スタイルのある生活~早期退職50代男子ハタさんの試行錯誤~

公務員を退職するに至る経緯からその後の生活まで

菜の花の黄色って綺麗だと思いませんか。

理由はわからないのですが、菜の花が好きです。

食べるのも、見るのも。

 

 

そろそろスーパーでも菜の花が売り場に並ぶようになりました。

シンプルに、お浸しにして、鰹節をかけて、醤油で食べるのがいい。微妙な苦みがなんともいえず、色合いもチラッと見える黄色が食卓に彩を添える。きっと、ダイエットにもいいに違いない。

 

 

以前は鉢植えを買ってきたこともあります。

切り花もそろそろ花屋で売られるはず。

濃い黄色が本当にきれいです。更に、菜の花は、結構長い期間楽しめます。

 

 

 

退職をして、仕事をしていない状態で迎える初めての春です。

 

思い立って、河津桜と菜の花の有名な神奈川県足柄上郡松田町の「まつだ桜まつり」に行ってきました。運が良ければ、河津桜、菜の花、富士山のスリーショットが見られるはずだったのですが、残念ながら富士山は見えませんでした。(残念)

 

それでも、濃い黄色と負けじと濃いピンクがきれいでした。へたくそな私の写真でも十分きれいなことがわかるのではないかと思います!

 

 

平日だったので、あまり人はいないかと思っていましたが、すごい人出でした。山の斜面を登っていくのですが、駅から中腹の辺りまで何キロも人の列。

駅のシャトルバス乗り場は、大変な混雑でした。

 

 

でも、気温は低いけれど、風はなく、南斜面に日が射して、この世の極楽でした。

帰りには、駅近くの中沢酒造で日本酒を購入。帰ってから、菜の花をつまみに飲むことにしました。

また、たまには一輪挿しに菜の花を挿してみようかとも思っています。

 

よい一日でござった。

退職後の食生活について ~まごはやさしいメニュー~

早期退職をしてからやる事は尽きませんが、規則正しい生活を心がけて運動をするほか、食事にも気を使うようにしています。

 

現在は、ダイエット効果も期待して、「まごはやさしい」のメニューで食事をするようにしています。ただし、できる限り手間を省くため、週に2~3回作り置きのおかずを作ってストックして、これを活用するようにしています。

 

 

今日の朝食は、こんな感じです。

 

ご飯の他は、

・鶏肉とキャベツ、ニラの塩鍋に豆腐、しめじを入れたスープ

・納豆

・ゆでブロッコリー、じゃがいも、れんこん、鯖の塩焼き、焼き海苔

 

ま(豆) ⇒ 納豆、豆腐

ご(ごま) ⇒ すりごま(ブロッコリーにマヨネーズとともにかけました。)

わ(わかめ) ⇒ 焼き海苔

や(野菜) ⇒ ブロッコリー、れんこん、キャベツ

さ(魚) ⇒ 鯖の塩焼き

し(しいたけ) ⇒ しめじ

い(いも) ⇒ じゃがいも

 

といったラインナップです。

 

 

ブロッコリーは、ゆでただけ。

じゃがいもは、ラップに包んで3分レンジで温めたものにバターを載せています。

れんこんは、皮はむかず、切ったものに塩コショウをして、ニンニク、オリーブ油で炒めてます。

鯖の塩焼きは、昨日焼いたものを3等分にしています。

この4つは、超簡単作り置きです。

 

スープは、昨日鶏肉とキャベツの塩鍋を作ったので、そこに朝、豆腐としめじを投入しました。

 

これに、焼き海苔と、納豆で、できあがりです。

 

 

 

朝食と言いましたが、外出しない時は、一日1食か2食にすることが多いです。

これ以外に、コーヒーと甘いものをおやつに食べます。

 

 

家にいるときは、こんな感じで、外食の際は全く制限を設けず、おいしそうなものを楽しみます。

 

 

 

仕事をしている時は普通に肉食で、退職してからは運動をしつつ食事の量をやや抑えめにしていたのですが、体重はやや増加傾向、体形の変化を感じたので、年明け位に食生活を見直しました。1カ月で、約2キロ減量に成功です。

 

食生活も、淡々と楽しんでいきます。

 

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正しさを人に押し付ける態度について ~メディアが「大衆(オルテガ)」にならないために~

