は、くよくよ悩んで、メンタルダウンしたりしています。

大事なのは、「人間はミスをするもの」という正しい理解をすること。それが理解できたら、ミスを減らす努力をしたら、それでいい。

当たり前のことを執拗に非難するのは、間違っていることがわかります。

 

また、ミスをしたことはそれ自体は良いことではないけれど、それが将来の大きなミスを防いだのであれば、それは良いことです。

 

現実をクールに理解することの大切さを、正見という教えは説いています。

 

「世の中良いことも悪いこともある。そういうものだ。」という当たり前を理解した瞬間、心が楽になることは多い。

また、ものごとの悪い面ばかりを見ないで、良い面も見たら、思い悩むことも軽減されます。

 

 

2 諸行無常(しょぎょうむじょう)

超有名です。どんなものでも変わるということです。

超当たり前です。

 

これを意識するだけで楽になりますし、世の中が見えてきます。

 

現代日本社会を見てみると、既得権にしがみつき、また、変わることを拒み、大変な思いをしている人は多い。うまくいっていたことが、うまくいかなくなることを極度に恐れている。

 

世の中は常に動いていて変わっていきます。

過去には日本の経済がうまくいっていたからと言って、同じやり方に固執するから「失われた30年」になっている。

変わることは怖いし、変えることはめんどくさい。でも、世界は変わっているのだから、日本も変わらないとうまくいかない。

 

価値観も常に変わっています。

親の教えが正しいと思って、自分もその教えに従ってやってきたけれどうまくいかなかったということは、ありがちなことです。親の教えは、親が育った時代には有益だったのかもしれない。でも、変わってしまった世の中には対応できないことがあります。

そうであれば、やり方を変えるしかない。

でも、変わるのは怖いし、大変だから、「自分は親の教えのとおりにやってきたのに、うまくいかない。これは社会が悪い。」と言って、自分が変わろうとせず嘆いている人は多い。

 

変わるのは当たり前、だから自分も変わる。

変わることは怖い、でも変える。

それだけだと思います。

 

 

3 因果応報(いんがおうほう)

これまた超有名です。原因があるから結果があるということです。

 

「善い行いをしたら、良い人生が送れる」と短絡的に理解する向きもありますが、誤りです。

 

そういう「倫理的なこと」ではなく、ある結果はある原因から生じているという、もっと乾いた客観的な法則です。

 

現在、自分が苦労しているとすると、その原因は過去にあります。

同様に、現在は未来の原因になっています。

苦労する人生を抜け出したければ、現在を改めることです。ものごとは原因があって結果が生じるということは、客観的で絶対的な法則です。

 

 

それなのに、それを倫理的に正しくないと言って理解しようとしない人が多くいます。

自分は過去において、誠心誠意、正しい行いをして生きてきた。それなのに現在うまくいかない。「誠心誠意正しい行いをしてきた人が不幸になるのは、倫理的に正しくない」と言って、客観的な因果の流れを理解しようとしないのです。

 

でも、そういう倫理的に正しい行いが現在の不幸に繋がることはよくあることです。

親が子どもに良かれと思って愛情を注いだ結果、過干渉で子どもが引きこもってしまうとか。親の言うことを素直に聞いて努力してきたら、貧乏になったとか。

「自分は悪くない」、「悪いのは他人だ」と言ってみたところで、現実は変わりません。それよりも、因果応報という法則を受け入れて、次はどうしたら良い結果を生むのかをしっかり考えるしかありません。

 

 

4 おまけ

この3つの他にも「教え」として言い伝えられていることはたくさんあります。

でも、私は、基本的にはこの3つに尽きるような気がしています。

 

それでも、あえてもう1つ挙げるとしたら、私は「自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)」を挙げます。

 

「自分と法則のみを灯り(あかり)として、自分の人生を生きていきなさい。」ということです。

つまり、他人が言うことや、法則に反したことに心を奪われずに、素直に「正見」とか「諸行無常」とか「因果応報」などの法則を受け入れ、自分自身で考えて生きていきなさいという教えです。

前述の、「自分は倫理的に正しいことをしてきたのに不幸になるのはおかしい。」というのは、法則に基づかない思い込みにすぎません。そんなことは、世の中には山ほどあります。「倫理的に正しいことをしたが、なぜ今という結果があるのか。どうしたら、次はよい結果を生むことができるか。」ということを、冷静に考えることが必要です。

