スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

「人は存在することに価値がある」と言うために ~不幸、被害者、弱者と思いこむ問題点~

人は存在するだけで価値がある。

それはどんな人でも人生の中で、人に安心感を与えているからではないかと前の記事で書きました。そして、多くの安心感を与えるためには、人生を誠実に生きる姿勢、寛容さがあることが大切だとも書きました。

 

 

反対に、自分で自分の価値を損なうような生き方もあると思います。

自分を「不幸」とか「被害者」とか「弱者」と決めつけて、相手への寛容さを失っていく態度を持つことだと思います。

 

現代社会では、マイノリティや社会的弱者に対して最大限の配慮をするような方向に動いています。そのこと自体は、とてもよいことだと思います。

ただ、そういう場合に、自分をマイノリティや弱者だと言い募り、配慮を要求する人が一定数は必ず出てきます。そのことの弊害は、思いのほか大きく、仕事をしていても必要な配慮の範囲を超えて「自分は弱者なので、人がやって当たり前。」という人が増殖し、職場の仕事が回らなくなったりします。社会の流れに乗っかって、そこから利益だけを得ようとする人です。

 

 

でも、よく考えてみると、自分自身をマイノリティや弱者、被害者と決めてしまって要求ばかりをする態度は社会的な弊害があるほかに、実は、その人自身に対して大きなしっぺ返しをしているように思います。

そういうメンタリティが自分自身を痛めつけます。

「自分は弱者なのに、・・・」というのが口癖や考え方の癖になってくると、人に感謝できない、寛容でない人になってしまい、自分自身が苦しくなってしまう。

職場にいたころ、周囲に迷惑をかける人たちを見て、痛感しました。

 

hatasan2.net

 

配慮が行き届かない人、そういう社会に対して正当な要求をすることは、最大限尊重されるべきだと思います。でも、それを超えた要求をしたり、要求をするメンタリティに足を取られてしまうのは感心できないと思います。

 

 

浅田次郎さんの「おもかげ」という小説があります。

主人公は捨て子でした。

死を目前にしたとき頭の中を過去がめぐり、人生の幸福を再認識する。

 

涙を流しながら読みました(ああ、かっこわる!)。

 

主人公は、周囲から「親がいないから」という目で見られることを頑なに拒みます。「親がいないから」という見方は、その中に「不幸」という感覚が含まれます。

そのことを意固地なまでに拒絶して「自分は不幸ではない」と突っ張って生きることは安楽ではありません、

でも、そういう問題に真正面から対決してきた人生の終わりに、主人公が出会う幸せが見事に描かれていました。

 

 

結局、人生における損得は、目先の利害得失とは一致しません。

自分自身の経験からも、自分にとっての逆境が最も自分を成長させ今の幸せにつながっていると思います。今が幸せであればそれに感謝し、そうでなければ今が将来の幸せにつながることを意識して生きていけたらいいなと思います。

 

 

 

倍賞千恵子さん主演の「プラン75」という映画を見て、本当にいろいろなことを考えました。3回にわたって書き連ねてきましたが、これからも更に考えを深めていきたいと思います。

 

「人は存在することに価値がある。」ということの意味 ~映画「プラン75」が提示する価値~

「人は存在すること自体に価値がある」と言われることがあります。

「もともと特別なオンリーワン」(SMAP世界に一つだけの花)という歌もあるし、心理学では「人と比較して優れているからではなく、あなた自身の価値に気づきなさい」という言説もある。

なんとなく、わかったような雰囲気にはなりますが、でもわからない!

 

 

「自分は自分しかいなくて、他人と比べる必要はない」という歌や学問的説明は「存在することの価値」そのものを説明している訳ではありません。それを聞いても、だから「存在することの価値」とは何だろうという問いに戻ってきてしまいます。

理屈っぽいですかね。(笑)

 

 

 

「プラン75」という映画を見て、高齢者の価値について考えさせられました。自分もそう遠くない時期に75歳になります。あと17年。

 

 

 

市場価値という言い方があって、高齢者には市場価値がない。

嫌な言葉ですが、経済的な視点から見るとそうなのでしょうか。

(そのこと自体、疑問を感じるところもありますし、学問的な場面はともかくとして、採用担当者などがそういう言葉を人に投げつけること自体どうかと思いますが、ここでは論じません。)。

 

確かに、75歳以上の人は、判断力、体力など若い人についていけないし、経済的な視点から見れば、消費ばかりしていて、生産性はほとんどない。

経済的、社会的に、高齢者には価値がないというのが、今の社会一般の常識です。

 

 

姥捨て山という昔話があって、老人の知恵が村を救ったり、老人の思いやりが深かったりで、やっぱり老人にも価値があるという教訓になっています。

ただ、これを現代社会に置き換えてみると、老人の知恵はネットで代用できるし、老人が増えて、それとともに思いやりのない老人も増えている。若い人の中には、老人を「きたない」と言う人すらいる。

これじゃあ、やっぱり老人には価値がないということになるのか?