JAXAのH3ロケットの打ち上が、直前に異常が検知され中止となりました。

 

これが、共同通信(およびその配信記事を使ったメディア)では「失敗」と報じられました。

記者会見で「失敗」と認めないJAXAの担当者の態度が頑なだとして、共同通信社の記者はいら立ち、最後は「それを一般に失敗と言う」との言葉を投げつけて質問を終えたのです。

 

これに関してはネット等でも相当のリアクションがあり、記者の態度を批判する人も多いです。

 

 

今回の出来事が失敗だったのかどうかを詳細に検討することは、ここではやめますが、最近気になるのは自分の価値観を他人に押し付ける記者の傲慢さです。

「それを一般に失敗と言う」という価値観は明らかに偏っています。「一般」と言われて、「えっ?俺は違うけど」と思った人は多いのではないでしょうか。

だからこそ、ネットでも批判が巻き起こった。

 

 

記者なり、共同通信社がその責任の下、「失敗」と評価するのであれば、それは「あり」だと思います。でも、素人である記者なり通信社が、ロケット打ち上げのような専門分野について「失敗」と判断することは難しいでしょう。

それなのに、「失敗」と書きたいから、「失敗」と言わせようとする。素人である記者の頭の中には「失敗だ」という思い込みによる価値観が先行していて、それを専門家である担当者に押し付けようとしている。

 

私も素人ですが、ごく控えめに言って、「具体的な原因究明は今から」というのですから、失敗かどうかなんて、わかるはずもないと思ってしまいます。

 

 

一定の価値観を正しいと思い込んで相手に対して不寛容になることは控えた方がいいと思います。

 

 

 

スペインの社会学者、哲学者のオルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」という本を大学自体に読もうとしました。

「読もうとした」というのは、難しくて読んだとまでは言えないという負い目があるからですが、この本には極めて印象に残るフレーズが多く出てきます。

「現代の大衆の特徴は、自分を凡俗であると認めながら、凡俗であることを大胆に主張して、凡俗さを権利として相手に押し付ける」というようなことを言っていたと記憶しています。

素人が「これが正しい」という価値観を、人に投げつける様子と重なります。

 

 

もしも、記者が「失敗」だと判断するのであれば、自らも専門家並みに勉強した上、コラムなどで意見を開陳したらいいでしょう。少なくとも相当数の人が聞く耳を持つくらいの説得力のあるコラムを書けるのであれば、是非書いてほしいと思います。

 

「大衆の反逆」には、確か「エリートとは、自分自身に義務を課すことのできる人」ということも書かれていました。

メディアに属する人たちは、情報を国民に提供するという重要なポジションに身を置いています。自分自身が自らに対して、他の人に寛容であるという義務を課すことを考えてはどうでしょうか。

 

 

私は、報道対応をする部署で働いていたことがあります。

その際、いろいろな記者の方とのやり取りも経験しました。腹を割ったやり取りをして、こちらの説明の真意をきちんと汲み取ってもらったこともありますし、批判的な記事になったこともあります。どちらも貴重な経験だったと思います。

その際、記者が記事を作っていく過程に触れただけでも、記者の仕事の難しさを感じることができました。

すべてについて専門家ではない記者が、限られた時間の中で対象者に取材をして国民に伝えるべきことを紡いでいく作業というのは、本当に大変だと思いました。

マスメディアで働く人の多くは、尊敬に値する立派な人だと信じるに足りる経験だったと思います。一律にメディアを批判するつもりはありません。

 

 

でも、だからこそ、今回のような価値観を押し付けるようなことは自重して、他者に寛容な姿勢を貫きながらも、本質を突いた記事を配信してほしいと切に願います。

 

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和三盆糖の魅力 ~ダイエットの御供???~

50代半ばから体重はさほど変わらなくても、体形が変化するのを感じるようになりました。

退職を機に、体を絞ろうと思い立ちました。

 

身体を絞る方法としては、「食事よりも運動」を主に考えました。

歩くのは嫌いではないし、テニスも大好きで定期的にやっている。加えて、退職とともにランニングを取り入れたので、すぐに体重も落ちてきて体も絞れてくるだろうと考えていましたが、現実は違いました。

数か月試しても、全然、変わらない。

40代までは相当の効果のあった方法が、全く通用しない。

 

 