 

 

 

私も、自分自身の心が疲れてしまった時、世の中の理不尽さや間違いが気になって仕方ありませんでした。「自分は間違っていないのに、社会が間違っている」という気持ちに囚われていました。

でも、

「世の中とはそういうもの、でも悪いことばかりではなく、良いこともある。」

「世の中もいつまでも同じではないし、自分がよりよく変わっていけばいいだけ。」

「今、何をしたら良い結果につながることを考えて生きていくしかない。」

と思えた時、とても楽になりました。

 

(コラム)人生における休息の大切さ ~ユダヤ人の安息日(シャバット)に学ぶ退職後の人生~

ユダヤ人の習慣として、週に1日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)が安息日とされすべての仕事や作業が中断されるそうです。社会的には商業施設はもちろん公共交通機関も動かなくなる。

その1日は、読書をしたり、家族と過ごしたり・・・休息をします。

これをシャバットと言うそうです。

 

私は、このシャバットのことは最近知ったのですが、キリスト教イスラム教、また仏教でも休息(日)という似たような考え方が出てきます。おそらく、人間には適切な休息が必要であることは何千年も前から認識されていたからではないかと思います。

 

他方で、自分自身の過去の生活を振り返ってみた時、こういう本来の意味での休息が取れていたことは極めて少なかったと思います。

朝から晩まで働き、仕事が終わると帰って寝るだけ、次の日の朝は早い時間から出勤。休日も仕事が入ることもまれではなく、仕事が入らなくても翌週の段取りを考えたり、不安に思ったり、気が休まる暇もありません。

日本社会の働き方は、異常です。

 

でも、私は、忙しすぎて日本社会が異常だという事実に明確に気づくこがとできなかった。欧米はバカンスの習慣があるとか、使用者に対して契約外の労働は拒否してプライベートな時間を確保しているとかいう知識は持っていましたが、それをきちんと理解していませんでした。

 

 

昨年夏に思うところがあって退職して初めて自分の時間を持つようになり、本来考えるべきことを考える習慣がついてくると、様々なことに気づくようになりました。シャバットについても、人生における休息の大切を感じるようになって初めて自分のアンテナに引っかかってきた。

 

 

様々な宗教で同じように休息の大切さが説かれ、習慣として定着しています。宗教以外でも医学、心理学、文学などあらゆる側面からも、重要性が認識され、休息を取らないことへの警告がされているにもかかわらず、社会は変わりません。それどころか、どんどん忙しくなっている。

 

 

こういう社会に暮らしていても、あるいは暮らしているからこそ、うすうすは「もっとプライベートな時間がほしい」とか「一人時間を大切にしたい」とか「余裕を持ちたい」と個人として考える。多分、それは心の声なのだと私は思います。

休息を取れば、もっと心の声が明確に聞こえてくると思います。

でも、自分の経験から言うと、週末の休日に心の声に耳をすますことができるような完全プライベートな休日は少なかった。圧倒的に時間が足りなかった。

日々の生活に押し流されていた。

 

 

退職して1年以上が経って、こういうことに気づくようになりました。

今は、自分の生活をマネージメントして、週に1~2度程度の休息日を設けることもできます。休息日には本を読んで、仕事ではなく人と会って、散歩して、ぼーっとして、ゆっくり食事をして・・・。

そして、翌日からは「これからの人生をどうするか」を考え、行動につなげていく。また、やりたいこと、知りたいことを探し、全力で体験していく。

 

 

早期退職したことの良さは、こんなところなのかもしれません。

 

(コラム)働き方改革で一番大変な人たちは、「サイレントマジョリティ」だ。

働き方改革を推進している組織で構造的に一番割を食って、大変な思いをしている人ってどんな人しょうか?

子育てしながら頑張っている人ですか?介護しながら頑張っている人ですか?

 

違います。

子育て世代や介護者として制度の恩恵を受けられない普通の人です。

独身の人、結婚しているけれど子供がいない人、奥さんが専業主婦の人は、典型的な割を食う人たちです。

仕事のできる人は特にそうです。

 

私は、子育てや介護に関する政策や世の中の動向に反対するものではありません。

ただ、理念ばかりが先行して、制度導入からこんなにも時間が経っているのに、理念を実現するためにしわ寄せを受けている人に目が届かないことに、大きな疑念を持っています。

 

組織は、「誰でも育児や介護の可能性があるのだから、お互い様」と言います。

でも本当でしょうか?