 

 

結局、昔話をもってしても、現代社会で通用するのは、「倫理的に老人を大事にしなくてはならない」ということしか残らない。だから、倫理なんて知ったこっちゃないという若者(若者に限りませんが)からしたら、老人には価値がないということになる。

直感的には「そんな滅茶苦茶な!」とも思いますが、現代社会においては、これは極論ではないような気もします。誰しも、そういう価値観を心の中に持っているのではないでしょうか。だからこそ、度を越して、歳を取りたくないと感じて、アンチエイジングにまい進する。

 

 

 

話を戻します。

それでも、存在することの価値ってなんなんでしょう。

 

一つ考えられるのは、例えば、親は子供にとって安心感のよりどころです。歳を取ってからも、親が生きているということだけで安心します。

親子の間でなくても、恋人同士や他人でも尊敬する人、共感を感じる人など、その人が存在する(いる)ことだけで安心することがあります。

個人的な経験からも、職場の同期だった人と死別した時、大きな喪失感を感じたものです。その人とは仲は良かったけれど、いつも一緒にいるという訳でもなく、そんなに強い感情を感じたことに驚いたりもしました。

人は、自分が思っている以上に、他の人の支えになっている。

 

人に安心感を与えるということが、存在することの価値なのではないでしょうか。

 

そういう「人から得られる安心感」に気づかない社会は、本当に殺伐とした社会です。

 

 

では、人として存在することの価値を持つために大切なことは何でしょうか。

それは、「優しさ」、「慈悲の心」、「寛容さ」、言い方はいろいろありますが、人を肯定的に受け入れ、その人の拠り所になることのできる姿勢だと思います。

 

 

映画プラン75では、身寄りのない老人を倍賞美津子さんが演じています。

「身寄りのない老人」は、経済的にはもちろん社会的にも無価値。身寄りがなく親しい友達とも死別してしまっているから、一見誰かの心の拠り所になっている訳でもない。だから、社会から拒絶され死を選ぶことを暗黙のうちに強要されます。

 

でも、映画では、主人公と「少し」関わった人たちが、主人公の死に「大きな」疑問を感じます。

 

hatasan2.net

 

映画の主人公は、どんどんできないことが増え、社会から拒絶され、仲間も失い、それでも前向きな姿勢で生きて行こうとしていました。拒絶されても、人に対して誠実な態度で接し、人を心配し、人に感謝し、人を受け入れます。

そういう姿勢そのものに価値があるということだと思います。

それが、「少し」関わっただけの人にさえ、実は大きな影響を与えている。

 

そう考えれば、自分自身が存在することの価値を理解できるし、自分の存在することの価値を高めていくこともできる。

そんな風に考えて、今後の人生を送って行こうと思っています。

 

人間の価値とは何か。 ~映画「プラン75」の倍賞千恵子さんを見て~

年金問題少子高齢化など、連日のようにニュースで取り上げられています。

 

少子化の裏返しとして高齢者が溢れる。

少子化をなんとかしなければ」という世の中の雰囲気とともに、高齢者に風当たりが強くなっているように思うのは私だけでしょうか。高齢者は事故率が高い。高齢者は歩くのが遅く道の真ん中で立ち止まる。話を聞かないし、クレーマーもいる。

 

人がこんなに長生きをしなかった時代は、高齢者は長老として敬われ大切にされていました。でも、今や、街には高齢者が溢れ、邪魔者のように扱われる。

 

 

そういう時代背景で「プラン75」という政策が実行されるという映画です。

倍賞美津子さん主演で、国民は75歳になると自ら生死を選択することができる法律が成立した。主人公は、まだまだ働く意欲もあり一緒に趣味を楽しむ友人もいて、前向きに人生を送っていたのですが、友人も様々な事情から去っていき、失業を契機に世の中から拒絶されていきます。

倍賞さん演じる主人公は、結局、死ぬことを選びますが、役所の担当者、心理的なサポート担当者などプラン75を支える立場の人が疑問を感じて・・・。

 