運動中心のダイエットに限界を感じて、年明け頃から1か月ほど、「あまり気が乗らないけど食事に関しても何か手を打つ必要があるかなあ」と考え始めました。

それまでは、基本的には肉、野菜をバランスよく食べるというくらいで、それほど食事に気を使ってはいませんでした。

 

ネットで調べたり、本を読んだりして、情報を収集しました。

すると、さすがにダイエット関係については情報が多く、何が正解なんだか混乱するばかり。それでも、一応の方針として、「これだけ食べれば痩せる」とか「これを摂らないようにしたらやせる」というダイエットはやめることとしました。

理由は、バランスが悪くなるから。「化学物質=悪」みたいなことが書かれている物も見ましたが、それもやめました。現代社会でそれは不可能だし。

 

逆に、バランスよく栄養を摂ることを前提としていて、なおかつ難しくない方法を探したら、なんとか見つかりました。「図解 ダイエットは運動1割、食事9割 」(森 拓郎  (著))という本で紹介されていました。

 

食事については、よく言う「まごはやさしい」を基本にすることなどが書かれています。詳細は書籍に譲ります。

 

 

 

肉、野菜を中心とした食生活から、魚、いも、やさい等をバランスよく摂る食事に転換してみました。

現時点でメリットを感じているのは以下のようなところです。

 

1 バランスよく栄養が摂れる。

 ま ⇒ 豆

 ご ⇒ ごま

 わ ⇒ わかめ

 や ⇒ 野菜

 さ ⇒ 魚

 し ⇒ しいたけ

 い ⇒ いも

7種類のカテゴリーの食材を摂るようにすると、当然、食事のバランスはよくなります。当たり前です。

 

2 コストが下がる。

7種類もの食材を買い求めるとなると食費がかさむのではないかと思っていましたが、そうでもありませんでした。肉と魚を比べると、圧倒的に肉が安いのですが、7種類の食材を食べることを意識すると、少量を数回に分けて食べることになるので、却って安くすみました。

ごまとか、わかめは、長期保存ができて経済的な食材ですし。

 

3 手間がかからなくなった。

意外だったのは、手間が減ったこと。

何種類もの食材を料理しないといけないから、めんどくさいかなと思っていましたが、7種類の食材を使った料理を1回で食べきることは不可能なので、数回に分けて食べることになります。魚もそうですし、野菜、いもなども同様です。

魚1尾、ほうれん草1把、さつまいも1本、・・・とかって1度には食べきれません。

自然と、1度作った物を何回かに分けることになり、手間が少なくなりました。

油での調理が少なくなり、掃除が楽になるという特典もありました。

 

結構いいことばかりです。和か洋かということになれば、和に傾きますが、そういう食事が嫌いということでもなければ、おすすめです。

 

 

 

運動はこれまでどおり続けて、食事を「まごはやさしい」方式に変えてから1カ月、体重は減少傾向です。2キロほど減りました。寒い時期で、運動はできないことも多かったので、体重減少の原因は食事だと考えられます。

 

 

 

ついでですが(でも、ここが重要なのかもしれませんが)、食事の内容を変えた当初は何となく物足りない感じがして、チョコとかアイスとか甘いものをよく食べていました。おっさんのくせに。

直感的に、「これってよくないよなあ」と思っていたところ、いいものに出会いました。

 

六本木にある和菓子屋さん、青野総本店の「干菓子(打ち菓子) 和三盆糖製 」がおいしい。和三盆糖のふわっといたあまさの塊が、口の中ですっと溶けていきます。

もちろん、たくさん食べたらチョコと同じなのかもしれませんが、高級感があってがっついて食べるようなものではないから、少量で済みます。

私は、コーヒーと共に1個か2個食べますが、これがぜいたくな時間になります。

これで1個30円。(笑)

干菓子(打ち菓子) 和三盆糖製 サービスケース 青白(緑白)くす玉(20入) | ばら売り | | 和菓子の老舗 東京 六本木・麻布 青野総本舗 (makeshop.jp)

 

ぜいたくな時間を味わいながら、和のダイエットを続けてみたいと思います。

プロフェッショナリズムとヒューマニズムの境界線 ~上級国民の逮捕について~

仕事をしていた時、職場の窓口に年配の男性がいらっしゃいました。

私のところに来て「大変お世話になりました。さきほどすべて片づけてきました。」と御礼を言われたのですが、とっさに何のことかわからず、「それは、よかったですね。」と適当な受け答えをしてしまったことがありました。