育児や介護は、本当に全職員に訪れるのでしょうか???

 

育児や介護の重要性を理由に、都合のいいところに仕事を押し付けている。これが実情だと思います。

独身で両親が健在。そういう人が給料以上に働かなければならない理由は何でしょう?

結婚したけど子供ができない人が何の見返りもなく育児休業を取った人のフォローをしなければいけない理由はなんでしょうか?

 

 

本当は、育児や介護をできるような制度設計ができていないだけです。

育児休暇や介護休暇制度を作ったらそれで終わり。それが現状です。

それによる歪みは、独身や子供がいない人、介護をしなくていい人に押し付ければいい。積極的に、そう考えてはいなくても、そうなっても仕方ないという雰囲気は蔓延している。

 

 

私が育児をしていた頃、もう20年も前から、育児や介護の制度はどんどん改正されてきました。でも、休暇や補助金などのメニューはどんどん増えても、本質的な制度設計はなおざりなままです。

 

それが原因で、育休などを取得する人の職場では周囲の人が休暇の取得を快く思わなかったり、育休などを取得する人が周囲に引け目を感じたりしています。

長い間この状況は放置されていますから、職場内で軋轢が生じているところもあります。

 

 

きちんとした制度を作りこんでいくことが大切なのですが、そういうことは放置されたままです。日本社会は、とにかく制度を作ったら、あるいは何かをやったら、それを改善していくということをしない。

実は、類似のことは多く存在します。

マイナンバー制度もとりあえず形を作っただけ、制度の作りこみは後回し。だから、不具合や間違いが次々と出てくる。

コロナの際の保健所からの情報収集も、一度制度を作ったらほったらかしで改善しようとしないから、いつまでもファックスで集計するなどということが続いたし、第●波とか言いつつ、医療のひっ迫は全然改善されないとか・・・。

枚挙にいとまがありません。

 

 

おそらく、日本のほとんどの職場、官公署であろうと民間企業であろうと、その傾向は大きくは違わないのではないかと思います。日本の社会は、本当に大丈夫なんだろうか???

 

 

話をもとに戻すと、働き方改革で残業は禁止、休暇をきちんと取得するというスローガンのもと、増え続ける仕事を処理するため、休暇を取得する人の分まで仕事を処理するためにサービス残業をしたり、無理な仕事のやり方をしている人がたくさんいます。

でも、働き方改革、母性保護・・・等々の錦の御旗に逆らうことができず、多くの人が黙って我慢しています。サイレントマジョリティーです。

 

政治や組織のかじ取りをしている人たちの資質や能力に問題があることは自明のことですが、働き方改革で割を食っている人たちの方も我慢するだけで行動を起こせないでいる現状も問題だと私は考えています。

本当に無茶を要求されたら、その組織を辞めてもいい。

今、発信しているこのブログの内容がほんの少しでもその役に立てばいいなと切に願っています。

 

 

(コラム)今、組織で我慢して仕事をしている中高年へ ~後進に道を譲りませんか。~

長年働いてきて、職場の中で自分のポジションに納得がいかない人達に呼びかけます。

仕事を辞めて、後進に道を譲りませんか?

 

定年延長、昇給停止などの施策が次々と打ち出されますが、50代以上の人で、仕事にやりがいがあって毎日を過ごしているという方は、どのくらいいるのでしょうか。

反対に、仕事については疑問を覚えるけれど、収入を絶たれる訳にもいかないから、仕方なくやりがいもなく仕事を続けている人がかなりおられるのではないでしょうか。

 

 

現在やりがいを持って仕事をしているとしても、そういう人には更に聞いてみたいです。

 

あなたの仕事のやり方は古くないですか?

昔の価値観を引きずっていませんか?