 

作品の底に流れるのは高齢者を不要とする社会の暗黙の前提です。

こんな社会になったら怖いな・・・と思いながら見ていたのですが、ふと気づきました。既に高齢者を不要と考える社会になっているのではないか。法律はないけれど、国民の心の中にプラン75があるのではないか。

 

 

正面から「高齢者は不要」とは言いません。

でも、定年延長、総活躍社会などの政策から伺われるのは、働けない高齢者は要らないという価値観のような気がします。

 

働くから価値があるのではなく、存在自体に価値があるということを、再認識する必要があるのではないかと思います。働く場など経済的な場面だけではなく、生きていく中での具体的な価値とは何か、考えさせられる映画でした。

 

ラストシーンが大きな解決を暗示しているような気がしました(とてもいいシーンだと思いました。)。

 

 

菜の花の黄色って綺麗だと思いませんか。

理由はわからないのですが、菜の花が好きです。

食べるのも、見るのも。

 

 

そろそろスーパーでも菜の花が売り場に並ぶようになりました。

シンプルに、お浸しにして、鰹節をかけて、醤油で食べるのがいい。微妙な苦みがなんともいえず、色合いもチラッと見える黄色が食卓に彩を添える。きっと、ダイエットにもいいに違いない。

 

 

以前は鉢植えを買ってきたこともあります。

切り花もそろそろ花屋で売られるはず。

濃い黄色が本当にきれいです。更に、菜の花は、結構長い期間楽しめます。

 

 

 

退職をして、仕事をしていない状態で迎える初めての春です。

 

思い立って、河津桜と菜の花の有名な神奈川県足柄上郡松田町の「まつだ桜まつり」に行ってきました。運が良ければ、河津桜、菜の花、富士山のスリーショットが見られるはずだったのですが、残念ながら富士山は見えませんでした。(残念)

 

それでも、濃い黄色と負けじと濃いピンクがきれいでした。へたくそな私の写真でも十分きれいなことがわかるのではないかと思います!

 

 

平日だったので、あまり人はいないかと思っていましたが、すごい人出でした。山の斜面を登っていくのですが、駅から中腹の辺りまで何キロも人の列。

駅のシャトルバス乗り場は、大変な混雑でした。

 

 

でも、気温は低いけれど、風はなく、南斜面に日が射して、この世の極楽でした。

帰りには、駅近くの中沢酒造で日本酒を購入。帰ってから、菜の花をつまみに飲むことにしました。

また、たまには一輪挿しに菜の花を挿してみようかとも思っています。

 

よい一日でござった。

退職後の食生活について ~まごはやさしいメニュー~

早期退職をしてからやる事は尽きませんが、規則正しい生活を心がけて運動をするほか、食事にも気を使うようにしています。

 

現在は、ダイエット効果も期待して、「まごはやさしい」のメニューで食事をするようにしています。ただし、できる限り手間を省くため、週に2~3回作り置きのおかずを作ってストックして、これを活用するようにしています。

 

 

今日の朝食は、こんな感じです。

 

ご飯の他は、

・鶏肉とキャベツ、ニラの塩鍋に豆腐、しめじを入れたスープ

・納豆

・ゆでブロッコリー、じゃがいも、れんこん、鯖の塩焼き、焼き海苔

 

ま(豆) ⇒ 納豆、豆腐

ご(ごま) ⇒ すりごま(ブロッコリーにマヨネーズとともにかけました。)

わ(わかめ) ⇒ 焼き海苔

や(野菜) ⇒ ブロッコリー、れんこん、キャベツ

さ(魚) ⇒ 鯖の塩焼き

し(しいたけ) ⇒ しめじ

い(いも) ⇒ じゃがいも

 

といったラインナップです。

 

 

ブロッコリーは、ゆでただけ。

じゃがいもは、ラップに包んで3分レンジで温めたものにバターを載せています。

れんこんは、皮はむかず、切ったものに塩コショウをして、ニンニク、オリーブ油で炒めてます。

鯖の塩焼きは、昨日焼いたものを3等分にしています。

この4つは、超簡単作り置きです。

 

スープは、昨日鶏肉とキャベツの塩鍋を作ったので、そこに朝、豆腐としめじを投入しました。

 

これに、焼き海苔と、納豆で、できあがりです。

 

 

 

朝食と言いましたが、外出しない時は、一日1食か2食にすることが多いです。

これ以外に、コーヒーと甘いものをおやつに食べます。

 

 