男性が帰られてからしばらくして、「ああ、あの件か」と思い出したのですが、とても残念で自分で自分が情けない気持ちがしたものです。

 

今でもその方のお気持ちはありがたいと思います。そういう気遣いが人として本当に大切であることは疑いのないところであって、それを機会に改めて自分自身を戒めようと思いました。

 

他方で、考えたことがあります。

どんな仕事であっても、いろいろな「やらなければならないこと」を抱えています。だから、一つ一つ覚えてはいられないという側面も不可避的にあります。

 

 

 

刑事ドラマや映画であれば、捜査対象の犯罪者や目の前の被害者に100%向き合い、人生の深みにまで立ち入って事件を解決する。医療ドラマであれば、患者や親族、場合によっては遺族の立場や心情にまで最大限配慮していく。そういう理想形が提示されています。

ただ、実際の仕事では、それは不可能です。

それにもかかわらず、ドラマや映画を超えて、ネットやメディアで、そういう不可能なことを要求している場合があります。

 

 

 

悲惨な交通事故の加害者を逮捕しなかったことについて、「上級国民だから」などと批判が声高になされて日本社会自体が通常の国民をないがしろにしているような報道が繰り返されたことがあります。

でも、「逮捕」というのは「処罰」ではありません。必要性が無ければできないのです。だからこそ、令状を取る必要もあります。

警察は、多くの他の交通事故と同様に事件を処理しただけだと思います。

 

この時の警察の判断は、全く間違っていなかったと思われます。ワイドショーなどでも、弁護士さんなどがそういう説明をしておられました。

しかし、誰も聞く耳を持っていませんでした。

 

 

多くの人は、それでは気が済まなかったのです。

悪い者が野放しにされる。ヒューマニズムの観点からは許しがたい。

 

 

しかし、考えなければならないのは、犯罪捜査、医療などに限らず、仕事にはその目的があるということです。

例えば、捜査の目的は「犯罪を立証すること」です。

犯罪を立証するために必要であれば逮捕は認められますが、現場の警察官が被害者がかわいそうだからという理由で、犯罪者を逮捕することはできません。当然のことながら、これは日々仕事をしている警察官には叩き込まれています。

それが、プロフェッショナルとしてとても大切なことだと思います。自分の立場をわきまえ、自分に課された仕事をする。

プロフェッショナリズムは、なんとなく第三者を満足させるためにあるものではありません。

 

それに対して、ヒューマニズムは優しさや労りの心を多くの人で共有することを目指すものです。

 

 

 

 

自分自身の体験に戻りますが、私がその男性のことを覚えていなかったのは、多くの仕事の中で、その方に関する仕事は既に終わったものだったからです。だから、覚えていなかったことに関して、落ち度があったとは全く思っていません。

けれども、他方で、その方が御礼を言いに来てくれたことは、その後の私の仕事へのモチベーションを大きく高めたことは間違いありません。また、人としてのそういう姿勢は、今でも私に影響を与えています。

 

 

私が就職するよりも前の小説ですが、プロフェッショナリズムとヒューマニズムの境界線を題材にしたものがあります。渡辺淳一さんの「白き手の報復」という短編集の中の「少女の死ぬ時」という作品です。

古い作品で、読み返したいと思って図書館で探したのですが無く、アマゾンでも中古で入手するしかありませんでした。

異論もあるかもしれませんが、ヒューマニズム一辺倒の今の世の中だからこそ、とても考えさせられる作品だと思います。

 

完全に正しい価値観について ~セクハラと言われたら反論できないことの問題点~

ミニマリストは貧乏くさい。」

「ブログは自分のプライバシーを晒す。何が面白いのか。」

と言われました。

 

酷いことを言うなと思う反面、そういう見方もあるし、気を付けるべき点もあるなと思いました。私としては、「スタイルのある(貧乏くさくない)ミニマリスト」を目指すことにして、「強盗に遭うようなプライバシーは晒さないけど、深い本心を匿名で語る質の高いブログ」を目指そうと思いました。

 

人によって、いろいろな価値観があるものです。ただ、とても難しいですが、自分自身は、自分と反対の立場の人の意見に対して批判の言葉を投げつけるようなことはせず、できる限り寛容でいられたらいいなと考えています。

 