 

まだまだ仕事に対する姿勢も柔軟で、自分のやり方や価値観をアップデイトできている人は、組織に必要とされていますから、組織に残ったらいいと思います。そういう方々は、部下職員や後輩たちにいい影響を与え、組織全体の生産性を上げることになると思います。

でも、自分自身はやりがいを持って仕事をしていても、古いやり方、昔の価値観を引きずっていて迷惑をかけているかもしれません。

 

 

「やりがいを持っていて、自分自身のやり方や価値観を今でもアップデートし続けていけている理想的な過ごし方をしている人」以外の人たちについては、組織に残っていても後進にいい影響はありません。

 

 

長い間働いてきて金銭的に多少余裕があれば、一度、自分のこれからの生活に必要な支出額、蓄えた資産額、これから働いて稼がねばならない金額をじっくり考えたらいいのではないかと思います。

 

巷で言われている2000万円問題の金額を前提に考えてみます。

もしも、現在、2000万円の金融資産があるのであれば、年金をもらえるまでの間、その2000万円を目減りさせない程度の収入を得られる仕事をしたらいいのではないでしょうか?その仕事が現在の仕事よりもハードである可能性は低いと思います。

これがセミリタイア、FIREということではないかと私は思います。

 

 

 

セミリタイアすることで、自分が所属していた組織は自分より若い人たちの活躍の場が広がります。

また、退職することは、今の組織に疑問を持っているのであれば、組織に問題提起をする機会になります。

 

直接大上段に振りかぶって伝える必要はありません。でも、わかる人にはわかります。

それで直ちに組織が変わることはないかもしれません。直ちに変わることはないかもしれないけれど、一人一人の大きな流れになれば、大きく変わることがあるかもしれません。でも、そうなる頃は、もう我々はその組織にはいませんけど。

それでも良くなる方へ賭けるために後進のため、道を譲る矜持を大切にしてみたらどうかと思います。

50代という声が聞こえるようになっている人には、こういう分別はついているのではないでしょうか。

 

自分自身、退職と結びつけて、組織に対する疑問や不満を口にしたことはありませんが、それまで一緒に仕事をした人には伝わっています。

 

 

 

身を引くことの最大の魅力は、自分の人生を見直し、組織にぶら下がるのではない生き方を模索する絶好の機会になるところです。

 

もちろん、魅力的である反面、大きな不安もあります。

現在の職場にそれなりの期間働いてきて、自分にある程度の自信を持っている必要はあるかもしれません。組織の肩書がなくても、自分で自分の人生をコーディネートしていけるという程度の自信があることは前提になるでしょう。

 

金融資産を洗い出して、月々の必要な収入額を割り出せば、これからの生活をどうするかという具体的な検討に入ることができます。

「とりあえず定年まで我慢して」と考えておられる方もいると思いますが、定年まで我慢できるでしょうか。「我慢できないかもしれない」と思うのであれば、我慢して生きるほど人生は長くないです。

体調を崩したりしたら、定年後にがんばることもできません。

こう言っているのは、私だけではありません。こんな本も出ています。

 

 

 

組織とのミスマッチに気づいておられるのであれば、組織ではもう自分の能力は生かせないと考えた方がいいのではないでしょうか。

一度しかない人生、その能力を生かせるところはないか、もう一度探してみるのも人生ではないかと思います。

退職から人生再建へのモデル(17) ~退職を意識したらやるべきことを、時系列で考える。(2)~

前回までに、次のことをお書きました。

1 金銭的なベースを築く。

2 人生のビジョンを明確にする。

3 退職後の生活費をイメージする。

今回は、具体的に職探しの話です。

 

4 退職後の職業を考える。

1~3までをもとに、どのくらいの収入を必要と考えるかを割り出します。

全く蓄えがない、あるいは極めて少額ということでなければ、ハードルは下がるのではないかと思います。

投資をしてみて、年5%の利益が見込める場合には、それを控除した金額が稼げればいいということになります。

 

(1)知り合いやツテを頼る。

その上で、次の職業を考えることになりますが、知り合いから声をかけていただけるのであれば、余程条件が折り合わないということでなければ、そこに再就職をお願いしたらいいと思います。

ただ、そう都合よく声がかからないかもしれません。

 

(2)ハローワークで職探しをする。

そこで次に考えられるのが、ハローワークでの職探しです。

この場合、退職前でも「仕事センター」に行って相談することをおすすめします。前にも書きましたが、仕事センターは各都道府県が設置していて、ハローワークと連動しています。