家にいるときは、こんな感じで、外食の際は全く制限を設けず、おいしそうなものを楽しみます。

 

 

 

仕事をしている時は普通に肉食で、退職してからは運動をしつつ食事の量をやや抑えめにしていたのですが、体重はやや増加傾向、体形の変化を感じたので、年明け位に食生活を見直しました。1カ月で、約2キロ減量に成功です。

 

食生活も、淡々と楽しんでいきます。

 

hatasan2.net

 

正しさを人に押し付ける態度について ~メディアが「大衆(オルテガ)」にならないために~

JAXAのH3ロケットの打ち上が、直前に異常が検知され中止となりました。

 

これが、共同通信(およびその配信記事を使ったメディア)では「失敗」と報じられました。

記者会見で「失敗」と認めないJAXAの担当者の態度が頑なだとして、共同通信社の記者はいら立ち、最後は「それを一般に失敗と言う」との言葉を投げつけて質問を終えたのです。

 

これに関してはネット等でも相当のリアクションがあり、記者の態度を批判する人も多いです。

 

 

今回の出来事が失敗だったのかどうかを詳細に検討することは、ここではやめますが、最近気になるのは自分の価値観を他人に押し付ける記者の傲慢さです。

「それを一般に失敗と言う」という価値観は明らかに偏っています。「一般」と言われて、「えっ?俺は違うけど」と思った人は多いのではないでしょうか。

だからこそ、ネットでも批判が巻き起こった。

 

 

記者なり、共同通信社がその責任の下、「失敗」と評価するのであれば、それは「あり」だと思います。でも、素人である記者なり通信社が、ロケット打ち上げのような専門分野について「失敗」と判断することは難しいでしょう。

それなのに、「失敗」と書きたいから、「失敗」と言わせようとする。素人である記者の頭の中には「失敗だ」という思い込みによる価値観が先行していて、それを専門家である担当者に押し付けようとしている。

 

私も素人ですが、ごく控えめに言って、「具体的な原因究明は今から」というのですから、失敗かどうかなんて、わかるはずもないと思ってしまいます。

 

 

一定の価値観を正しいと思い込んで相手に対して不寛容になることは控えた方がいいと思います。

 

 

 

スペインの社会学者、哲学者のオルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」という本を大学自体に読もうとしました。

「読もうとした」というのは、難しくて読んだとまでは言えないという負い目があるからですが、この本には極めて印象に残るフレーズが多く出てきます。

「現代の大衆の特徴は、自分を凡俗であると認めながら、凡俗であることを大胆に主張して、凡俗さを権利として相手に押し付ける」というようなことを言っていたと記憶しています。

素人が「これが正しい」という価値観を、人に投げつける様子と重なります。

 

 

もしも、記者が「失敗」だと判断するのであれば、自らも専門家並みに勉強した上、コラムなどで意見を開陳したらいいでしょう。少なくとも相当数の人が聞く耳を持つくらいの説得力のあるコラムを書けるのであれば、是非書いてほしいと思います。

 

「大衆の反逆」には、確か「エリートとは、自分自身に義務を課すことのできる人」ということも書かれていました。

メディアに属する人たちは、情報を国民に提供するという重要なポジションに身を置いています。自分自身が自らに対して、他の人に寛容であるという義務を課すことを考えてはどうでしょうか。

 

 

私は、報道対応をする部署で働いていたことがあります。

その際、いろいろな記者の方とのやり取りも経験しました。腹を割ったやり取りをして、こちらの説明の真意をきちんと汲み取ってもらったこともありますし、批判的な記事になったこともあります。どちらも貴重な経験だったと思います。

その際、記者が記事を作っていく過程に触れただけでも、記者の仕事の難しさを感じることができました。

すべてについて専門家ではない記者が、限られた時間の中で対象者に取材をして国民に伝えるべきことを紡いでいく作業というのは、本当に大変だと思いました。

マスメディアで働く人の多くは、尊敬に値する立派な人だと信じるに足りる経験だったと思います。一律にメディアを批判するつもりはありません。

 

 

でも、だからこそ、今回のような価値観を押し付けるようなことは自重して、他者に寛容な姿勢を貫きながらも、本質を突いた記事を配信してほしいと切に願います。

 

hatasan2.net

 

和三盆糖の魅力 ~ダイエットの御供???~

50代半ばから体重はさほど変わらなくても、体形が変化するのを感じるようになりました。

退職を機に、体を絞ろうと思い立ちました。

 