 

最近、感じることがあります。

SDGs、ジェンダー、性的マイノリティなどが語られる際の態度についてです。

「それは持続可能ではない。」、「女性は虐げられている。」、「性的マイノリティは尊重されるべき。」と言われると、相手は沈黙せざるを得ない。絶対的に正しい言葉

 

そういう価値観を全く理解していない人がいて、そう言わざるを得ないことがあることは否定しません。

ただ、そういう「絶対的に正しい言葉」は、伝家の宝刀であり、抜いたら必殺です。伝家の宝刀は、そうそう簡単に抜くべきではない。

 

 

 

例えば、職場での体験ですが(これを語ること自体、躊躇がないわけではありません。)、男性上司から「ハタさん(もちろん本名)。それはセクハラです。」と注意されたことがあります。

 

若い男性職員同士が、久しぶりに会ったらしく、冗談で「久しぶり~!」と大仰に盛り上がっていたので、「女子大生みたいだなあ」と笑って言ったのです。これがセクハラ認定でした。

 

えっ!

周囲に女性もいましたが、セクハラ認定をしたのは男性上司。

 

「女子」というのが性的ということだったのでしょう。

それ以降、発言には、本当に気を付けるようにしました。

 

「それはセクハラだ。」というのは、絶対的に正しい言葉です。

そういう言葉を人に投げつけられた場合は、反論することは極めて難しい。更に、安易に反論をすると余計に深みにはまりかねません。

その時には、すごく微妙な空気になりましたが、やはり「セクハラではない」とはっきり言う人はいませんでした。「セクハラ」と言われた以上は、そうしておいた方が楽なんです。

 

 

最近、総理秘書官の発言のニュースがありました。

毎日新聞のスクープだったようですね。

 

同性婚なんか導入したら、国を捨てる人も出てくる」と秘書官が言ったとのことです。この発言は、LGBTQの人たちへの極端に不寛容な姿勢が明らかに読み取れます。その不寛容さは確かに問題だと思います。

 

ただ、今回、同時に気になるのは毎日新聞の記者のことです。「性的マイノリティ差別」というのは、やはり「絶対的に正しい言葉」です。それを論拠にしていれば誰も批判はできない。だから、記事にしたという匂いがする。

そうであれば、自分と立場の違う人への不寛容さにおいては、秘書官と何ら異なる点はないと感じられます。

 

秘書官を擁護はしません。

ただ、オフレコのやり取りの中で、その部分だけを切り取って報道するのはバランスを欠いています。少なくとも、その場でどういうやりとりがあったのか、その中で秘書官の発言の真意が何なのか、その真意を前提にしても問題があったとすればどういう点なのかという論証をすべきだと思います。

「性的マイノリティ差別は許されない」という「完全に正しい言葉」の価値観に乗っかって、勢いで記事にしただけのように見えます。

言葉を生業とし、国民に公正な情報を届けるマスメディアであるからこそ、その不寛容さに強い違和感を覚えます。

 

結論として、今回報道したこと自体は間違っていないのかもしれません。でも、こういうマスメディアの不寛容な姿勢は、大きな間違いに繋がる可能性を孕んでいると、私は思います。

 

 

 

こんなことを言うと、私自身が炎上しかねない恐ろしさを感じます。

そこがこういう「絶対的に正しい言葉」の問題点です。

 

 

 

自然法則は100%正しい。「作用があれば反作用がある。」、「全ては無常である。」「1+1=2」とかは完全に正しい。

それに対して、完全に正しい価値観は存在しません

いろいろな価値観がありますし、それが語られる様々な環境によって正しいかどうかも一定ではありません。例外もあります。

だからこそ、反対の立場の考え方にも一定の配慮をして、一方的に排斥しない寛容な態度が不可欠なのだと思います。

 

 

 

 

自分自身は、相手を黙らせるために「絶対的に正しい言葉」を使わないようにしたいと思っています。相手を黙らせても、自分は幸せになれません。

また、絶対的に正しい言葉を投げつけられた時には、基本的に反論はしないけれど建設的な解釈をして次につなげて行けたらいいなと思っています。

 

投資を理解するために、投資から撤退すべき時について考える。

今まで、投資の重要性について書いてきましたが、でも投資はいいことばかりなのでしょうか。

投資を勧められた際に、私自身とても疑問に思いました。

 