とにかく親切です。求人票の見方から面接での注意事項や模擬面接までやってくれます。無料です。

hatasan2.net

ある意味至れり尽くせりなのですが、ハローワーク求人に単発で応募しても50代の就職は極めて厳しいというか、ほぼすべて年齢ではねられます。可能性は限りなく0に近いです。

 

ただ、「じゃあ。全然可能性はないのか。」というと、そうでもありません。

ハローワークやしごとセンターが、シニアを対象として「面接会」を開いています。これは中高年を雇用する意欲のある企業を集めて、1日で面接までやってしまおうという企画で、5~7社がエントリーして、求職者は2社まで面接を受けることができるというものです。単発で応募するよりも、「シニアを雇用するつもりのある企業」が参加していますから、採用の確率は上がると思います。

もちろん、どのくらい確率が上がるかはわかりませんが、単発で応募するよりも効率よく求職活動ができるというのは間違いないと思います。

 

少なくとも、どういう姿勢で再就職の活動をしたらいいのかということを知るするためにも、退職を意識したら、ハローワークと「しごとセンター」に登録して、セミナーなどを受けてみることをおすすめします。

定年退職後の過ごし方のセミナーや年金や税制の説明会などもあります。

情報の宝庫です。登録は、退職予定でも可能です。

 

(3)人手不足が本当に切実な業界の求人に応募する。

ハローワークに求人を出しているようなところの多くは、実は中高年を求めてはいないと言っていいと思います。20か所に応募してみましたが、すべて書面審査で不採用でした。

ただ、ニュースなどでも取り上げられているとおり、介護、運送、飲食などは本当に人手不足です。なりふり構っていられない。だから、そういう求人に応募する手はあると思います。

 

ただ、そういう求人でも熱量に差があります。

運送関係の求人については(この期に及んで)経験者を求めています。

介護業界は、やはりブラックであるとのうわさが絶えません。ただ、就職したのちに資格の取得を後押ししてくれるところもあるようです。

飲食関係の大手、コンビニ業界などは、人手不足が本当に深刻なようで、真剣に中高年を戦力として活用しようと考え始めています。ただ、多くはバイト、パートになります。

 

 

(4)転職サイト、派遣サイト

転職サイト、派遣サイトも、仕事探しの成就する率としては、ハローワークと大差はないものと思われます。

 

まず、転職サイトですが、サイトに登録するとおびただしい数のメールが送られてきますが、多くは「なぜこんな業界の仕事を紹介されるのだろう?」と疑問を持つものばかりの上に、フルタイムの仕事が多い印象です。多分、現在の職業より条件のいい仕事を紹介しているのだと思います。私は、フルタイムは希望していなかったことと、現実問題、いきなりそういうところへの転職は無理なのではないかと思い、登録しただけで転職サイトの利用はしませんでした。

 

次に、派遣サイトです。サイトに登録して、5社くらいエントリーしてみましたが、1社も選ばれませんでした。

 

 

(5)その他(SNSの収益化、クラウドでの請負)

現代的な仕事の仕方、収入の得方では、SNS(ブログ、youtubeなど)で自分のアカウントを作成し、収益化を狙うというやり方もあります。

 

私は、自分のやりたいことを考えた結果、ミニマムな生活をめざしたいという結論に至りましたので、何かを誰かに売るというということと相いれず、あきらめました。でも、例えば、月10万円というレベルであれば、それなりの努力をしたら、SNSからの収入も夢ではないという感触はあります。

 

また、ネット上で仕事を請け負うことで収入を得るということもできます。

ウェブライターなどを目指すのであれば、そういうサイトを探して(すぐに見つかります)、応募して経験を積むということもできます。ただし、サイト経由で受注するものは極めて安価です。

ウェブライターやホームページ制作を将来的に本格的にやる前提として、経験を積むという位置づけになると思います。

 

5 まとめ

私の経験上、現在の仕事を辞めるためのカギは、退職後の収入をどう確保するかということにかかっていると思います。

生活も給料も従前どおり希望するのであれば、前職と同程度かそれ以上の収入が必要になります。それを仕事だけから得ようとしたら、それは極めて厳しいと思います。

独立起業をするとか一発逆転を狙うのではなく、それなりに穏当な方法で退職後の収入を確保したいと思えば、まずは、投資をして不労所得を得られる仕組みを構築することが不可欠だと思います。