身体を絞る方法としては、「食事よりも運動」を主に考えました。

歩くのは嫌いではないし、テニスも大好きで定期的にやっている。加えて、退職とともにランニングを取り入れたので、すぐに体重も落ちてきて体も絞れてくるだろうと考えていましたが、現実は違いました。

数か月試しても、全然、変わらない。

40代までは相当の効果のあった方法が、全く通用しない。

 

 

運動中心のダイエットに限界を感じて、年明け頃から1か月ほど、「あまり気が乗らないけど食事に関しても何か手を打つ必要があるかなあ」と考え始めました。

それまでは、基本的には肉、野菜をバランスよく食べるというくらいで、それほど食事に気を使ってはいませんでした。

 

ネットで調べたり、本を読んだりして、情報を収集しました。

すると、さすがにダイエット関係については情報が多く、何が正解なんだか混乱するばかり。それでも、一応の方針として、「これだけ食べれば痩せる」とか「これを摂らないようにしたらやせる」というダイエットはやめることとしました。

理由は、バランスが悪くなるから。「化学物質=悪」みたいなことが書かれている物も見ましたが、それもやめました。現代社会でそれは不可能だし。

 

逆に、バランスよく栄養を摂ることを前提としていて、なおかつ難しくない方法を探したら、なんとか見つかりました。「図解 ダイエットは運動1割、食事9割 」(森 拓郎  (著))という本で紹介されていました。

 

食事については、よく言う「まごはやさしい」を基本にすることなどが書かれています。詳細は書籍に譲ります。

 

 

 

肉、野菜を中心とした食生活から、魚、いも、やさい等をバランスよく摂る食事に転換してみました。

現時点でメリットを感じているのは以下のようなところです。

 

1 バランスよく栄養が摂れる。

 ま ⇒ 豆

 ご ⇒ ごま

 わ ⇒ わかめ

 や ⇒ 野菜

 さ ⇒ 魚

 し ⇒ しいたけ

 い ⇒ いも

7種類のカテゴリーの食材を摂るようにすると、当然、食事のバランスはよくなります。当たり前です。

 

2 コストが下がる。

7種類もの食材を買い求めるとなると食費がかさむのではないかと思っていましたが、そうでもありませんでした。肉と魚を比べると、圧倒的に肉が安いのですが、7種類の食材を食べることを意識すると、少量を数回に分けて食べることになるので、却って安くすみました。

ごまとか、わかめは、長期保存ができて経済的な食材ですし。

 

3 手間がかからなくなった。

意外だったのは、手間が減ったこと。

何種類もの食材を料理しないといけないから、めんどくさいかなと思っていましたが、7種類の食材を使った料理を1回で食べきることは不可能なので、数回に分けて食べることになります。魚もそうですし、野菜、いもなども同様です。

魚1尾、ほうれん草1把、さつまいも1本、・・・とかって1度には食べきれません。

自然と、1度作った物を何回かに分けることになり、手間が少なくなりました。

油での調理が少なくなり、掃除が楽になるという特典もありました。

 

結構いいことばかりです。和か洋かということになれば、和に傾きますが、そういう食事が嫌いということでもなければ、おすすめです。

 

 

 

運動はこれまでどおり続けて、食事を「まごはやさしい」方式に変えてから1カ月、体重は減少傾向です。2キロほど減りました。寒い時期で、運動はできないことも多かったので、体重減少の原因は食事だと考えられます。

 

 

 

ついでですが(でも、ここが重要なのかもしれませんが)、食事の内容を変えた当初は何となく物足りない感じがして、チョコとかアイスとか甘いものをよく食べていました。おっさんのくせに。

直感的に、「これってよくないよなあ」と思っていたところ、いいものに出会いました。

 

六本木にある和菓子屋さん、青野総本店の「干菓子(打ち菓子) 和三盆糖製 」がおいしい。和三盆糖のふわっといたあまさの塊が、口の中ですっと溶けていきます。

もちろん、たくさん食べたらチョコと同じなのかもしれませんが、高級感があってがっついて食べるようなものではないから、少量で済みます。

私は、コーヒーと共に1個か2個食べますが、これがぜいたくな時間になります。

これで1個30円。(笑)

干菓子(打ち菓子) 和三盆糖製 サービスケース 青白(緑白)くす玉(20入) | ばら売り | | 和菓子の老舗 東京 六本木・麻布 青野総本舗 (makeshop.jp)

 

ぜいたくな時間を味わいながら、和のダイエットを続けてみたいと思います。