これまで私は、個人の金融資産としてアメリカのインデックス投資信託がよいのではないかと書いてきました。自分自身の20年以上の経験からも悪いものでなかったと思います。

 

しかし、このような手法にも条件があると考えています。個人的な見解ですが、述べてみます。

それは、投資する対象(私の場合はインデックス投資信託)の市場で、資本主義経済制度が正常に機能していることです。

簡単に言えば、ちゃんとした市場であることです。

 

ちゃんとした市場とは、

1 市場ができる限り公正に運用されていること

2 資本主義経済制度の理念から、成長が予測できること

が担保されている市場です。

 

逆に言うと、こういう条件が無くなった場合には、投資の資金はすぐに引き上げた方がいいと考えています。それぞれを、わかりやすいように日本とアメリカを比較してみます。

 

1 市場が公正に運用されていること

資本主義経済においても、政府の介入などが全くない市場はおそらく存在しません。

ただ、その程度は市場によって大きな違いがあります。

 

政府などの介入が最も少なく、自由競争を重んじるのがアメリカだと言われています。政治の影響を全く受けない訳ではありませんが、厳格なルールのもと公正に市場を運用しようとする姿勢があります。

 

それに対して、日本では、戦後に限って見ても、資本主義経済制度を採用している建前なのに、企業間で自由競争が大きく制限されています。下請けと言われる中小企業は、大企業に買ってもらうために熾烈な競争をしていますが、元請けの大企業などはそうではありません。

 

大企業は、かつては「護送船団方式」で利益を上げてきました。詳しくは述べませんが、これは自由競争をするというよりは、国の政策に沿って大企業が資本投下を行い国全体で利益を出していく方法です。

バブルが崩壊して以降は「護送船団方式」は無くなりましたが、最近では、大企業は自由競争により、よりよい製品を生産して利益を上げるよりは、人件費をある意味不当に抑制して利益を確保して内部留保をして生き延びています。

仮に利益が上がったとしても、資本主義社会では当たり前の賃金は上げないようにして、それを内部留保としてため込むということを国を挙げてやってきたように見えます。失われた20年、30年の時代でも利益を出していた企業はありましたが、給料が上がることはありませんでした。

 

最近、インフレが進んで庶民の暮らしが・・・と言われてから、国や経団連などが示し合わせて遅まきながら賃上げをする方向で動いています。賃上げが国やどこかの団体の思惑でしか上がらないと言うのは本来はとてもおかしなことです。

アメリカと比較すると、政府などの介入の程度が大きいことは明らかだと思います。

 

そういう制度や政策を選択したのは、国民が選挙で選んだ政治家などですから、私は文句を言うつもりはありません。

ただ、自分の資産を日本で運用するかどうかということになれば別問題です。絶対に、日本では運用しません。

現に自分が運用をしてきた20年間、日本の市場の金融商品に投資をしていたら、利益が出たかどうかは、怪しいと思います。このことは、日本の代表的な投資信託の過去20年の値動きを見てみればわかります。

 

 

2 成長が予測できること

インデックス投資信託に投資をするということは、性質上、市場全体に投資をしていようなものです。だから、市場として成長するかどうかがカギとなります。

資本主義経済というのは、基本的には拡大して利益を出していくものです。物が売れたら利益となり、それが賃金に反映され、その賃金でまた人が物を買うという循環で社会全体が潤っていきます。物を買う人がだんだん増えていけば、自然と社会全体が豊かになる。ものすごく簡単に言うと、そういう側面が確かにあります。

 

現代的な問題ですが、日本では、少子化により人口が減少しています。

これは、資本主義経済制度を維持するのであれば根本的にヤバい事態です。物を買う人がどんどんいなくなっているのです。

少子化に進んでも、労働者一人当たりの生産性を上げるとか、輸出産業を育成するなどの対策はあると言われていますが、そういう政策が始まる様子はありません(あるのかもしれませんが、知りません。)。

 

これに対し、日本と比較するとアメリカは将来的に人口はまだまだ増加すると予測されています。生産性も日本より高いことは、よく言われるとおりです。

 

こういう状況を見れば、個人としての投資先としては、どう転んでも日本にはなりません。

 

 

 

現在、個人的にはアメリカの投資信託に投資していますが、ここに書いた条件が満たされなくなったら、そのときは投資から撤退すべき時期だと思います。