その上で、無駄な支出を無くして、必要最小限の収入を得る方法を考える、という考え方がいいというのが、現時点の私の結論です。

 

 

人と人とのつながりは無限のバリエーションとグラデーションがある。

メディアでは、有名な女優さんが不倫をしたとか、スポーツ選手が不倫をして離婚をした後に元の配偶者からの子供の引き渡しに応じないなどというニュースが多く流されています。

 

私は、テレビのワイドショーはもちろんネットの記事でもこういう話題については見ないようにしていますが、それでも記事の表題が、ニュースサイトや電車のつり広告などから飛び込んでくる。どれほど、頻繁にこれらの話題を扱っているのかは、見なくてもわかります。

 

 

私が、こういう話題、特に芸能人や有名人の家族関係の話を見たり聞いたりしないようにしている理由は、プライバシーだから。

プライバシーってことは、基本的には当該個人に関する問題で、自分には関係ないってことです。それなのに、あらゆるメディアが、多くの情報を垂れ流し、論評をしている。

余談ですが、ジャニーズ事務所は関係する企業や個人も多く、社会に大きな迷惑をかけていますが、問題の大きさの割に扱いが極めて抑制的です。

 

 

常々考えるのですが、無分別に「不倫=悪」という前提で記事なり番組などが形成されていますが、そもそも、不倫の悪いところとは何でしょうか?

・妻あるいは夫が傷つくこと?

・子供が傷つくこと?

・誠実な配偶者を裏切ること自体?

・世の中の価値観に背くこと?

 

うっかりテレビを点けっぱなしにしていたら、ワイドショーでは、様々なコメンテーターと称する人たちが、そういう基準で批判を繰り返しています。

でも、常々思うんですが、どうして家族が傷ついているとわかるんですか?なぜ不倫をされた配偶者は誠実だとわかるんですか?何の権限があって世の中の価値観を押し付けるのですか?さらに、メディアでそういう話題を扱う理由は何ですか?

私には、疑問だらけです。

 

想像してみれば、不倫をした人の夫婦関係はもう壊れていたかもしれない。子供だって、そんな親、早く離婚してくれた方がいいと思っているかもしれない。

そうだと言っている訳ではありません。いろいろな場合があると言っているのです。

 

だから、時代に応じて変わっていく世の中の価値観に当てはめては、誰が悪いかを詮索することはやめた方がいい。赤の他人が事情をわかりもせずに非難することも同様です。

 

 

 

不倫が完全にいいことだと言っているのではありません。でも、不倫をした人同士が人生を歩んでいくことだってあるかもしれない。それはダメですか?

私が30代のころ、後輩が結婚しましたが、「できちゃった婚」でした。現在は、言葉自体が死語で、子どもができたから結婚するということに強い拒絶反応を示す人は少ないと思います。でも、当時は違った。

後輩は、周囲からの相当なプレッシャーに晒されていました。

だから、「結婚することができて、よかったね。」と言葉をかけただけで、彼らが、ほっとして、とてもうれしそうだったことを思い出します。

 

人の人生に賛成だとか反対だとかいう意見を持つのは勝手です。でも、第三者がそういうことに首を突っ込んで、わかったようなことを口に出して言う権利はないと思います。夫婦や子供その他の当事者には、それぞれ、その人の繊細な人生があります。

それを、第三者それも「公器」と自称するメディアが、ほじくり返すのは、更に大きな間違いだと思います。

 

 

人と人とのつながりは全て違います。同じように見えても、その濃淡、強弱などあらゆるところが違います。無限のバリエーションとグラデーションがあります。

夫婦関係、家族関係も例外ではないと思います。

個々人の人生も同様です。

 

 

「不倫」という言葉に反応し、無自覚に非難し、その人を傷つける権利など誰にもないと、私は思うのです。

そういうことがわからない想像力の欠如した人が増えたような気がします。

 

 

 

こんなことを考えていたら、無自覚に人を傷つけ、無責任な態度を取ることの問題の大きさを扱うドラマが日本テレビで放送されていました。「最高の教師」(これから見ようとする人もおられると思うので、内容は書きませんが)という番組です。

相手のことをきちんと考えることの大切さを説いています。自分勝手な想像、憶測で人を語ったり、決めつけることを強く戒めています。

とてもいいドラマです。

 

 

 

でも、やっぱり、わからないんですよね。

こんな良いドラマを放送するまさにそのメディアが、不倫の話題を垂れ流している。

 

(コラム)社会的課題を個人の責任にすり替える日本社会

ジャニーズ事務所、大きな問題になっていますね。

やっと、スポンサー企業がCMでのジャニーズタレントの起用を止めるなどの動きになっていますが、現在に至るまでテレビ局はジャニーズ事務者に対して厳しい態度を取れません。

 

見て見ぬふりをしたメディアも同罪だとの指摘も出ていますが、ワイドショーのコメンテーターなどが「報道に携わる人間も反省しなければならない」と述べる程度(*)で、メディアが会社組織として責任を認めるようなことはしていません。

*それでも賞賛されていますが、本当にそれでいいのでしょうか?

 

 

 

日本では、個人の責任追及は苛烈ですが、組織に対する責任追及は非常にゆるくなっています。この国では、個人が組織の批判をすることを嫌い、そういうことをする人間はわがままな人だと評価する風潮があり、それが社会や組織の問題をあいまいにすることに拍車をかけています。

個人からの批判が控えめになるのをいいことに、組織的、社会的問題を個人の問題にすり替えてしまうようなことも、いたるところで行われています。

 

 

 

以前に私がいた職場では、管理職になりたい人が減っていました。

管理職の会議で、その対策を考えるように言われました。会議の結論は「管理職になれば、やりがいも増え、視野も広がることをもっと広く知ってもらうようにする」というようなものだったと記憶しています。

でも、この結論が対策にならないことは明らかです。

管理職になれば、給料はそれほど増えない(残業手当がつかなくて減る場合さえある)のに、仕事が増えるし、やっかいな部下職員の面倒も見なければならない。加えて、組織は上意下達で動くことが増え、管理職の裁量は著しく制限されている。

つまり、管理職というポジションになんの魅力もないから、管理職のなり手が減っている。

対策は、管理職というポジションを魅力のあるものにするという内容でなければなりません。

 

でも、こういう結論は求められていません。

なぜなら、それは「組織の課題」を意味するから。組織が責任を負わなくて済むように個人の問題に帰着させないといけない。だから、「管理職の魅力を広く知ってもらって」個人の自覚を促すという解決法が良いとされる。

組織を批判することを避ける訳です。

 

 

こんな風に文章に書くと、バカみたいですが、社会や組織では大真面目にこういうことが行われています。

ジャニーズの問題もジャニー喜多川や所属タレントだけの問題であるはずがない。様々な観点からすり替えが行われていると感じます。業界全体、関連するスポンサー企業やテレビ局などメディアの問題なのに、何とか逃れようとしている。

 

 

同様なことを仕事探しをしていても、感じました。

職場の人手が明らかに足りないと感じている人は多いと思います。でも、それと比較すると求人は明らかに少ない。働きたい人はいるのに、採用する気がない。

本当に人手が足りないなら、未経験者や他の分野からの転職者も積極的に採用して、トレーニングをしたらいいと思いますが、そんなことを考えている企業はまずありません(一部の人手不足が深刻な業界では、先鞭をつける企業が現れていますが)。同じ業界の経験者ばかりを求める。

人は増やさない、経験者しか採用しないという従来の慣行を変えようとしない。

これは、社会組織の問題で、個人の問題ではありません。

 

でも、「人手が足りないのに、就職先がない。」という社会としての問題を、求職者個人の問題にすり替えています。

転職者や求職者に対して、「あなたは自分の市場価値をわかっていない。だから採用されない。」と語る言説は多いです。おそらく企業の人事担当者やコンサルタントの方が言ったり書いたりしている。

でも、わかっていないのはどっちなのか?

 

 

私は、現在の労働市場を直に体験してみましたが、「人手が足りないのに、求人がない」という労働市場の問題点について、「当たり前じゃないか。」「ぜいたくな条件を求めるからだ」と言う人にも多く出会いました。

社会や組織を批判することを無意識に避けているような印象を強く持ちました。

 

 

物事を本質的に理解するためには批判的検討が不可欠です。人間が進歩しようとすれば、現状を冷静に批判的に分析して、その上で現状を変えたり、問題点に対する対策を考えることが必要です。個人が批判的に物事を検証し、意見を言うということができない日本は、失われた20年が30年になり、更に続こうとしています。